第6話 スパイ

「驚いちゃったね。朱理が冬合宿の臨時講師だなんて」

 その日の帰り道。

 一緒に校門を出た白川は、良太を気遣うように、そう話しかけた。


「うーん、まぁ、俺にはあまり関係ないんだけどね」

 なくもない。大ありなんだが。白川に、あまり余計な気を揉ませなくて、そんな風に強がった。


「ねぇ、空のコーヒーに寄ってかない? ふわふわのパンケーキ食べたいな」


「え? ああ、うん! いいけど。空のコーヒーのパンケーキってやたらデカいよね。食べきれる?」


「もう~!」

 白川は少しふくれっ面を見せる。


「だーかーら! 一緒に行こう? 一人じゃ食べきれないから」

 上半身を斜めに傾けて、良太の前に顔を出す。

 長い黒髪がさらっと揺れて、ハーブの香りが鼻先をくすぐった。


 ――なるほど。シェアしようって事か。


「オーケーオーケー。行こう」


 と言う事で、最寄り駅近くのカフェを目指す事になった。


「あの噂って本当なのかな?」


「ん? どの噂?」


「美惑さんが朱理に枕とか。二人が付き合ってるとか……。みんな言ってたじゃん」


「嘘だよ」


「嘘なの?」


「そう。みんな知らないくせに適当な事言ってるだけだよ」


「ふぅん。双渡瀬君は知ってるんだ?」

 ふて顔で良太を睨む白川。


 ご機嫌になったり不機嫌になったり。

 その不機嫌の理由が良太にはよくわからない。


「実は俺も勘違いしてたから。それで彼女を随分傷つけてしまった」


「そっか。今日学校で見かけたけど、元気そうだったよ。気にしなくていいと思う」


 白川の言う通り、美惑は何も気に留めてない様子で、元気なのだ。

 良太の誤解が解けてからという物、世間の声など届いていないかのように。


 目的のカフェにたどり着き、少し重たいガラス扉を押す。

 落ち着いた音色のドアベルと共に、一瞬で目が覚めるような濃厚なコーヒーの香りが二人を包み込んだ。


「お二人様ですか?」

 お二人様という響きに、少し照れる。


「はい」

 そう言って、ちらりと白川の顔を盗み見ると、案外ツンとしていて余裕を感じる。

 自分だけが浮ついているようで恥ずかしい。


「こちらのお席へどうぞ」

 店員は仕切られた窓側の席に案内してくれた。


「なんかプライベート感あるね」

 ダークブラウンのパーテーションを眺めながらそう言うと


「プライベート感? 何それ?」

 と、コロコロと笑った。


 目的のパンケーキと自家焙煎のおすすめコーヒーを二つ注文し終え、しばし沈黙。

 二人掛けの小さいテーブルで、向かい合わせに座っているとなんだか恥ずかしくてつい視線が泳ぐ。


 先に口を開いたのは白川だ。


「私、つくづくアイドルなんてやってなくてよかったなーなんて思っちゃった」


「そう?」


「私も子どもの頃憧れた事あったなー。中学生の時、原宿でスカウトされた事もあるんだよ」


「へぇ、すごい。でも白川さんならわかるよ。世間がほっとかないでしょ」


「やだー、双渡瀬君ったら」


 白川は満更でもなさそうに頬を赤く染めた。


「美惑を見てたら、大変な事も多そうだけど、概ね楽しそうだったよ。いつも歌ったり踊ったり……」


「けど、堂々と恋できないなんて地獄だな」


「そっか?」


「私は、好きな人に堂々と好きって言いたいし、胸張って街を一緒に歩きたい。自分を応援してくれる人に嘘なんて吐けないし」


 真っすぐに良太を見据える白川の視線は眩しくて、なぜか後ろめたい気持ちが押し寄せる。


 今日、家に帰ったらリミッターで嘘を吐くつもりだった。

 美惑とは、親同士が親友の、ただの幼馴染で恋人などではないと。

 あの日はたまたまショッピングモールで鉢合わせしただけなんだと。


「嘘って、後々自分の首を絞めるよね。私はできれば嘘吐かなくていい人生がいい」


 白川はそういって、口の横にくっきりと笑窪を作った。


「お待たせしましたー、ふわふわ空のパンケーキとオリジナルブレンドコーヒーでございます」

 甘いバターの匂いに、一瞬にして心が弾む。


 店員がテーブルにパンケーキとコーヒーを丁寧に並べると。


「ありがとうございます」

 白川は店員の目を見ながら、そう会釈した。


「おいしそう」

 瞳を輝かせて、早速ナイフを握る。

 たっぷりと空気を含んで、しゅわしゅわと音をたてそうなパンケーキをセンターできれいに切り分けた。

 とろりと蕩けたバターがパンケーキの断面を伝って、真っ白い皿に広がった。


「こうしてさ、きれいに半分こできたらいいのにな」


「え?」


「双渡瀬君も」


「怖い事言わないでよ」


 良太の言葉に、白川は口を抑えてぷっと吹き出した。


「ホラーだったね」


「ホラーだよ」


「私、諦めないから。本当は半分こなんて絶対にイヤなんだ」




 Side-美惑


「ふんぎゅぅぅぅぅうーーーーー。私だって、半分こなんて絶対いやに決まってる」

 一足先に家に帰りついた美惑は、スマホを握りつぶす勢いで握りしめた。


 こっそり良太のスマホに仕掛けたスパイアプリは今の所順調に仕事をしている。


 今、まさに良太は白川と放課後デート中である。

 今すぐ乗り込んでやりたい気持ちをぎゅーーーっと押さえつけた。


 事務所の社長である山田についさっき、くれぐれも不要な外出はするなときつく叱られた所なのだ。

 スマホを握りしめたまま、ベッドに突っ伏して、枕に顔を押し付けた。


 ジーージーー。ジッジーー。

 スマホがメッセージ受信を知らせる。


 スクリーンには朱理の文字。


 通知をタップするとメッセージが表示された。


『風邪は治った? そろそろ声撮りできそうかい? もし可能なら今夜19時迎えに行くよ』


 美惑は戸惑う。

 活動休止中なのだ。レコーディングしてもいいのだろうか?


『社長に確認します。私、今活動休止中なので』


『社長には確認済み。問題ないよ』



Episode4 完

Episode5に続く。

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