第3話 揺れ動く想い
時刻は23時。
針の
良太は自室で、狭いパイプベッドに寝転がり、鬱気味の気分を持て余している。
帰り際、良太を睨みつける美惑の瞳は、今にも涙で歪みそうだった。
故に、ついに言い出す事ができなかった。
しかし、これは浮気じゃない。
白川いのりとはまだ何も始まっていないのだ。
スマホのロック解除だけは死守したので、相手までは特定されていないが、特定に至るまでには、ちゃんと話さなければ――。
スマホのスクリーンに美惑宛ての連絡先を映しては消し、時間だけがすごいスピードで流れていく。
二階の自室の窓からは、美惑の部屋の灯りが見える。
時々横切る影を見ながらため息を吐いた。
白川に突然屋上に呼び出され
「双渡瀬君が、好き。好きです」
と、告白されたのは、つい一ヶ月前の事だ。
「ごめん、なさい」
咄嗟の事で、謝る事しかできなかった。
「そっか。他に好きな人がいるよね。でもいいの。好きって気持ちを伝えたかっただけ。だから謝らないで」
「いや、そうじゃなくて。ちょっと待ってほしい」
そう言ったのは、良太の気持ちも白川に揺れていたからである。
その伏線は八ヶ月前に遡る。
桜が満開を終え、見事な桜吹雪を降らせていた頃だった。
良太が通う、私立
ごく普通の私立高校である。
校則はゆるめで、制服の着こなしは自由。
メイク、カラーリング、アクセサリー、アルバイト等も自由。
一見、ちゃらんぽらんでバカが多そうな学校だと思われがちだが。
普通科の進学率は99%と、都内屈指の進学校なのである。
そして、そのクラスには二種類の男子生徒がいる。
童貞と、非童貞である。
良太は非童貞でありながら、童貞のふりをせざるを得ない。
なぜなら、経験済みと公言すれば相手は誰だとしつこい尋問が始まるのだから。
明かせるわけもなく。
仮に明かしたとしても、特色科芸能コースの黒羽美惑だなんて言ったら、妄想だと笑われるに決まっている。
相手を明かさなければ変に勘ぐって調べられたり……。
人間ってやつは、秘密にすればするほど、知りたくなる生き物なのだ。
童貞のふりをしておく事こそが正解である。
正にあの日。
学力テストを明日に控えた放課後の事。
どうやら春休み中に、童貞卒業をキメたらしいクラスメイト、サッカー部の並野修斗の体験談にクラスの男子たちは色めきだっていた。
「女のアソコってはちみつみたいな味なんだろ?」
モブ童貞の田中が身を乗り出す。
「そんなわけないだろ」
並野は鼻で笑ってドヤ顔をみせた。
「で? で? 最後までヤったの?」
「ふふ、まぁ、な」
ウザい。
良太はしらけた気持ちを押し殺し、並川の幼稚な初体験談に耳を傾けているふりをしていた。
「じゃあさぁ、女のアソコってどんな味がするんだ? なぁ、教えろよ」
ヒワイ、もとい岩居がそんな質問をした時だった。
ガシャーーーーンと派手な音が教室に響き渡ったのだ。
振り返ると前方の机がひっくり返り、プリントが散乱していた。
その様子に、童貞たちは息を呑み、釘付けになる。
慌ててプリントを拾っているのは、クラスで一番の美少女、白川いのりだったのだから。
良太は咄嗟に白川に駆け寄った。
「大丈夫? 怪我はない?」
そう言って、倒れてる机を起こし、床に散らばったプリントを拾い集めた。
教室には数人の男子生徒がいたにも拘わらず、動いたのは良太だけだった。
「ちょっと貧血気味で、よろけちゃった。でももう大丈夫、いつもの事なの」
今思うと、非童貞というステータスだったからこそ、咄嗟に白川に駆け寄れたのだと思う。
白川が発する高嶺の花オーラに、多くの男子生徒は恐れ多くて近づく事すらできないのだから。
「学級委員大変だね」
そう言うと、白川は首をよこに振り、きっぱりと否定した。
「そんな事ないよ。今日はテスト前で、たまたま残ってたのが私一人だっただけ」
そんな事はない。
白川は成績も優秀だが、人一倍仕事ができる。一年から持ち上がりになった担任教師も、きっちり仕事をこなしてくれる白川に頼りっぱなしなのだ。
「あ、そうだ、あれ、運ばなきゃ」
教室の角に置いてあった段ボールの上に、集めたプリントを乗せて、うんしょと持ち上げた。
「それ、職員室に持って行くの?」
「ううん。視聴覚室」
「俺、持つよ」
「え? いいよー」
遠慮する白川から、半ば強引に奪い、一緒に視聴覚室へと運んだ。
思えばそれがきっかけで、白川との距離が近付いたのだ。
とはいえ、なぜ、白川みたいな何もかもが完璧な女子が、良太を好きになったのか。
それは謎と言わざるを得ないだろう。
【Side-白川いのり】
いのりは自室の勉強机に座り、「うーーーん」と頭を抱えていた。
テスト勉強の最中なのだが、悩んでいるのは導関数と積分の基本的な概念ではなく、良太に贈るメッセージの内容である。
机の脇に置いたスマホを手にして、明るくなったスクリーンをまた暗くする。
そんな事を繰り返していた。
コンコンとノック音の後、そっと遠慮がちにドアが開いた。
「入るわよ」
母の恵が夜食を持って来てくれたのだ。
「おからのスコーンを焼いたの。低カロリーでお腹も満足できるわ」
優しさを纏った甘い匂いが鼻腔をいやす。
「ありがとう」
深夜12時を迎えようかとしている時間にも拘わらず、恵は完璧なメイクに、しゃれた部屋服を着ている。
お風呂上りも、いつも必ずメイクをする。
「パパはまだ帰って来ないの?」
いのりが尋ねると、恵は不器用に口角を上げた。
「もうすぐ帰るんじゃないかしら」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、丸いトレーを抱きしめた。
大らかで、優しくて、明るくて……。
いつも幸せそうに笑っていた母。
この頃は、その表情はどこか苦しそうで胸が痛くなる。
父、明憲の不倫が発覚してから3年。
それでも恵は、明憲を愛しているのだ。
だからこそ、いつも嫌われないように、自分を美しく取り繕うのだろう、といのりは思う。
何せ、明憲は国内に50店舗の美容系サロンを展開している剛腕。
その上、才色兼備で娘の目からもその色香は見て取れるほど。
高身長、高収入、高学歴。その上、見た目は芸能人並みとくれば、女性にモテるのは仕方がないし、母がそんな父から離れる事ができないのも仕方がない。
どんなに辛くても、寂しくても、妻の座から降りるわけにはいかないのだ。
そんな両親を見てきたからこそ、いのりは固く心に決めている。
父のような男だけは、絶対に好きにならない!
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