第34話 騒動のあと

「えっと……その、ごめんね?」


 リビングのソファの上。

 ブランケットに包まり膝を抱えて座る少年に、リリアは申し訳なさそうに声をかけた。


「…………」


 少年はリリアに背を向けたまま無言。


(ああっ、完全に警戒されちゃってる……!!)


 リリアは頭を抱えた。

 先ほどのバルスームでの騒動のせいで、少年は完全に不貞腐れているようだった。


 ちなみに少年はリリアの寝巻きを着ている。

 少しサイズが大きく不恰好だが、今まで着ていたボロ切れよりかは圧倒的にマシだろう。


 ……少年が寝巻きを着た姿を見て、リリアは(か、かわいい……!!)と思ったのを必死で呑み込んだのは内緒である。


「ほらほら、機嫌直して。クロワッサンあげるから、ね?」


 一口サイズにちぎったクロワッサンを、リリアは少年のそばに差し出す。


「僕は、猫じゃないです……」


 やっと言葉を口にしたかと思えば、少年はブランケットからにゅっと手を出してクロワッサンを取った。


 ブランケットをごそごそさせて、少年はクロワッサンを食べる。


  絵面は餌付けのそれであった。


 すると、ブランケットが捲れて少年の顔が姿を現した。


 もぐもぐとクロワッサンを食べる少年の目がみるみるうちに見開かれる。

 そんな少年の隣に座り、リリアは「どう?」と尋ねる。

 

「……すごく、美味しいです」

「でしょう! もうちょっとお腹が慣れたら、たくさん食べようね」


 リリアが言うと、少年は濁った目に微かな光を灯してこくりと頷いた。

 少しだけ警戒を解いてくれたようで、リリアはホッと胸を撫で下ろす。


(流石はこもれびベーカリーのクロワッサンね……)

 

 美味しいは全てを解決すると、しみじみ思うリリアであった。

 改めて、リリアは尋ねる。


「貴方、名前は?」

「……ジル」

「ジル君! 思い切り男の子の名前ね……最初に聞いておけばあんなことにはならなかったよね、ごめんね」

「いえ……この格好だと、間違われても仕方がありません。こちらこそ、誤解をさせてしまって……それから、お風呂で暴れてしまってごめんなさい……どんな罰でも、受けます……」


 少年改めジルはそう言って、深々と頭を下げた。


 その時、リリアは気づく。

 ジルの肩が、微かに震えている事に。


 直感的に、リリアは察した。


(ジル君は今まで、奴隷として扱われていた……)


 そんな環境下で、飼い主である大人を怒らせてしまうことは、生死に関わるほど恐ろしいことだったのだろう。


 同じような環境にいたリリアには、その気持ちが痛いほど分かった。


「ジル君、顔を上げて」


 リリアの言葉に従って、ジルが顔を上げる。

 表情に浮かぶのは、怯えと恐怖。


 自分の予想が正しかったのだと確信しつつ、リリアは柔らかく微笑む。


「さっきのはちょっとした事故よ、誰も悪くないわ」


 なるべく安心させられるよう、優しく、穏やかな声で言う。

 そうすると、ジルの表情に走っていた緊張が少しだけ取れた、ような気がした。


「私はリリア。よろしくね、ジル君」

「リリア……さん」


 五文字の言葉を、ジルは噛み締めるように反芻する。


「こちらこそ、よろしくお願いします、リリアさん」


 未だぎこちないものの、ジルははっきりとそう口にした。

ジルの纏う少年特有のあどけなさに、リリアは思わず笑みを溢す。


(それにしても……歳の割に、とてもしっかりした子ね……)


 ジルが口にする言葉や所作を見て、リリアは思う。

 少なくとも、この年代の子と比べ言葉遣いや礼儀作法に大人っぽさがあると感じた。


 そんなことを思っていると、ジルがふあ……と大きな欠伸をした。


「眠くなっちゃった?」


 こくりと、ジルは目をとろんとさせて頷く。

 頷きの勢いそのまま前に倒れてしまいそうだ。


 お風呂でのひと騒動のせいか、あるいは緊張が解けて安心したのか、ジルの眠気が限界のようだった。


「もう、今日は寝ちゃおっか。寝る場所は……どうしようかな。寝室もベッドも二つあるから、ジル君は使ってない方の部屋で……」


 ぽす……。


「…………あら?」

 

 小さな衝撃と共に、温かい感触が肩に当たる。

 見ると、ジルは目を閉じすうすうと規則正しい寝息を立てていた。


「よっぽど、疲れてたのね……」


 無理はない。

 今日まで奴隷として扱われ、ロクに眠れない日々を送っていたのだろう。


 ジルの今までを想像すると、またリリアの胸に痛みが走った。


 それはともかくとして、ここで寝かせるわけにはいかない。

 ちゃんと寝室で寝ないと風邪をひいてしまうかもしれない。


 ゆっくりと、リリアはジルを抱き抱えた。

 そして起こさないよう足音を立てずに歩く。


 途中、ジルは「んぅ……」と声を漏らし身じろぎしたが、それだけだった。


 よっせよっせと二階まで上がってきて、使ってない方の寝室のベッドに運ぶ。


 枕に頭が収まるよう横たえ、布団を被せた。


 このまま灯りを消して自分の部屋で寝ようと思ったが、なんとなくリリアはジルの隣に身を横たえた。


(なんだか、不思議な気分……)


 昨日までひとりぼっちだった家に、誰かが一緒に寝ている。

 その事実に、ほのかに胸が温かくなった。


(改めて見ると、とても綺麗な顔立ちね……)


 長い髪のせいもあるが、ジルは女の子と間違われても仕方がないほど整った顔立ちをしていた。

 きっと、大人になったらたくさんの女性たちを虜にする美丈夫に成長するだろう。


「ふあ……」


 思わず、リリアも欠伸をする。

 病み上がりということと、今日も色々あったためリリアの眠気もかなり濃くなっている。


 加えて、安心しきった無防備な表情を晒し眠るジルを見ていると、リリアの方も微睡の渦に飲まれていった。


(いけ、ない……自分の部屋で、寝ないと……)


 そう思いつつも、抗えない。

 瞼が幕引きのようにゆっくりと落ちていく。


 気がつくと、リリアも寝息を立てていた。


 二人が一緒に、寄り添うようにして眠るのだった。

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