第5話 寝耳に水
陰湿にざわめく生徒たちの声に、美惑は気付いているのか気付いていないのか、クラスの男子達に愛想よく手を振り、芸能コースの列にぴょんと同化した。
熱愛スキャンダルという物は、不倫とかでなければファン以外にはどうでもいい事なのだ。
従って、今ここで、美惑に攻撃的な目を向けている女子たちは、朱理のファンという事になる。
にしても――。
短期間の間に2度も違う男とのスキャンダルで、SNSを騒がせた美惑の株は、一気にダダ下がりだろう。
アイドル失格の烙印を押されかねない。
早い所、良太自身が美惑のためにも声明を出す必要があるが。
良太の懸念は、やはり朱理だった。
――あいつはなんでだんまりなんだ?
美惑の事務所はホームページに声明文を出していたというのに。
世間の関心はもっぱら良太より朱理だろう。
良太の方は、というと。
隆司が顧問弁護士に相談して、事態の収束を急ぐと言っていたから、今頃はもう動き始めているはずだ。
間もなく、ネットからはあと形もなく良太関連の写真は消えるだろう。
これ以上しつこく追い回すなら、法的手段も辞さないと、隆司は息巻いていた。
「さて、それでは、2学年全生徒によります冬合宿の説明会に入りたいと思います」
という、教師の合図で各担当の教師たちが動き始める。
正面のスクリーンに、つまらない資料がプロジェクターで映し出される。
合宿初日と二日目は、模擬試験という事と、およそ8割は学習強化のための時間を取るという説明に、生徒たちは「うへぇー」とうんざりした悲鳴を上げた。
しかし、三日目のオリエンテーションの説明に入り、ようやく項垂れていた顔を生徒たちが上げたのは、説明会も佳境に入った頃だ。
三日目は毎年恒例、宿泊施設と直結しているスキー場で、スキーにスノボー。
眠くなるようなつまらない説明会も、ようやくそのフェーズに来て、目が冴える。
「その前にー、合宿を一緒に盛り上げてくださる臨時講師の紹介をしたいと思います」
マイクは教頭の手に渡された。
臨時講師?
そう言えば毎年、話題性のある有名人や著名人が臨時講師として数人招かれている。
ミュージシャンだったり、デザイナーだったり、有名作家だったり、政治家だったり……。
それぞれの分野で人生を豊かにする学びとやらの講義をするのだ。
この日まで、誰が来るのか非公開。
「先ずは、フォロワー100万人超えを有するインフルエンサーであり実業家の剣崎誠さんです」
名前を呼ばれ、颯爽とステージの裾から出て来たのは、青いスーツに身を包んだいかにも金持ちそうなイケメンである。
きぃやーーーーーーと黄色い歓声と拍手が沸き上がる。
良太は知らない人物だが、有名人らしい。
しかも女子の色めき立ちを見る限り、特に女性に人気なのだろう。
結局、金があって顔のいい男が勝つというエビデンスか?
剣崎がステージ中央で少しはにかみながらお辞儀をすると腰を低くした教頭がマイクを渡した。
「えー、初めまして。僕の事知ってる人いる?」
剣崎はそう言って小さく右手を挙げて見せた。
半分ぐらいの生徒が勢いよく手を挙げる。
「おおー、ありがとう。誰も知らなかったらどうしようかと思っちゃった。えーっと僕は一日目の夜に、皆さんの宿泊施設にお邪魔して2時間ぐらいお話させていただきます。
僕は、十代の時に大きく人生を踏み外しまして、時間だけが死ぬほどある中で、今の地位を築きました。そんなお話をさせて頂こうと思ってます」
生徒たちの落ち着いた拍手が響く。
剣崎は再び頭を下げて、マイクを教頭に渡し、正面で横一列に並ぶ教師の隣に立った。
「続きまして、芥川賞受賞作家、元アイドルの海野ゆんさんです」
うおぉぉぉーーーーと歓声が沸き起こり。
戸惑いの拍手が響き渡る。
華やかな井出たちで登場した、どう見ても40越えの元アイドルに、みんな戸惑いを隠せない。
元アイドルっていう肩書いる?
海野がアイドルだったのは、恐らくここにいる生徒たちが生まれるだいぶ前の話じゃないか?
芥川賞受賞は、たぶんすごい事なんだろうけど。
「皆さんこんにちは。たぶん皆さんは知らないと思いますが、二十ウン年前ハニースィートレモンというアイドルグループにいました。多分、君たちのお父さんお母さんはよく知ってると思います。
当時の事を書き綴った小説が、この度芥川賞を受賞しまして、再び私の人生に光が当たりました。
諦めなければ夢は叶う! そんなお話をさせていただきたいなと思っています。
私は2日目の夜に、皆さんの宿泊施設にお邪魔する予定です」
そして深々とお手本のようなお辞儀をして、剣崎の隣に並ぶ。
歓迎の意を込めて、拍手を送った。
「続きましてー、若き鬼才。シンガーソングライターの朱理さんです」
「は? え? はぁぁぁぁああ????」
館内はうぉぉぉーーーと、ききぃぃぃぃやぁぁぁぁぁああが入り混じった歓声と同時に、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
前出二人に倣って、へらへらと笑いながら、あいつが出て来て。
ステージ中央で全員の顔を一通り眺めると、ひょこっと頭を下げた。
「は? え? 嘘だろー」
さっきまで、美惑にヘイトを向けていた女子たちの顔は紅潮し、目にはハートのエフェクトが飛んでいる。
「えー、こんにちは。朱理と申します」
興奮冷めやらぬ様子で、生徒たちは再び拍手を打ち鳴らす。
「僕は3日目の夜に皆さんの所にお邪魔します。最終日なので、皆さんと一緒に歌ったり、遊んだりできたらいいなと思ってます。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げて、海野の隣に並んだ。
この学校に、美惑がいる事を知っていて、臨時講師の依頼を受けたのか?
いや、依頼はスケジュールを抑えるために、3ヶ月ほど前にしているはずだ。
今まさに、この学校の生徒と、スキャンダルの渦中にいる人物だが、急遽の変更はできなかったのだろうか。
それとも学校はさほど重要視していないのか?
朱理の飄々とした顔をじーーっと見つめる良太。
「君! A組の双渡瀬君!」
教師の声にはっとした。
「何を突っ立てるんだ。周りを見なさい周りを」
教師の叱責でようやく気付いた。
良太一人だけ突っ立っていた事に。
座っていたはずなのに、いつの間に立ち上がったんだ?
生徒たちのバカにしたような視線が良太に集まっている。
焦りと共に、正面に顔を向けると、半笑いの朱理と目が合った。
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