第8話 到着

 深夜。 

 フラニア共和国の首都パルケにリリアは到着した。


 パルケは『水の都』と称される、広大な平野に二つの大河と海を起点に経済発展を果たした、100万の人口を擁する大都市だ。


 元々は農業国家だったが、近年は工業機械や汽車をはじめとする画期的な発明によって多大な貿易収益を挙げた。


 それにより国民の生活水準は飛躍的に上昇し、世界一豊かな国としての地位を確立しつつある……というのが、リリアの持つパルケの知識であった。


 パルケ中央駅を出て実際に歩いてみると、パルケの街並みは知識以上のインパクトがあった。


 ハールア王国ではまだ普及しきっていない『電気』による明かりで、深夜だというのに街は明かりに溢れている。


 立ち並ぶ煉瓦作りの建物も背が高いものばかりで、道路もきれいに整備されている。

 ハールア王国の首都マニルよりも綺麗で、洗練されているように感じた。

 

 人生で初めてとなる外国にリリアの胸は浮ついていたが、身体と精神両方の疲労が限界に達していたため、ひとまず駅近くのホテルに身を滑り込ませた。


 国外脱出のための準備費やここまでの交通費、そして審査官に渡した賄賂を差し引いてもまだ現金は300万以上残っている。


 宿泊料金は一泊5万マニーということで、少しグレードの高いホテルらしかったが、とにかく身体を休ませたいリリアに支払いの躊躇はなかった。


 スタッフに案内されたホテルの部屋は広く掃除も行き届いていて、今まで住んでいた離れよりずっと居心地が良さそうだった。


 水浴びのためのバスルームも用意されていたが、部屋に入るなりリリアはすぐさまベッドに倒れ込んだ。


「あった、かい……それに、ふわふわ……」


 大きなキングサイズのベッドは、リリアの疲労困憊だった身体を優しく抱き締めてくれた。

 良い洗剤を使っているのか、花のような甘い香りがする。


 いつも寝床にしている固くカビ臭い離れのベッドとは大違いだった。

 

(あ……これもう、ダメかも……)


 あまりの心地良さと、一気に緩んだ緊張によってリリアは動けなくなってしまう。


 かろうじて残っていた最後の理性が、ショルダーバッグを枕元の机に置いた。


 電気をつけたまま、リリアは気絶するように眠りについた。


◇◇◇


「お客さま、起きてください、お客さま」

「……んあっ」


 誰かに身体を揺すられてリリアは目覚めた。

 視界に映るのは、ちょっぴり困った表情の女性スタッフ。

 

「おはようございます、お客さま」

「……ぉはよう……ございます」

「お休みのところ起こしてしまい、大変申し訳ございません。ですが、その、チェックアウトの時間を過ぎておりまして……」

「ちぇっくあう……ええっ……!?」

 

 スタッフの言葉で思考が一気に目覚め、ガバッと身を起こす。

 

 見ると、カーテンの外は明るくなっていた。

 時間は11時30分を差している。


(確か、昨晩は1時くらいに寝たから……10時間ずっと寝てたの……!?)


 どうやら、想像以上に疲労が溜まっていたらしい。


「あああっ、ごめんなさいごめんなさい、すぐに準備して出ていきますので……」

「いえいえ、お気になさらず。ごゆっくり支度をしてくださいませ」


 スタッフは穏やかな笑みを浮かべて言った。

 

 ごゆっくり、と言われたもののリリアは焦りに焦っていた。


 リリアは16年もの間、家族にも使用人にも虐げられ支配されてきた。

 そのせいか、他人に迷惑をかけることに対して強い忌避感を持つようになっていた。


 一刻も早くホテルから出ないといけない。

 そう強く思ったリリアはショルダーバッグを掴んで、すぐさまチェクアウトを済まそうとし……。


「あ、れ……?」


 ぐらりと、視界が歪んだ。

 手から、足から、力が抜ける。


 すぐに、決して軽くない衝撃。

 気がつくと、リリアの頬に床の冷たい感触が触れていた。


「お客さま……!?」


 スタッフの慌てた声が鼓膜を叩く。


(立た、なきゃ……)


 そう思うも、身体のどこにも力が入らない。


「誰か! 誰か来てください……! お客さまが……!!」


 スタッフの切羽詰まった声を聞きながら、リリアは再び目を閉じる。

 意識はすぐに、遠くなっていった。

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