第2話 浮気したらぶっ殺す
ファンシーなピンク系のセミダブルの上には、使用済みの諸々が散乱している。
どうにか無事に前頭葉が機能し始めた良太は、腕枕の中でほほ笑む美惑の顔を見遣った。
「あのさ、美惑……」
「ふ? なぁに?」
「あの、俺……言わなきゃいけない事があって……」
「ふん? いいよ別に。もうすぐ期末テストやけんね。週末のライブの事やろ?」
今回はライブ行けない、とかって事じゃなくて!!
「あ、いや、あの……」
ピンポーン♪
良太の決意はインターフォンの音に遮られる。
ベッドの上で体を起こすと、クリーム色の玄関ドアが視界に映る。
「美惑ちゃーん。ご飯できたわよ。下りてらっしゃーい」
良太はその声に弾かれるように、ベッドから転げ落ちた。
脱ぎ捨てていたパンツを拾おうとしただけなのに。
「はーい。すぐいきまーす」
美惑も急いで服を探す。
二人を現実に引き戻した声の主は、良太の母親、
あの扉の向こうに良太の母親が……いる!!
「シー」っと人差し指を口に当てた。
こんな所を法子に見つかったら大変!
息を止めて、そーっとパンツに足を通し、急いで衣服を身に付ける。
パタパタとつっかけの音が遠ざかったのを確認し、通学用リュックを背負った。
「じゃあ、俺先に帰っとく」
「うん。後ですぐ行く」
そっと玄関を出て身をかがめ、法子がいない事を確認しながら階段を降りた。
美惑との関係は、もちろん親にも内緒である。
むしろ一番危険だ。
親にバレると言う事は週刊誌にバレると同義。
『ここだけの話なんだけど』
『絶対、秘密よ』
という枕詞と共に5Gの速さで世間に広まっていく。
母親とは、息子の成長を他人に話したがる生きものなのだ。
『うちの息子、ロリプラの美惑ちゃんと付き合ってて――』
と、秘密にしておく事が困難な爆弾を他人に押し付けるのだ。
階段を降りて、良太の自宅まではおよそ30歩ほど。
築10年。二階建ての4LDK。
「ただいま」
と何食わぬ顔で玄関を開けた。
「おかえり」
キッチンから母の声と共に、カレーの匂いが漂ってきた。
お分かりいただけただろうか?
美惑が住んでいるアパートと良太の自宅は同じ敷地内にある。良太の両親が経営しているアパートに美惑は住んでいるというわけ。
つまり、美惑と良太は同じ高校の同級生であり、大家の息子と住人という関係でもある。
美惑の母親と良太の母親は幼馴染で、共に九州の出身。
結婚後も遠距離ながら、付き合いは続いていたようで。
東京に出て、アイドル活動をするという娘のために、母親が安心できる住まいをと用意したのが、ここ。
二階の一番奥の部屋。
オートロックもない小規模なアパートは、一見物騒に見えるが、都心から離れた静かな住環境は、治安がすこぶるいい。
近くにでーんと警察署が構えているのもポイントが高い。
お陰様で、満室。
息子と同い年でありながら、一人暮らしで自炊をする親友の愛娘である美惑を気にかけ、ちょくちょく夕飯に呼ぶのだ。
前述した通り、美惑は売れっ子のアイドルなので、夕飯時に在宅していない事ももちろん多い。
そういう時は丁寧にタッパーに詰めて、ドアノブにぶら下げて置くという献身ぷり。
よく言えば社交的。悪く言えば八方美人な美惑は割と誰からも可愛がられる。
愛嬌のある言動は良太の母親をも魅了しているのだ。
キッチンのテーブルにはスライスされたゆで卵がトッピングされたポテトサラダとカットされたフルーツの盛り合わせ。
父親の晩酌用のチーズやサラミが乗っていて、毎晩の事ながら賑やかだ。
「良太おかえりー」
リビングからの声。
「ただいま」
黒髪オールバック。整えられた顎髭。上下グレーのスウエットで現れたのは、父親の隆司45歳。
父は別にニートでもなければアル中でもないが、一日中家にいる。
アパートの家賃収入だけで、三人家族の
「今日は美惑ちゃんは来ないのか?」
「いや、もうすぐ来るだろう」
「あんた、なんで知ってるの?」
法子の目が大きく見開いた。
じんわりと変な汗が毛穴からにじみ出す。
「あ、いや、あああの、テテテス、テスト前だし、今日は家にいるかなって」
「はぁ~ん?」
母親の勘はするどい。
息子の脳内など全てお見通し。
「あんたまさか……」
ずいっと良太に詰め寄る。
こんなタイミングで美惑との事がバレては困る。
息子が、自分のお気に入りの美惑をふって、他の女子に乗り換えようとしてるなんて事がバレたら、どんな仕打ちを受けるかなど想像に固くない。
「盗聴してるんじゃないでしょうね!」
ズコッ。
ズコーーーー!!!!
