第2話 再び地獄へ

 午前中に診察を終え、お昼には退院となり、これから美惑を連れて家に帰るところだ。


 病院のエントランスを出ると、すでに高く昇っている太陽がポカポカと外気を温めている。


 燦々と輝く太陽を、美惑は見上げる事もせず、足元ばかりを見ていた。

「いい天気でよかったね」

 車椅子を押しながら良太がそう話かけると、不貞腐れたまま浅く頷く。


「仕方ないだろ。その怪我で三泊四日はさすがに無理だよ。自力で歩けないわけだし」


 冬合宿への参加は、さすがに医者に止められた。

 せいぜい、最終日の一日のみならどうにか許容できる範囲だそうだ。

 医者の懸念は頭部の裂傷だった。

 傷が完全に塞がり抜糸が済むまでは、シャンプーさえろくにできないのだ。


 妥当な見解だろう。


「お土産買ってくるからさ。元気出せって。早めに退院できただけでもよかったじゃん」


 気休めにもならない良太のセリフは、澄んだ空に霧散した。


「ねぇ良太」


 遠くを見つめて美惑が口を開いた。


「ん?なに?」


「お腹すかない?」


「そうだね。もう12時半だから。朝も食べてないし、さすがに腹減ったね」


「お昼、食べて帰ろうよ」


 美惑はそう言って、膝に乗せている白い封筒を見せた。

 今朝、事務所の社長がお見舞いだと渡した物だ。


 こんな事聞いていいのかわからないが

「いくら入ってたの?」


 確か、海外でも行って気晴らししなさいと言っていた。


「100万」


「えええ??? マジか……」


 あの雰囲気からしてポケットマネーだよな?

 芸能事務所の社長のポケットはなんて太いんだ。


「パンケーキが食べたいな。ふわっふわで生クリームたっぷりの」


「え?」


 気のせいか?

 なんだかデジャブに襲われた気分なんだが……。


「パン……ケーキ……ねぇ。えっとー、この辺だったら……」

 そこら辺を見回すと、目線の先にちょうど良さげなファミレス、どっきりビンキーが見えた。


「あそこいこうか? どっきりビンキー。あそこなら確かパンケーキもあるしハンバーグもあるぞ」


「空のコーヒーがいい。空のコーヒーのパンケーキが食べたい」


 空のコーヒー……。

 さすがに変な汗が染み出して来る。

 本来なら今日、白川とデートするはずだった場所だ。

 なんだ? この歪なシンクロニシティは……。


「いやぁ、ちょっと遠いだろ」


「そっか。徒歩じゃ無理か……。車いすだとバスもめんどいしね」


 美惑の沈んだ声に、うしろめたさが重なる。

 車いすの上で背中を丸める美惑は、なんだか更に一回り小さくなったようで、胸の奥を締め付ける。


「いや。これも経験だ。バス乗ってみるか」


 車いすは折りたためるし、美惑は添え木をしているが立てない事はなく、少しなら自力で歩ける。

 そして、包帯だらけで顔に青あざという見た目で、美惑だと気付く一般人は先ずいないだろう。

 美惑のメンタルが少しでも回復するなら、これぐらいの面倒は買って出てもいい。


「本当?」

 美惑は嬉しそうに顔をほころばせた。


「よし、行こう!」


 少しでも美惑を元気にしたくて、良太は車いすを勢いよく走らせる。

「きゃあーーーーーー。早い、早いよ、良太ーー。こわいこわいこわい」

 まるでジェットコースターにでも乗せられたようなリアクションに、良太も自然と笑いがこぼれた。



 病院の傍という事もあり、バス停には年寄りばかりで、ほどよく列ができている。

「そろそろバス来るね」

 大体5分置きに到着するバスは、どれに乗っても目的地へ行けるルート。

 美惑に肩を貸して立ち上がらせ、車いすをたたんだ。


 一見、ぎょっとするような風貌の美惑を、通行人はチラ見して通るが、足を止める者はいない。


「大丈夫そうだね」

 良太の肩を掴む美惑に微笑んだ。



 程なくして到着したバスに乗り込む。

 中ほどにちょうど二人分の席が空いていて、窓側に美惑を座らせ良太は通路側に座った。

 ここから5つ目のバス停が目的地だ。



 駅前通りが近付くにつれて、乗ってくる乗客も若者が増えていく。

 窓の外に顔を向ける美惑に、通りすがら目をやる乗客が目立ち始める。

 空席はないらしく、立ち客が通路でひしめき合う。


 ――どうか気付かないでくれ。気付いたとしてもそっとしといてくれ!


 心の中でそう願う。


 そんな良太の願いは、やはり届くはずもなく、バスの中はにわかにひそひそ話が蔓延し始めた。


「美惑じゃない?」

「マジ?! 美惑いる?」

「隣の男、あの子じゃない」

「けっこう怪我ヤバイね」

「自殺未遂だろ」

「リミッター載せたらインプ稼げんじゃね?」

「写真撮るの?」

「撮るに決まってるだろ」

「バカ、動画にしろ」


 一人がスマホを操作すれば、たちまちリテラシーは崩壊し始める。

 あからさまに、もしくは何食わぬ顔でスマホを向けて来る。

 それはまるで銃口のように、こちらを恐怖に陥れた。


 美惑はそんな乗客たちに気付かないふりをしながら、車窓を眺めるが、小刻みに震えているのが背もたれから感じ取れた。


 ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、良太は立ち上がった。


「良太……」

 心配そうな美惑の声に少しだけ我を取り戻す。


「すいません。やめてもらえませんか?」

 こちらに向けられたスマホに手のひらを向けた。


 できるだけ冷静に。

 可もなく不可もなく生きてきたスキルを活かして。

 できるだけ和やかに、できるだけヘラヘラと笑いながら。


「プライベートですし、今、退院したばっかりで、精神的にも安定してないんで」


 スマホのレンズが一斉に良太に向けられた。


「あー、いや、ちょ、ちょっと、すいません。やめて、やめてください」


 その時、後ろに座っていた、元気そうな年よりが、嬉しそうな顔で立ち上がった。


「おや、あのアイドルの子かい? 今朝テレビでやってたね」


 そう言って、スマホをこちらに向けた。


「やめろ!!」

 良太は思わず、そのスマホを乱雑に取り上げていた。

 

 テレビに出てる人間になら、何やったっていいのかよ。

 傷ついてようが、病んでようが、お構いなしかよ!!


「ひぃぃーー」

 大げさに仰け反って、座席に腰を沈めるばばぁ。


 こんな時ばかり弱者を盾にしやがって、ムカつくクソばばぁめ。

 取り上げたスマホをその乗客の膝にぽんと投げると、再び「ヒィ」と声を上げた。


 一斉に鳴り響くシャッター音。


 咄嗟に頭に血が上ってしまった事を後悔しても、もう遅かった。

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