第4話 運命だって信じてる

 Side-美惑


「けぷっ。ふー、お腹いっぱい」

 自宅に戻り、ほわんとしたファー付きのミュールを脱いだ後、揃えて撫でた。

 ふわふわと手に纏わり付く感触は実家で飼っていたウサギを彷彿させる。

「チムチム元気かな?」


 しんと冷えた部屋は、一層心を虚しくするから急いでハロゲンヒーターにスイッチを入れた。


 制服を脱ぎ、モコモコの部屋着に着替えて、ぎゅーっと自分を抱きしめる。


 トロトロで甘口のカレーの余韻。お気に入りのミュールに、いつも幸せをくれるモコモコ。じんわりと温まるハロゲンのオレンジ。それらで凹んだ心の穴を埋めようとしていた。


 バラの絵柄で埋め尽くされたカーテンの隙間からそっと向こうを覗くと、良太の部屋の灯りが見える。

 今頃、誰か他の女とデレデレと鼻の下を伸ばして、電話でもしているのだろうか?

 それともチャット? DM?

 ――バカ! バカバカバカー!! 良太のバカ!!


 黒いハート型のローテーブルの上には、良太がやり残していた課題のノート。

 食べかけのプリン。

 ベッドの上に散乱するエッチな痕跡。

 それら全部まとめてごみ箱にぶち込んでやればこの苛立ちは治まるだろうか?


 否!


 美惑はクローゼットの奥から小さなスーツケースを取り出した。

 ピンクの光沢を放つハードケースの中には、どんなに悲しい事があっても元気と勇気をくれるアイテムが入っている。

 おもむろにファスナーを開けて、蓋を上げる。


 毎年、律儀に双渡瀬家から送られて来ていた年賀状は全部で16枚。それらすべてに良太の姿がある。

 お正月の楽しみと言えば、これだった。

 毎年一枚ずつ増える年賀状が美惑の宝物になっていった。


 それらを一枚ずつ振り返った後、小さなアルバムを取り出した。

 深い青。金の刺繍が施されているベロアの表紙を撫でて、ページをめくると生まれたての赤ちゃんが二人並んでいる。


 薄いピンクの産着を着た美惑。

 その隣で指を咥え、目をぎゅっと閉じているのは良太である。


 二人は同じ産院で生まれた。


 偶然にも、里帰り出産をした良太の母親と美惑の母親は、同じ産院で同じ日に出産したのだ。


 僅かに早く生まれた良太は心なしか美惑より一回り大きく感じる。

 誕生日が来る度に、母はこの時の話をしてくれた。


 ――小学校からの同級生とね、たまたま同じ病院だったの。驚いたわよ。久しぶりに会った法ちゃん、全然変わってなくて。

 向こうが男の子でうちが女の子。

 将来は結婚させよう! なんて気の早い話で盛り上がったのよ――


 そんな話を聞かされて育った美惑は、ずっと良太を運命の人だと信じていた。


 もちろん今でも信じて疑わない。


 福岡の山沿いに住んでいた美惑は、毎年送られてくる年賀状でしか見た事がない良太に、ずっと思いを寄せていた。


 アイドルを目指して、歌やダンスを頑張ったのだって、東京に出て良太に会うためだったのだ。


 テーブルに置いたスマホを取り、無料通話アプリで良太に電話をかけた。

 すぐに画面にエラー表示。

『通話中のため応答できません』の文字。


「ふんぎゅーーーーーーー。良太ーーーーーー!!!」


 怒りのあまり、目尻から涙がこぼれた。


 再びふわふわのミュールに素足を入れ、玄関を出た。

 気が付いたら、階段を駆け下りていた。

 良太の部屋の窓の下から、何度も電話をかけたがやはり通話中で繋がらない。


 一体誰と電話してるのだろうか?

 相手は女に決まっている。

 同じ学校の生徒だろうか?