「するわけないだろ!!!」
「もしかして盗撮?」
「してない!!」
「犯罪ですからね!」
「だからしてないっていってんだろ!」
――それ以上だよ、母さん。
ガチャっと玄関ドアが開く音がして「こんばんはー」と美惑の声。
「はーい。美惑ちゃん、おかえりー」
法子の態度は一変。玄関に向かって愛想よく猫なで声を出し、カレーの大鍋をかき混ぜる。
「良太! ごはんよそって」
「はいはい」
「パパは取り皿出して。ビールも自分で出してちょうだい」
隆司は美惑の登場にニヤけながら、ちんたらと取り皿を並べる。
「私も何か手伝いましょうか?」
美惑は法子の隣に立ってカレー鍋を覗き込んだ。
「いいのいいの。もう全部終わったのよ。美惑ちゃんは座ってて。いつも疲れてるでしょ」
「あ、そうだ。実家から新米がたくさん送って来てたんだ。法子さんとこにも持って行くようにって、母が……。ちょっと取ってきますね」
その時だった。
テレンテレン テレンテレン♪
ポケットの中でスマホが派手な着信音を鳴らした。
取り出し、スクリーンを確認して、良太は複雑な感情に襲われた。
嬉しさと、気まずさと、恐怖……。
スクリーンに映し出された名前は、今もっとも良太の中で光り輝いている女子。『白川いのり』だったのだから――。
「ちょっとごめん」
咄嗟に、美惑の視線から逃れるようにその場を離れた。
階段を駆け上がり、自室へと飛び込む。
「もしもし」
『双渡瀬君。ごめんね、突然電話しちゃって』
「ううん。いいよ、どうしたの?」
『今日ね、スマホ新しく替えて、それでね』
「うん」
『新しいスマホで、一番最初に、双渡瀬君に電話かけたかったの。やだ、ごめん。私、何言ってるんだろ……』
かわいいーーーーーー。
いつも学校ではツンとすましている白川が、良太の前でだけデレるのだ。
「いや、全然あやまる事ないよ。そういうの、なんていうか、嬉しいよ」
素直にそんな言葉が口を突いた。
『それだけだったの。後でDMするね』
「うん。できるだけすぐに返信するよ」
通話を終了し、スマホをポケットに戻しながら振り返って、思わず仰け反った。
「うお! 美惑!!」
いつからいたのだ?
「お米取りに行くっちゃけど、持って来るの手伝っちゃらん?」
いつも通りの笑顔で小首を傾げた。
「ああ、そっか。うん、わかった」
どうやら、バレてなさそうだ。
玄関を出て、美惑の部屋に向かう。
そろそろ師走に入ろうかという時期にも拘わらず、本格的な寒さは遠く、夜風は優しかった。
スタスタと歩く美惑。その後ろを歩きながら、スマホの着信が気になる良太。白川からDMが届くのだ。ついそわそわしてしまう。
「良太?」
美惑はそう言って、突然立ち止まり、こちらに振り返った。
その顔からは笑顔が消えている。
殺気すら漂っている。
「はい? な、なに? 突然」
一歩、二歩と良太に近づいた美惑は、いきなり胸倉を掴み、強く引き寄せた。
「ヒィ!」
そして、こう凄んだのだ。
「
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