第16話 人助け
「ほらっ! もう一発!」
「ぎゃははは! ひっでー顔!」
二人の若者が、物乞いと思しき男を袋叩きにしている。
リリアはそそくさと彼らに近づき、物陰に隠れて叫んだ。
「憲兵さんー! こっちです! 早く来てくださいー!」
「げっ!? 憲兵!?」
「マジかよ! くそっ、ずらかるぞ……!!」
まんまと騙されてくれた若者は、脱兎の如く逃げ出した。
リリアはホッと一息ついた後、男の元に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
声をかけると、男は力無くリリアを見上げた。
思わずリリアは息を呑む。
男の年齢は30歳前後くらいだろうか。
肌寒い季節にも関わらず、薄汚れたシャツとズボンしか着ていない男は、理不尽な暴力に晒されて顔が腫れあがっていた。
「憲兵、は……?」
「あ、嘘です。憲兵さんは呼んでいませんよ」
「なる、ほど……」
状況を理解した男が、リリアに笑顔を見せる。
「なかなかやるね、お嬢さん、ありがとう。助かったよ……」
「いえいえ……って、そんなことよりも、早く病院に……」
「ははっ、そんなお金はないよ……」
男の乾いた笑い声に、リリアはハッとする。
フラニアの医療体制は万全とはいえ、決して安くはない。
男の身なりから察するに、彼は治療費どころか明日のご飯さえ考えられないのではないかと思った。
押し黙るリリアに、男は自虐めいた笑みで身の上話をし始める。
「まったく、世知辛いねえ。この前までは工場で働く労働者だったのに、機械を導入して人が不要になったからって、あっさり切りやがる。お陰でこのザマさ。再就職しようと必死に頑張ったんだがな。この不況のご時世だ。学のねえ俺なんて、どこへ行ってもお払い箱さ」
はんっと鼻を鳴らして男は続ける。
「だが金は稼がなくちゃいけねえ。俺だけなら野垂れ死んでもいいが、妻と生まれてきたばかりの娘がいるからな。物乞いになって、なんとか食い繋ぐ日々だ」
そう言って男は、ボコボコになった銀のお椀を蹴る。
お椀には1マニーたりとも入っていなかった。
「明日までの食費はなんとか恵んで貰えたんだがな。それさえもさっきの連中に巻き上げられちまった。おまけにストレス発散のおまけ付きだ。笑えるだろ?」
ふるふると、リリアは首を横に振った。
心が、針をちくちく刺すように痛かった。
油断したら両眼から何か溢れてきそうになるほど、リリアは男に同情していた。
(何か、力になりたい……)
目の前でこんなにも傷ついている人を、放っては置けなかった。
気がつくと、リリアはショルダーバッグの中からありったけの札を取り出す。
「ごめんなさい、今は手持ちがこれくらいしかないのですが……」
こうなるなら、もっと持ってきておけばよかったと思った。
30万マニーから、先ほどの夕食費を引いて約29万マニー。
ハールアと物価はそこまで変わらないから、このくらいあれば家族で2、3ヶ月は暮らせるだろう。
突然目の前に出された大金に、男は目を丸めた。
「そんな、悪いよ。お嬢さん」
「気にしないでください。少しでも生活の足しになれば、嬉しいです」
これまでのお金のない自分には出来なかった行動だった。
しかし今は違う。
普通に暮らしていたら一生使いきれない大金を持っている。
29万マニーで少しでも男が助けになるのなら、躊躇なく差し出せた。
突然降って湧いた大金を前に、男は逡巡していた。
自分よりもずっと年下の女性にこんな大金をぽんと貰うなんて気が引ける、だがお金に困っているのも事実。
そんな葛藤が表情に渦巻いていた。
しかし現実を冷静に考えて、貰っておける善意は貰っておくべきだと判断したのか。
「本当に、いいんですか?」
「はい」
敬語で尋ねてくる男に、リリアはこくりと頷く。
ごくりと、男が生唾を飲む。
そして恐る恐る、お金を受け取って。
「ありがとうございます……本当にありがとうございます……」
何度も何度も男は頭を下げる。
それから、ぼろぼろと涙を流し始めた。
ありがとうございます、ありがとうございますと、男は繰り返し感謝の言葉を口にした。
(こんなお金の使い方も、悪くないかもしれないわね……)
正直、この行動が正しかったのかはわからない、という気持ちはある。
ただの偽善かもしれない。
だが偽善でも、このお金によって少しでも彼の助けになったのなら嬉しいと、リリアは思うのだった。
男は泣き止んだ後。
「もしまた会えたら、必ず恩返しをします!」
そう言って、リリアの前を去っていった。
男の背中が見えなくなるまで、リリアは小さく手を振っていた。
「あっ、いけない。私も帰らないと……」
踵を返して、来た道を戻ろうとした時。
「おらっ! さっさと歩け!」
どこからともなく聞こえてきた怒鳴り声に、リリアはビクッと肩を震わせる。
思わず辺りを見回すも、声の主は見つからない。
声は少し離れた位置で上がっているようだった。
「ぐずぐずするな! このノロマが!」
鞭を打つ音。
そして怒りの篭った声。
誰が何に怒っているのかわからずにいると。
──ほんと使えないわね! この愚図が!
不意に、家族の罵声を思い出してしまう。
そこはかとなく嫌な気持ちになったリリアは、このエリアから逃げ出すようにそそくさと立ち去った。
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