第4話 こんなはずじゃなかった

 次の日の朝。

 良太はどうしてもベッドから降りる事ができなかった。病んだ気持ちは体までも重くしている。

 学校へ行こうとすると吐き気をもよおす。


 スマホを手繰り寄せて、学校のサイトにアクセス。

 欠席連絡を入れたが、面倒なのは親である。


 ドンドンドンドン!!


 部屋のドアが大きなノック音を鳴らす。

 本日、三度目だ。

 時刻は8時少し前。

 いつもならとっくに出かけている時間だからである。


「良太ー! 良太ーー!!」

 法子の声。


 ベッド上で頭から布団をかぶり、寝たふりを決め込む。


「良太ー! 開けなさい。良太ーーー。全くしょうがないわね。パパー、二階の部屋の鍵取ってちょうだい」


 強制的に立ち入るつもりだ。


「うっせーな。ほっとけよ」

 枕に顔をうずめて叫んだ。


 パタパタと階段を上がってくるスリッパの音がして。

「ママ。思春期には色々あるんだ。学校に行きたくない時だってあるさ」

 父、隆司の声が聞こえた。


 我が家は母親より父親の方が理解がある。


「だって、パパー。来年は受験生なのよ」


「大丈夫だ。俺たちの時代とは違って、今はリモートで授業だって受けられる。今どきの子供は繊細なんだよ。そっとしておこう」


「もう。パパったら、甘いんだから」


「良太ー。リモートで授業受けるんだぞ。それからちゃんと飯を食え」

 ガタっとドアの外で音がする。


「食事、ここに置いておくから。さぁ、ママ、朝ドラが始まる時間だ。急ごう」

「あら、本当。もうそんな時間ね」


 そして、パタパタと二人分のスリッパの音が遠ざかった。


 ぎゅるるーっと腹が情けない声を出す。


 そっと扉を開けると、トレーに乗せられた朝食。

 バターロールに昨夜の残り物のポテトサラダと唐揚げが挟んである。

 それに、ヨーグルトとオレンジジュース。


 それらを机に運んで、無造作に体内に収める。

 空腹でいると思考までも貧しくなっていく。

 お腹が膨れたら少しは前向きになれるだろうか。


 教室に蔓延するこそこそ話。

 ひそひそと話しながら、良太に向けられる冷ややかな視線。

 白川は「気にし過ぎよ」と言った。

 もしかしたら本当に良太の気にし過ぎなのかもしれない。

 もしかしたら、普通に話しかけたら、普通に話してくれるのかもしれない。

 しかし、その勇気が出なかった。

 話しかけるのが怖かった。


 どうしても

 ――こいつら俺の事変態だと思ってるんだ。

 という被害者意識が邪魔をして、友達と距離を取ってしまう。


 どうしてだろう?

 どうしてそんな風に思ってしまうのだろうか?


 脳裏には常に並野の正義感面がちらついている。

 そもそも発端はあいつなのだ。

 勘違いなのか、いや、日頃から良太をよく思っていなかったのかもしれない。

 友達のふりをしていただけだったのかも。

 

 わざと良太を悪者に仕立て上げようとしていたのは明らかだ。

 心の中で、いつも小バカにしていた事がバレたのかも? 

 ここぞとばかりに仕返しをしようとしているのだ。

 そうに違いない。


「クソやろう~~~~~~~~~」


 強く握った拳を壁にぶつけた。

 ガツンという衝撃が手首にまで響く。


「ってーーーーー!!」

 指の関節がずーーんと疼いて、思いのほか痛すぎた。




 Side-美惑

 久々のオフで、丸々一日学校で授業を受けたのはいつ以来だろう。

 そんなレアな日に足取りは軽くなる。

 いつものバス停でバスを降り、アパートへ向かった。


 そう言えば、今朝、良太に会わなかった。

 同じ朝のバスで学校に行けるはずだったのに。

 また風邪かしら?


 そんな事を考えながら、アパートの敷地を踏んだ。


「あら、美惑ちゃーん」

 法子の声に顔を上げた。

 ベランダからおいでおいでと手招きをしながら、つっかけを履いてこちらに向かって来る。


「おばさん、こんにちは」

「美惑ちゃん、おかえり」

「どうしたんですか? 慌てて」


「それがね」

 法子はそう言った後、二階の部屋を気にしながら声をひそめた。


「良太が登校拒否なのよ」


「トーコーキョヒ?」

「学校に行けなくなっちゃって。一体学校で何があったのかしら? 美惑ちゃん、知らない」


 知ってる。

 しかし、そんなにも良太が病んでるとは知らなかった。


「知るわけないないわよね。同じ学校でもクラスが違ったら生徒の顔もわからないぐらい人数の多い学校だものね」


「ええ、まあ。特色科と普通科は棟も離れてるので……」


「もう絶対学校には行かないって言ってるのよ。困ったわ。まさか良太が不登校になるなんて。何か聞いてない?」


 法子は少し疲れた顔でため息を吐いた。


「いえ、何も……」


 法子はうんとうなづき、優しく口角を上げて、お弁当箱ほどの大きさのタッパーを差し出した。

「味ご飯炊いたのよ。懐かしいでしょ。私の実家から銀杏が送って来てね。銀杏好き?」


「はい」


「よかった、炊き立てだから、温かいうちに食べてね」


「すいません。いつもありがとうございます」


「それじゃあ、風邪ひかないようにね」

 そう言って踵を返した。


 美惑も部屋へ続く階段を上り、玄関の鍵を回した。


 そこへ――。


「こんにちはー」

 透き通るような可愛らしい女の子の声が美惑の動きを止める。

 声の方に振り返ると。

 制服の色に近いスカートに白いニット。紺のトレンチ姿のあの女がいた。

 私服登校の許可でも取ったのかしら。


「あら、こんにちは。どなた?」

 ベランダから部屋に上がろうとしていた法子は、体制を整えて彼女の正面に向いた。


 美惑は思わずドアの向こうに身を隠した。

 心臓が早鐘を打つ。


「初めまして。双渡瀬君と同じクラスの、白川いのりといいます」


「あら、わざわざ……」


「双渡瀬君、リモートで授業は受けたみたいでしたけど、一応プリントとノートを渡そうと思って」


 そう言って、紙袋を法子に差し出している。

 しぶとい女ね。


「まぁまぁ、わざわざありがとう。よかったら上がってちょうだい。こんな美人さんがお見舞いに来てくれたら、良太もきっと元気になるわ。ちょうど味ご飯もおいしく炊けたところで、よかったら夕飯も食べて行って」


 そう言いながら、玄関に促し、白川も法子に続いて、玄関の向こうへと消えた。


 ――夕飯……?

 

 こんなはずじゃなかった。こんなのシナリオと違う。

 

 いつも美惑の場所だったあの席に、あの女が座るのだ。

 そう思ったら、頭が真っ白になり。

 どうしようもなく何もかもどうでもよくなった。


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