第11話 良い出会い
チーズパンを食べ終える頃には、すっかりリリアの涙は収まっていた。
「はしたないところをお見せして、ごめんなさい」
真っ赤に腫らした目と同じ色を頬に滲ませて、リリアは頭を下げる。
「ううん、気にしないで。泣くくらい美味しいと思ってくれて、連れてきた甲斐があったわ」
穏やかに笑うエルシー。
「はい、とってもとっても、美味しかったです……」
今日食べたパンのことは、きっと一生忘れられない。
それくらい、美味しかった。
「リリアちゃんは、旅行でこの街に?」
「あっ、えっと……はい、そんな感じです」
「そうなのね! どこから?」
「えっと……ハールア王国です」
一瞬、言っていいものかと迷ったが、ただの一般人であるエルシーには大丈夫だろうという判断と、嘘をつく罪悪感の方が優って正直に答えた。
「ハールア王国! お隣さんね。自然が豊かで綺麗な国って聞いているわ」
「た、多分……? そうだと、思いま……そうです、はい」
実はずっと離れに隔離されていて、自国の綺麗な景色など見たことがない。
などと言えるわけもなく、ぎこちない返答をしてしまう。
「旅行はご家族と……ではないよね?」
「一人、です」
一応、フラニア共和国の成人は15歳以上だったはずだ。
(年齢的に、一人で旅行をしているという設定に無理はないはず……)
とリリアは自分に言い聞かせる。
「16歳で一人旅か〜。凄いわね」
「アハハ、ソレホドデモ……」
まさか処刑から免れるために国外逃亡してきた、とは言えずこれまた曖昧な返答になってしまう。
国外脱出する際、服装をそれなりのものにしておいて良かった。
もし実家で着せられていたボロ着のままだったら、今頃家出少女として憲兵にしょっ引かれていたかもしれない。
「いいな〜、一人旅。私、生まれも育ちもこの町で、学校を出てすぐに今のホテルに就職したから、海外に行ったことないんだよね」
「そうなんですね」
「でも、お金が貯まったら絶対に旅行に行くって決めてるの! 見たことのない景色、食べたことのないグルメ……絶対に楽しいに違いないわ」
「いいですよね、旅行……気持ちはわかります」
リリアの場合は旅行ではなく逃亡なのだが、エルシーの言葉には深い共感を覚えた。
今までマニルから出たことの無かったリリアにとって、海外の情報は新聞や本に記述されている文字しかなかった。
しかし実際に汽車に乗って、パルケにやってきて、見たことのない景色や街並みこの目で見て、知らない技術に触れて、食べたことのないものを食べた。
人生を振り返っても、こんなにも充実した時間はないと確信していえる。
「リリアちゃんは、いつまでこの街に?」
「特に決めてないですね。ちょっと色々事情があって、しばらくは滞在しようと思っているんですが……」
「そうなのね! それじゃまた、どこかで会ったらご飯でも!」
「は、はい、そうですね、ありがとうございます……」
エルシーの言葉にふと、リリアは気になって尋ねた。
「あの、どうしてここまで、私に良くしてくれるんですか?」
お世辞にも、リリアは自分に人間的な魅力があるとは思っていない。
容貌が優れているわけでも、面白い話を出来るわけでもない。
にもかかわらず、初対面の自分にこんなにも良くしてくれる。
考えたくはないが、何か打算的な思惑でもあるのかと思ってしまっていた。
100億近い証書の入ったショルダーバッグの存在が、そうさせているのかもしれない。
「んー、なんでだろうね?」
エルシーは、リリアに尋ねられるまで考えたこともなかった、といった風に考え込む。
「なんとなく……放って置けないと思ったというか、んー……お腹が空きすぎて倒れたって聞いたら、何か美味しいものを食べてもらいたいって思って。喋ってみたらリリアちゃん、とても良い子だから、楽しくお話しできたというか……ごめんね、纏まりがなくて」
「いえいえ、とんでもないです!」
ぶんぶんと、リリアは顔を横に振る。
エルシーの物言いは、嘘偽りのない本心から出てきたものだと感じた。
言葉の通り、エルシーは気遣いの心から、自分に優しくしてくれたのだろうとリリアは思った。
何か打算があるんじゃないかと少しでも疑ったことに、リリアの表情にほんのり罪悪感が浮かぶ。
「優しいんですね、エルシーさんは」
「そう? 普通だと思うけど……」
不思議そうに、しかしちょっぴり照れ臭そうに頬を掻くエルシーであった。
あまり長居するのもお店に悪いので、程々のタイミングで店を出ることにした。
お会計は二人で1200マニー。
お昼に付き合ってもらったからと、全部エルシーが出してくれようとしたが、流石に申し訳ないとリリアは意地でご馳走することにした。
エルシーも最初は「とんでもない!」と首を横に振っていたが、頑としてリリアは譲らなかった。
こんなに美味しいお店を紹介してくれたから、とても楽しい時間だったから説得して、エルシーは納得してくれた。
お店を出てみると、陽は少し傾きかけていた。
「今日はありがとうございました。本当に楽しかったです」
店の前で、リリアはエルシーに深々と頭を下げる。
「こちらこそ。また会えたら、ご飯行こうね」
「はい、是非」
良い出会いだったと、リリアは思った。
ひとりぼっちで隣国に逃げてきて不安もあったリリアからすると、エルシーと過ごした時間は気が休まるひと時だった。
「リリアちゃんはこれから、観光に?」
「そ、そんな感じですね」
「イルミナス門とか、ハーメルト寺院とか、パルケには観光スポットが目白押しだから、楽しんでね!」
「はい、ありがとうございます」
引き攣った笑顔でリリアは返した。
実際のところは、何も考えてなかった。
昨日の深夜にパルケについてそのまま寝てしまったため、今後の方針はまだ決まっていない。
そもそも旅行ではなく逃亡の身のため、呑気に観光名所を巡るなど以ての外だ。
まずは一旦落ち着いて、今後のことを考えないといけなかった。
お金はさっさと銀行に預けないといけないし、住居だって確保しなければならない。
フラニア共和国はお金さえ積めば永住権を得られるらしいが、どういう手続きをすれば良いかなど、分からないこともたくさんだ。
(やっぱり、まず行くべきところは……)
エルシーに、リリアは尋ねた。
「あの、役所はどこにあるのか、ご存じですか?」
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