第7話 賭け
(どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!!)
リリアは焦っていた。
入国審査官に入国証が偽造だと見抜かれ、頭が真っ白になった。
全身からぶわっと汗が流れ出る。
喉が小石を詰められたように苦しい。
(逃げる……? ううん、それは無理……)
この部屋には審査官の一人しかいないが、入り口には他の係員が立っていた。
リリアの足の遅さではたちまち捕まってしまうだろう。
(何か……何か手は……)
今にも泣きそうなリリアとは裏腹に、審査官は面倒臭そうに紙を取り出す。
そして、リリアへの事情聴取を始めた。
「さて、お嬢ちゃん。憲兵に連絡を入れる前に、まずはこの入国証をどこで購入したか教えてもらおうか」
憲兵、という言葉を聞いてリリアは息が止まりそうになった。
(捕まったらおしまいだ……)
ここで情けなくオロオロしていたら、実家に連れ戻され死が待っている。
(それだけは……嫌だ……!!)
恐怖が、リリアを奮い立たせる。
(落ち着いて……)
深く深呼吸して、リリアは鼓動の速度を収めた。
死をも経験しているという謎の自信が、リリアの心に勇気を与える。
そして、賭けに出た。
「……いくら、ですか?」
「は?」
「いくら払えば、良いですか?」
審査官の目を見据え、リリアは小声で尋ねた。
リリアの頭の中には、今朝仕事部屋で読んだ新聞が浮かんでいた。
──フラニア共和国からの赤ワイン輸入解禁、宰相と踊り子との不倫疑惑、入国審査官の賄賂問題……。
その中の記事──『入国審査官の賄賂問題』
いわば審査官が買収されて、偽造の入国証がまかり通っているという問題についての記事が、リリアの頭に入っていた。
審査官も人間だ。
厳格ではない、金を受け取る審査官がいるからこそ、闇市で偽造入国証を売り捌く商売が成り立つ。
(それに、この方はおそらく……お父様たちと同じ……)
記事とは別の根拠もあった。
今目の前にいる男の表情や振る舞いは欲深く金にうるさい家族たちと似ている。
服装もだらしないし、少なくとも誠実で正義感の強い人間とは思えなかった。
生まれてから16年間、実家で同じような系統の人間を見続けてきた故の確信であった。
「……なるほど、そう来るか」
ニヤリと、審査官は下卑た笑みを浮かべる。
「本来なら今すぐ貴様を憲兵に引き渡すところだが……」
紙を片付けながら、審査官はピンと指を3本立てた。
「これで、この入国証は本物ということにしてやるよ」
賭けに──勝った。
ぶわりと、リリアは総毛立つ。
「は、はい、少しお待ちを……」
暗闇から差した希望の光。
リリアは慌てて袋から100万マニーの束を3つ出し、審査官の前にドサッと置いた。
審査官は目をまん丸にし、ぽかんと口を開ける。
「も、もしかして足りませんでしたか……?」
「あっ、いや、大丈夫だ! 充分、充分だ!」
「それなら良かったです……」
全身から力が抜け落ちて崩れ落ちそうになるのを必死で止めた。
今日一番の安堵をするリリアの傍、男は『許可』と書かれた大きな判子をドンッと入国証に押した。
「ようこそ、フラニア共和国へ」
「ありがとうございます……ありがとうございます!! では……」
何度も何度も頭を下げて、リリアはそそくさと退室した。
リリアが去った後、審査官はポツリと呟く。
「30万のつもりだったんだが……」
目の前に積み重なった、その10倍の金額の札束。
「あいつ……何者だ?」
突然降って湧いてきた、自分の月収の何ヶ月分もある金を前にして、審査官はごくりと喉を鳴らすのであった。
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