第2話 殺気立つガチ恋勢

 Side-白川いのり


「んー、どれにしようかな?」


 クローゼットから、イブデートに相応しい洋服をあれこれと引っ張り出してはベッドの上に並べている。


 エメラルドグリーンのロングスカートに白のニット。

 深みのある赤のワンピース。

 シアーカットソーに揺れるプリーツスカート。

 それとも定番のクリスマスカラー? 白のワンピースに赤のピーコートを重ねようか。

 ファッションショーよろしく、全身鏡の前で着ては脱いでを繰り返す。


 12月23日。イブ前夜の事。

 

 双渡瀬君ちの火事は何かの間違いだったらしい。

 あの日、いのりは幸い、空のコーヒーで一応ケーキの予約をしておいた。

 前日までのキャンセルなら、キャンセル料はいらないそうで。

 もし都合が悪い時は、テイクアウトもOKとの事だったし。


「うん! やっぱりこれにしよう」

 透け勘のあるグレーがかったピンクのフレアスカートを腰に当てた時だった。


 ドンッ!! ドンッ!!!

 先ほどから、隣の部屋から壁を殴る音が一層大きくなり始めた。


「はぁ、全くもう」


 隣の部屋には、中学2年生の弟、陸翔りくとがいる。

 何やら荒れているのだ。

 音はドン! ドン! から、ガシャン、グシャンとエスカレートしていき、とても母には手を付けられない状態となってきた。


 母は恐らく一階のリビングで耳を塞いでいるに違いない。

 こうなったら、いのりの出番である。


 部屋を出て、壁一枚で隔てられている弟の部屋をノックする。


 コンコン。

 ドアに耳を付ければ「くそっ! くそっ!!」と声が聞こえた。


陸翔りくとー。どうしたの? 入るわよ」


 そっとドアを開けると、もわっと男の子特有の汗の匂いと共に熱気が襲って来た。

 床にはディスプレイしていたはずのCDケースが散乱している。

 パッケージには、可愛らしい女の子の三人組。

 今もっとも話題をさらっている『ロリータプラネット』だ。


 そうえば、陸翔はロリプラの翼ちゃんのファンだった。

 ファンだなんて言葉では足りない。『推し』というべきか『ガチ恋』と言うべきか。


「何があったの?」


 陸翔は机に突っ伏して必死で怒りを押し殺そうとしているみたい。


「ライブが、ライブが……」


「ライブ? ロリプラの?」


「中止になった」


「そっか……。それは残念だったね」


「あいつのせいだ。美惑が男との写真なんか撮られるから、エスカレートした連中が殺害予告とかしやがって」


 本来なら、今日はロリプラのライブだったはず。陸翔はとても楽しみにしていたのだ。

 お小遣いをずっと貯めて、リリースされたCDは全て買って、抽選でしか手に入らない握手券もゲットしていた。


「翼ちゃんに会いたかったんだね」


 いのりは陸翔の背中をトントンと優しく叩き、なだめる。


「クソ! クソッ」

 陸翔は握った拳を、ゴンゴンと壊れるほど机に打ち付けた。


「騒ぎが落ち着いたら、きっとまた行けるよ。ライブも握手会も」


 陸翔は突っ伏したまま大きく首を激しく横に振った。


「ダメだ。もうロリプラはダメだ」


「どうして?」


「俺にはわかる。美惑が抜けたらもうロリプラはお仕舞だよ」


「うーん。今は活動休止だそうだけど、辞めるわけじゃないし、そのうち活動再開すると思うよ。美惑さん、学校でも元気そうだったよ」


 とは言った物の、活動休止が決まったのはついこの間の事。

 無期限なんて枕詞を付けられるとファンとしては絶望的な気持ちになるのだろう。

 再会の目途なんて、まだまだ先の話になりそうだし。


 いのりは、陸翔が突っ伏している机の前のカーテンを開けた。

 外はとっくに日が暮れているが、夜風に当たれば少し頭も冷えるかもしれない。


 ガラガラっと窓を開けると、夜風が暖房の効いていた部屋を一気に冷やした。

「今日はいいお天気だったから、星が見えるかも」


 色の濃くなった空を見上げようとした時――。


「あれ? あの人達、何してるのかしら? 陸翔、お友達?」

 門の向こうに数人の若い男の子が仕切りにこちらに向かってスマホを構えているのが視界に映り込んだ。


 こちらに気づいた様子で、仕切りに何か叫んでいるが、何て言ってるのかよく聞こえない。


 陸翔の友達にしては大人びているかもしれないが、ゲームやネットの世界で広い交友関係を持つ弟の事だ。

 きっと、友達だろう。

 何の警戒心もなく、いのりはそんな風に考えた。


 陸翔はいのりの言葉につられて、突っ伏していた顔を持ち上げて、外を見た。


「誰? 俺、知らない」


「カーテンが開いたぞー! 誰かこっちを見てるぞー」


 そんな言葉が聞こえた。


「え? どういう事?」


「ねーちゃん、カーテン閉めた方がいいかも」


 茫然としながら、陸翔はそんな事を言った。


 確かに、スマホをこちらに向けていると言う事は、写真だったり、動画だったりを撮影している可能性がある。


 心臓が急に騒ぎ出し、慌てて窓とカーテンを閉じた。


 その時、陸翔のスマホが短く震えて何やら通知を告げる。


 おもむろにスマホを操作する陸翔の顔色が変わった。


「ねーちゃん。ヤバい事になってる」


「え? なに?」


「うちの家の写真がリミッターに拡散されててバズってる」


「え??? どうして?」


「なぜか……美惑の家だと思われてるみたい」


 そう言って陸翔が差し出したスマホのスクリーンには、確かに我が家が映されていて本文にはこう書かれてあった。


『ロリ〇ラみ〇くの自宅特定』


「ライブが中止になって、ファンはみんな殺気立ってるんだ」


 陸翔のセリフはいのりの背筋を凍り付かせた。


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