Episode6

第1話 一か八かの賭け

 一度、麻酔から醒めたらしい美惑は、良太が病室に入った時にはもうぐっすりと眠りについていた。

 ベッドの上に取り付けられたネームプレートがなければ、誰も美惑だとわからないであろう痛々しい姿で――。


 腕に繋がれている点滴。

 頭を覆おう白い包帯。

 内出血で青あざが出来ている目元。

 薄いピンクのガウンの胸元からも包帯が覗いている。


 医者が伝えた所見で、安易に考えていたが、その姿は大きな怪我を負っているのだと良太に教えている。


「美惑」

 小さな声で名を呼んだが、反応はない。

 ナースは痛み止めの点滴を打っていると言っていたので、そのせいで深い眠りについたのだろう。


 法子は自分が美惑に付き添うと言ったが、明日の朝早くに美惑の母親が福岡からやって来るというので、今夜は良太が付き添う事にしたのだが、何をどうしたらいいのかわからない。


 とりあえず、ベッドの横に添えられている丸椅子に腰かけた。


 美惑の口元は何か言いたげにもごもごと動いている。

 耳を寄せてみると


「ばか……りょ……た、ばか」

 と言っていた。


 それを聞いた瞬間、緊迫感からの疲れと安堵が一気に押し寄せて眠気に襲われた。




 Side-美惑


 耳元をかすめる穏やかな寝息。

 住み慣れた我が家のように安心感を与えてくれる匂いと温もり。

 瞼のすぐ向こう側で、良太が眠っているのだとすぐに察してにやけずにはいられなかった。


 ――勝った! 白川いのり、ざまぁ。ふふ。


 美惑は、達成感で満たされた気持ちで薄く目を開けた。

 カーテン越しの柔らかい陽光が、視界をペールイエローに染め上げる。

 真っ先に、美惑の顔のすぐ横で、座ったまま突っ伏している良太の姿が目に入った。


 と同時に、張り詰めた気配を感じて、大きく目を見開いた。

 急に強く感じたムスクの香り。

 その正体はすぐにわかった。


「社長!」

 目線の先には仕立てのいいスーツに身を包んだ事務所の社長が、困った顔で腕組をしていた。


 ふーっと鼻からため息を吐いて

「この坊やなの? あんたをメンヘラにした憎い男は」

 そう言って、隣で眠る良太に視線を落とす。


 慌てて起き上がろうとして全身に痛みが走った。

「うぅっ……いったー」


「いいのいいの。無理しないで寝てなさい」


「すいません」

 声を出すと、思いのほか頭に響く。


「忘れたわけじゃないわよね。アイドルたる者、恋愛禁止。アイドルを名乗る以上、その心は支えてくれるファンに捧げる物よ」


 社長の言葉は厳しいが、口調は柔らかく温かかった。


 しかし、美惑にとってその言葉は何よりも重く、煩わしい。

 好きでアイドルになったのだ。

 そんな煩わしい世界を選んだのは他の誰でもない、自分なのだ。

 それなのに、今はアイドルという肩書が美惑に大きな影を落としていた。


「とは言ってもね、そんな物はきれいごとなのよ。17歳って言ったら一番純粋に恋しちゃう時。無条件に本能がそうさせるんだから仕方ないわ。そしてその恋がこれからのあんたを輝かせるの。全てを犠牲にしろなんて言わないけど、上手くやんなさい」


 社長はそう言って、部屋の角に置かれている丸椅子をベッドの脇に寄せて座った。


 さも、大事な話があるかのように。


「朱理ちゃんから連絡もらったわ。あんたを引き受けたいって。あんたはどうしたい?」


「私は……その……、まだわかりません」


「ソロでの活動、したいって言ってたわね」


「はい」


「いいわ。怪我が完治して世間が落ち着いたら、ソロでデビューさせてあげる。実力派アイドルとしてね」


「え? 実力派……?」


「あんたには、アイドルとしての才能があるの。あたしはね、こんな事であんたを潰してしまうほど馬鹿じゃないのよ。ましてやおいそれと、朱理なんかに渡すもんですか。あんたはね、これまでうちで育てて来た子たちとはわけが違うのよ。30年、いや50年に一人出るか出ないかの逸材。マスコミなんかに絶対に潰させないから安心してついてらっしゃい」


 社長はそう言って、内ポケットから白い封筒を取り出した。


「少ないけどお見舞い。怪我が治ったらしばらく海外にでも行って、気分転換するといいわ」


 そう言って封筒を布団の上に置き、立ち上がった。


「ここだけの話よ。恋するなとは言わない。けど、今回みたいなバカな事は今後一切やめてちょうだい。生きてたから大目に見るけど、死んでたらあんたの親に損害賠償請求沙汰だったわよ。わかったわね? あんたはうちの事務所の財産なのよ」


「……はい。ありがとうございます」


 社長は満足げに口角を上げると、忙しなく病室を後にした。


 と同時に、むっくりと良太が体を起こす。


「……おはよ」


 気まずそうにそう言って、うつむいた。

 頬にはくっきりと、手の甲の型が付いている。


「おはよう。聞こえてた?」

 そう訊ねると

「うん」

 と頷き、更に気まずそうに外を見た。


「色々と大変なんだな、アイドルって」


 他人事みたいにそんなセリフを吐く。


 その時。


 扉が開き、ナースが入って来た。


「黒羽さーん、気分はどうですか?」


 そう言いながら、カーテンを開ける。


「悪く、ないです」


「そう。それはよかった。お熱と血圧を測りますね」


 良太はその言葉が合図かのように立ち上がり、ベッドサイドをナースに譲る。


「もうしばらくしたら診察があります。問題なければ退院になりますが、肩も骨折してるので、松葉づえはつけません。なのでしばらくは車いすになりますよ」


 いいながら、テキパキと検温し血圧を測定した。


「26日から学校の冬合宿で軽井沢に行くんですけど、行けますか?」


 そう訊ねると、ナースは一瞬止まって美惑の顔を見た。


「あ、ああ。えっと、診察の時、先生に訊いてみましょうね」


 態度が気になった。


「私、何か変な事言いました?」


「え? いえ。別に……」


「変ですよね? 死のうとしてた人間が、冬合宿を楽しみにしてるなんて、変ですね」


 ナースは察した様子で、薄く笑った。


「いいえ。気持ちはわかりますよ。後先考えずに、一か八かの賭けに出たい時、私もありますから」


「一か八かの賭けなら、死ねなかった私は負けですか?」


「いいえ。勝ちです。あなたは心から死にたいと思っていたわけではないんですから」


 ナースはそう言って「じゃあ、失礼します」と部屋を出て行った。


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