第6話 知ってしまった呪い

 そこら中、と言ってもたかが知れている。

 この家の玄関は、ごく一般的な広さの玄関であるが、一応隅々まで目を凝らしてみる。

 うっかり入り込んでしまうような隙間もない。

 余計な履物はシューズボックスに仕舞ってあり、出しているのは良太のサンダルぐらいだ。


 確かその隣に、ついさっきまであったはずの靴の片割れが見事になくなっている。


 腕を組んで、眉間にしわを浮かべて考え込む白川。

 良太も同じ姿勢でしばし頭をひねる。


「一応……」

 そういいながら、サンダルを履いて玄関の外に出てみた。

 相変わらずの土砂降り。

 微熱を持った体には、飛沫がしみるほど冷たい。


 辺りに目を凝らすと……


「あった!」

 ちょうど敷地のど真ん中辺り。天に口を開けてぽつんとローファーが佇んでいた。


 良太は傘もささず飛び出し、急いで拾いあげ、玄関に戻った。


「あったー。あったけど、中がびしょぬれ」


「本当? ありがとう。助かった。けど、どうして外に?」

 白川は不思議そうに首をかしげる。


「どうしてだろう? 謎だね」

 良太も首をかしげて見せた。

 

「ちょっと待ってて、タオル持って来る」

 そう言い残し、洗面所に向かった。


 短い時間だったにも拘わらず、土砂降りの雨だったせいで、靴は中までびしょ濡れ。拭いたぐらいではどうしようもないかもしれない。


 こんな寒い日に、酷い事しやがる。

 一体誰がこんな事?

 もしかしたら、まだ犯人の痕跡があるかもしれない

 良太はタオルを白川に渡して、傘もささずにもう一度外に出た。

 辺りを見回してみるが――。

 犯人の痕跡どころか、ちらほらと住人が行き来しているだけで、野良猫すら見当たらない。

 

 ふと四階建てのアパートの二階を見遣る。

 一番端の部屋。210号室。

 美惑の部屋には電気が点いていた。


 あいつか!

 確信した!!


 ――ったく、幼稚な嫌がらせしやがって。


 白川を巻き込むつもりじゃなかった。

 申し訳ない気持ちがふつふつと湧き上がる。


「双渡瀬君、タオルありがとう。私自分の持ってたからそれ使った」

 白川は雨にぬれながら佇む良太に傘をさしかけて、タオルで頭や顔を拭いてくれた。

「はいこれ。ありがとう」

 そう言って、良太が渡したタオルを差し出した。


「風邪長引いちゃうよ。もう家に入って」


「なんか、ごめん。俺のせいだわ」


「ふふ。大丈夫。片足だけちょっと冷たいけど、平気だから。じゃあ、帰るね」

 そう言って、ひさしのある玄関前まで良太を送り届けると、背を向け歩き出した。


 片方の靴がぐちょぐちょに濡れているなんて、誰も気づかないのではないかと思うほど颯爽と。

 水玉模様の傘の下で、長い黒髪が揺れていた。


 白川は気付いているのだろうか?

 良太の彼女の仕業である事を――。

 けじめを付け切れていない恋人の存在を――。


 気付いてるわけ……ないよな。


 白川の背中が見えなくなったのを確認して、扉を閉めた。


 ぎゅるるるーっと腹が鳴る。


 軽くめまいまで襲って来る。


 キッチンに戻って、早速食事を温めようと冷蔵庫を開けた。

 そして、ひんやりと背中が冷たくなった。


 タッパーには丁寧に『美惑ちゃんの分』とマジックで書かれたメモが貼り付けてあったのだから。


「くそばばぁー、余計な事しやがって」


 白川はこれを見たのだ。

 だからあんな事……。


 ――じゃあ私はこれで帰るね。


 ――理由がなくなっちゃた。ここにいる理由。


 ――彼女でもないのに、男の子のお家に上がり込むなんて、ダメだから。




 Side-美惑


 ムカつく女!

 アパートの敷地から、うっすら笑いを浮かべながら沿道に出ていく女の姿を、カーテンの隙間から見ていた。

 ふっふーん。あの子が良太の浮気相手ね。

 どこの誰よ?


 同じ高校の制服だという事以外は、何もわからない。


 何がきゃー恥ずかしい、見られちゃう! よ!!

 良太のバカ!!!


 大きなスーツケースを引きながら、バス停に向かう良太の両親と出くわしたのは今朝の事だ。

「あら、美惑ちゃん。ちょっと痩せたんじゃないの? 顔色悪いけど大丈夫?」

 法子はまるで実の母親のような心配顔で美惑に声をかけた。


「動画の撮影が長引いちゃって、気が付いたら朝でした」


 学校にはとっくに欠席連絡を入れていて、ゆっくりと体を休める予定だった。


「私、風邪ひいても一日ゆっくり寝たら治っちゃうタイプで。なので大丈夫です」


 そんな風に強がった。


「風邪って言えばね。珍しく良太が今朝から熱出しちゃってて学校休んでるのよ。冷蔵庫に食事の準備してあるんだけど、心配で。美惑ちゃんの分も用意してあるから、よかったら夜にでも様子見といてくれない? あの子、強がってるけど本当は心細いと思うの。たまには一緒にご飯食べてあげて」


「わかりました。熱、けっこう高いんですか?」


「そう39度近く」


「そんなに?」


「全くこんな時に。間の悪い子」


 顔を合わせればきっと別れ話をされる。その瞬間だけは絶対に避けてきたのに。


 しかし、高熱なんて聞かされたらやっぱり心配になって、何度か家に行ってみたのだ。

 インターフォンを鳴らしても音沙汰なくて、玄関は鍵がかかっていて。

 心配は増すばかり。


 窓辺に頬杖をついて一日中うとうとしていた。


 ふと気が付けば19時前。

 さすがに良太が心配になり家に行ってみた。

 玄関は鍵が開いていて、そっと開けたら、あの女の靴が――。


 楽しそうに会話する声まで漏れ聞こえてきて、かっと頭に血が上ってしまった。

 片方だけの靴を握りしめて、濃灰色の空に向かってポーンと放り投げた。


「あした天気になーーーれ!」

 靴は見事に晴れをキメてくれた。


 そんな事したって――。

 心は晴れない。


「全然すっきりしない」




 Side-白川いのり


「美惑、美惑……」

 帰りのバスの中。窓側の座席に座り、どこかで聞いた事があるような名前を反芻しながらスマホの中に情報を探す。

 美惑なんて珍しい名前、そうそう他にいないだろう。

 

 黒羽美惑。

 南鳥学園の芸能コースに通う、現役アイドルだが……。


 まさか。


 しかし。


 良太の家の冷蔵庫に、その美惑という子の分まで食事が用意されていたのだ。

 ただの関係ではないはず。

 家族公認の仲?

 ってことはやっぱり恋人?


 彼がなかなか『好きです』の返事をくれない原因は、もしかして黒羽美惑の存在が邪魔をしているのだろうか?

 美惑といえば、校内でも男女問わず人気者である。求められれば誰にでも気さくにサインしたり、写真撮影にも応じる事から、信者のようなファンも多い。


 あの子が、双渡瀬君の……。


 彼が絶対に恋人の存在を明かせないわけか。


「いやな事に気づいちゃったな」



序章『完』

Episode1に続く

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