第17話 ごくらく大浴場

 リリアが宿泊しているホテルには、部屋に備え付けの水浴び場とは別に大浴場が完備されている。

 

 というわけで、リリアはホテルに戻ってくるなり大浴場に入ることにした。


「はう……」


 熱めのお湯に肩まで浸かりながら、リリアは声を漏らす。


 大浴場の内装は大理石作りで至る所に白磁の彫刻が模されており、まるで神話の世界に来たような心地にしてくれる。


 湯船からはほかほかと湯気が立っていて視界は悪いが、天使の彫刻が持つ大きな壺からじょばじょばとお湯が流れ出ているのは見えた。


「こんなにたくさんのお湯に浸かれるなんて……」


 確かに実家では、リリア以外の家族がよく湯浴みをしていた。 

 しかしそれは、熱して温かくした水を桶で浴びるといった方法だった。


 部屋一つ分はある広さの浴槽になみなみとお湯が注がれた設備は存在は知っていたが、相当なお金持ちしか許されない贅沢品のはずだ。


 ハルーアは内陸の国だったこともあり、水は貴重な資源だった。

 一方、フラニアは水源が豊富ということもあり、こういったお風呂の習慣があるらしい。


 これだけの水を一箇所に集めるだけでなく、ちょうど良い温度を一定に保つ技術。

 それを、グレード高めとはいえ宿泊施設に完備されているなんて、改めてこの国の豊かさを実感した。


 ……ちなみにリリアに日常的な湯浴みが許可されるわけもなく、身を清める手段は濡らした雑巾で拭くくらい。

 ごくごくたまに水浴びをできれば良い方だった。

 

「しあ、わせ……」


 肩まで浸かって、リリアは呟く。

 生まれて初めての大浴場は、考えられないほど極楽だった。


 まるで暖かい太陽の光に包まれるかのような心地よさ。

 水面から立ち上る湯気がリリアの頬を撫で上げ、強張っていた身体と心がゆっくりと解されていく。


 手足をぐぐっと伸ばすと、凝り固まっていた筋肉がじんわりと緩む。

 その感覚を堪能していると、少しずつ頭がぼうっとしてきた。


「本当に現実、かしら……?」


 実家にいた頃と比べると天国すぎて、怖さを覚えてしまうくらいだ。


(全部、夢だったりして……)


 自分はまだあの牢獄にいて、死に際の走馬灯を見ている。


(だとすると、怖い……)


 思わず、リリアは自分の体を抱き締めた。

 温かい湯船に浸かっているはずなのに震えてしまう。


 夢であることを否定するように、リリアは頬を抓る。


「痛い……」


 しっかりと痛覚が悲鳴をあげて、リリアは力無い笑みを漏らす。

 どうやら、自分は生きていることは確かのようだ。


 そのことに、リリアはホッと胸を撫で下ろした。


 その後、壁に掛けられていた『お風呂の入り方』の説明書きに倣って、リリアは髪に香り付きのオイル(シャンプーというらしい)をつけて洗った。


 柑橘系の良い香りするシャンプーの効果は凄まじく、お湯で洗い流すと痛みごわついていた髪が瞬く間に滑らかになった。


 「自分の髪じゃないみたい……」


 なんだか凄いお洒落をしたような気がして、リリアは嬉しくなる。

 再び、リリアは湯船に身を浸ける。


「これから、どうしよう……」


 ゆっくりする時間ができて、改めてリリアは考える。


「明日から家を探して、住むところが決まったら、それから……」


 それから、どうしよう。


 フラニアでの永住権は獲得した。

 何かを強制してくる家族はもういない。

 お金も充分にある。


 好きなものを食べられるし、買えるし、何をしても良いのだ。


 普通に考えるとこれ上ない幸せな状態のはずだ。


 でも不思議な事に、やりたいことが頭に浮かんでこない。


(今まではお母様やお姉様、使用人のみなさんに命令されて、言われるがままに過ごしてきた……)


 それ故に、いざ自由になってなんでも好きなことをすればいいと言われると、思考が停止してしまう自分がいる。


 その事実に、リリアは言いようのない虚無感を抱いた。

 考えていたら思考が闇に引き摺られそうな気がしたので、リリアは頭を振って考えを中断する。


「とりあえず、家が見つかってから考えよう……」


 今はまず、手に入れた自由と極楽を堪能する。


 そう決めて、再び肩までお湯に浸かるリリアであった。

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