 足元の小石を拾い、良太の部屋目がけて思いっきり投げた。

 コツンと音がしたが、どこに当たったのかわからない。


 ガラガラっと空いたのは、良太の部屋の窓ではなく、一階のベランダだった。


「あら。美惑ちゃん?」


 薄明るい街頭に照らされた美惑を見つけたのは、法子だった。


「おばさん……」


「どうしたの、そんな恰好で? 寒かろうもん。風邪ひくよ」

 久しぶりに聞く博多弁が懐かしくて、じんわりと瞼が熱くなる。


「お母さんが恋しくなったと?」


 美惑は首を横に振った。


「いいえ」


 何かを察したように、法子はベランダのサンダルをつっかけて、降りて来た。


「上がんなさい。ちょうどお茶を入れようと思ってたのよ」

 温かくて柔らかい手が背中を温めた。


「あらあら、こんなに冷たくなって」


「すいません」


 法子に促されるまま、再び双渡瀬家の玄関をくぐる。

 美惑の部屋とはまたちがう温もりのある空間に、張り詰めていた気持ちが少し緩んだ。


 キッチンを通り抜け、リビングに入ると、他には誰もいない。

 法子は、大きな家具調こたつにスイッチを入れた。


「さぁさぁ、座って」


 もうすっかり我が家のようになっている良太の実家は秒針が進む音だけが響いていた。

 こたつに足を入れるとじわっと温まって「ほー」っと声が出る。


 コトっと小さい湯飲みが湯気を上げながら、美惑の前に差し出された。

 

「玄米茶。もう夜遅いけんね。うちに泊まる? ここにお布団敷いてあげようか?」


 法子は、美惑がホームシックに罹っていると思っているのだろう。

 幸いホームシックになど罹ったことがない。

 美惑の感情はいつも忙しくて、実家や母親が恋しいなどと思う余裕すらなかった。


「いえ、大丈夫です」


「そう。何か悩みでもあると?」


 美惑は思った。

 法子になら話してもいいだろう、と。

 親も公認になれば監視の目も今よりずっと行き届くし……。


「あのぉ、私、実は、好きな人がいて――」


 法子は驚いた顔で目を見開いた。


「へぇ、そう。え? もしかして……佐藤わたるとか、坂口リンタロウとか??」


 イケメン俳優の名前を先に出されると、なかなか言い辛くて、口ごもってしまう。


「いえ、あの……」


「気にせんでいいよ。おばちゃん、誰にも言わんけん」

 目をぱちぱちしながらこちらに身を乗り出し、耳を寄せた。


「えっと、実は、もう1年前から付き合ってて、りょ」

 ズダダダダダダダダダドスーーーン、という激しい衝突音に「良太」という言葉が遮られた。

 リビングから二階に続く階段の下に良太が転がっていて


「うー、いってーーーー」

 腰を抑えながら悶絶している。


「大丈夫?」

 という美惑の声に反応して手のひらをこちらに向けた。


「あんた何やってるの?」

 法子は意外と平常心だ。


「みりゃわかるだろ。階段から落ちたんだよ、いってー」

 そう言いながら、何やら意味深に視線をこちらに向けて来る。


「もう、本当に間の悪い子ね。今、大事な話してたんだから。さっさと寝なさいよ」


「いや、明日、数学と物理のテストだからさ。まだ寝れない。ちょっと腹減った。ラーメンでも食おうかな」

 腰をさすりながら、美惑の対面に座り込んだ。。


 法子が不満げな顔で良太を見遣る。


「なに? ラーメンぐらい自分で作りなさいよ」


「え? やだ。作ってよ」


「いやよ。何時だと思ってるのよ」


「かわいい息子のためでしょ」


「バカ言わないで。かわいい息子にこんな時間からラーメンなんて食べさせられるわけないでしょ」


「私作ろうか?」

 つい、口を挟んでしまった。


「いいのいいの。美惑ちゃんは座ってなさい。ったくしょうがないわね」

 法子はいやいや立ち上がり、キッチンへと向かった。


 不意にできた良太との時間に少し戸惑う。


「良太……」


「……」


「ずっと電話してたんだよ。全然繋がらんかった」


「そう。ごめん」

 良太は取り繕う素振りも見せず、そんな言葉をぼそっと発した。


「誰と電話してたん?」


「ちゃんと話すよ。ずっと話そうと思ってた」

 いつになく真剣な顔……


「……やだ」


「後で電話するよ。だから部屋で待っててほしい」


「やだ! 良太のバカー!!」

 思わずそう叫んで立ち上がり、玄関に駆け出してしまった。


「あら? 美惑ちゃん? どうしたの?」

 法子の声に反応する事ができない。


 ――ごめんなさい。


 わかってしまった。

 良太がずっと何を言おうとしていたのか。


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