第12話 役所にて

 エルシーと別れた後、リリアは役所にやってきた。

 フラニア共和国での居住権を取得するためだ。


 居住を確保するにせよ、公共のサービスを受けるにせよ、フラニア共和国の国民であるという証明書──国民カードが必要になってくる。


 フラニアでの生活基盤を固めるため、まずは国民カードの獲得が急務だった。


 役所は、荘厳で堂々とした石造りの建物だった。

 大きな柱が正面入口の両脇に立ち並び、その上には三角の屋根であるペディメントがあしらわれている。


 ペディメントの中央には、共和国のシンボルである義勇の女神が彫られていた。


 中に入ると、高い天井と広いロビーがリリアを迎えてくれる。

 お役所といった固い雰囲気とは裏腹に、天井にも壁面にも装飾が施され、どこかの美術館に来たかのような錯覚をもたらした。


 市民たちはそれぞれの窓口で手続きをしていた。

 係の人に案内され、リリアは居住権取得課のエリアにやってきた。


 居住権取得課は大きな手続きを要するためか他と一線を画すように、銅色の扉やベルベットのカーテンで仕切られている。


 木製のカウンターの後ろには、収納棚が整然と並び多くの書類が収められていた。


 担当の職員は太った体にベストと白シャツ、そして黒のネクタイを身につけ、整った髭を蓄えていた。 

 職員に、リリアはフラニア共和国での永住権を取得したい旨を伝えると。


「通常、永住権の取得は本国に10年以上の居住、その間のうち3年以上の就学又は5年以上の就労が必要です。また、貴方がどこの国出身の者なのかを確認するため、入国証や他国での居住証明書などを提出も必要となります」


 至極真っ当な説明をする職員に、リリアはおずおずと言った。


「あの、そういった条件や身分を証明するものがなくても、お金さえ支払えば、この国では永住権を獲得できると聞いたのですが」


 ピクリと、職員の眉が動いた。


「……ああ、“特別枠”のことですね」


 どこか呆れ混じりなため息をついた後、職員は机の下から一枚の紙を取り出しリリアに見せる。

 紙面には『永住権取得における特別枠のご案内』とタイトルがついていた。


「仰る通り、ある一定の金額を払えば、条件も身分証明書の発行もなく、我が国の国民カードを発行可能です」


 職員の言葉に、リリアはホッと安堵した。


 フラニア共和国には“特別枠”の永住権取得制度がある。

 その事前知識があったからこそ、リリアはこの国を逃亡先に選んだ。


 フラニアを訪れる富豪たちの中には、お金は持っているもののさまざまな事情で迅速に居住権を得たいと考えている人々が少なくない。


 そういった人々にとって、時間をかけずに必要な手続きを飛ばして居住権を取得できる特別枠は非常に魅力的だった。


 一方フラニア共和国にとっても、この特別枠は通常の手続きよりもはるかに効率的に大金を得られるメリットがある。


 その資金は、国の福祉の向上や先端技術の研究開発など、国民全体のための予算に充てられるのだ。


 このように双方にとってメリットがあるのが、特別枠の永住権取得制度だった。


 ……もっともこの制度は、他国で犯罪を犯し大金を得た人物の永住権も漏れなく発行できるため、犯罪者を匿う制度として他国から非難を浴びている側面もある。


 そのため手放しで絶賛される制度とも言えないが、無駄に大金を持っていてすぐにフラニアでの居住権を獲得したいリリアにとっては最高の手段だった。 


「もっとも……」


 ちらりと、リリアの服装を見て職員は言った。


「特別枠の価格は10億マニー。そんな大金をポンと出せる人間は、そういないとは思いますが」


 どこか馬鹿にするようなニュアンスで言う職員に、リリアはちょっぴりムッとする。


「10億マニーですね。わかりました」

「へ?」


 呆気に取られる職員をよそに、リリアはバッグから99億9000万マニーの証書を取り出した。


 10億マニーは確かに大金だ。

 だがその額さえ支払えば一生この豊かな国での生活が可能になると思えば安いものだった。


「こちらで、支払いをお願いいたします」


 職員はしばらくぽかんと口を開けていたが。


「か、確認いたします……」


 証書を見るなり、職員はプルプルと肩を震えさせて。


「しょ、少々お待ちを!」


 バタバタと、奥の部屋に引っ込んでいった。

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