Episode1
第1話 澄み渡った笑顔のわけ
熱は上がったり下がったりを繰り返し、ようやく学校に行けるまでに回復したのは、あれから三日後の事だった。
旅行に出かけた両親は、今日の昼頃帰って来るらしく、一人で朝食のパンをかじる良太。
テーブルの脇に置いたスマホを何度も明るくしてみては、ため息。
鉛を飲んだようにみぞおちの辺りがずんと重くなる。
白川からの返信は、あの日から途絶えたままである。
あの日以来、白川とのチャットルームはまるで時が止まったかのよう。
『今日はありがとう』
と良太が打った文章を最後に、音沙汰なし。
文末に付けたおどけた顔文字が、イタい。
それ以上の文字を打ち込む事を体が拒否している。
既読後に返信がないのは、地味に凹む。
白川はきっと勘違いしているのだ。
良太が美惑と付き合っていて、未だラブラブだと思ったのだろう。
二股未遂。そう、とんだ二股未遂野郎だと思っているに違いない。
今頃、二股Say!というラッパーの煽りみたいなあだ名を付けて、密かにディスってるに違いない。
間違いない。
そんな風に負の思考は日が経つにつれ、雪だるまみたいに膨らんで、暴走し始める。
――違う! 二股じゃない。二股なんて狙ってない。美惑には何度も別れを告げようとしていた。ちゃんと対話に応じないのは彼女の方だ。俺は決して二股なんてゲスい事はしない。
しないと思う。
しないんじゃないかな?
パサパサした食パンを、牛乳で一気に流し込み、パンくずを払ってのっそりと立ち上がった。
学校、行きたくない。白川と顔を合わせるのが怖い。
しかし、これ以上休んだら授業について行けなくなる。
行かなければ。
そう思い、背筋をしゃんと伸ばした時だった。
ピンポーン♪
インターフォンが鳴った。
――これは! 白川だ!
と直感した。
この音は白川だ。
何の根拠もない確信は、良太の体を弾ませた。
まるでまりが転がるように、よどみない動作で玄関を開けて。
全身に衝撃が走る。
「うおぉ! おっおまえぇぇぇええ!!」
そこには、満面の笑みを湛えた、制服姿の美惑が立っていたのだから。
「おはよー。もう風邪治ったと?」
「え?」
なんで風邪ひいてたの知ってるんだ? そうか、白川との会話を盗み聞きしてたのか。やっぱり白川の靴をびちょびちょにしやがったのはこいつか!
この際だからビシーっと言ってやる。
「ちょうどよかった。話があったんだ」
「朝ご飯食べた?」
「ああ、パン食べた」
「そう。じゃあ行こう!」
「行こうって、どこに?」
「学校に決まっとーやん」
「一緒に?」
「うん! 一緒に」
水を打ったような静けさだったこの10日間はなんだったんだ?
まるで何事もなかったかのような、絵文字風ハッピーフェイス。
陰りなど一つも見えない。まるで澄み渡った空みたいだ。
玄関に置いておいた通学リュックを担いで、靴を履いた。
鍵をかけながら
「いいのかよ? 俺と一緒に歩いてるのファンに見つかったらどうするんだよ」
「大丈夫大丈夫。生き別れた双子の兄弟だって言えばいいよ」
「通用するわけないだろ」
そう言いながらも、行先は同じ。
最寄りのバス停まで、肩を並べて歩く形になる。
「あのさ、ちょっと聴きた」
「なんかさー、ドキドキするよね。二人で歩くのってめっちゃ久しぶりじゃない?」
美惑はスキップするように体を弾ませた。
「あー、そうだね。去年の12月以来か」
「そうそう。イルミネーション見に行ったよね」
「そうだね」
結局こうして、肝心な言葉は遮られるのだ。
バス停に立っていると、通行人がにわかにざわめき始める。
「あれ、黒羽美惑じゃない」
「ミワちゃんだー。かわいいー」
「実物やば! 神!」
そんな熱い視線に、美惑は慣れた様子で笑顔を振りまいたり、手を振ったりしている。
「話ってなんやったと?」
美惑は、良太に視線を向けず、正面を向いたままそう訊いた。
「え? いやー、あの……」
こんな所で話せるわけない。
「夜、電話する」
「あー、夜は収録だから。たぶん出られない」
「いつなら話せるの?」
「今!」
「今、こんな所でこの状態で、話せるわけないだろ」
「あ! バス来た」
派手なブレーキ音を鳴らして、バスが停車する。
利用客は落ち着いたサラリーマンが殆どで、美惑の事を知らないのか、静かな物だ。
できるだけ美惑から距離を取り、バスに乗る。
美惑は座席に座り、良太はつり革を握った。
車窓を眺める美惑の横顔は、本当に清々しいほどに笑顔だった。
教室に入ると、なんだかちょっと懐かしさすら覚える。
たった三日だったが、三日分進んだ時間が流れているような、妙な感覚に囚われる。
「おお、良太、おはよう」
「おはよう」
何事もなかったかのようなクラスメイトの挨拶をすり抜けて、自分の机の上にリュックを置いて、教室の角に彼女の姿を探した。
――ん? あれ? あれ……白川?
一瞬戸惑ってしまったのは、彼女が制服姿ではなかったからだ。
学校指定のエンジ色のジャージ。
――どうして?
きっと、さぞ不思議な顔をしていたのだろう。
「制服なくなったらしいよ、白川」
そう教えてくれたのはサッカー部、自称エースの並野修斗だ。
「はぁ? 制服がなくなった? いつ?」
「一昨日。みんなで探したんだけど見つからなかったんだ」
「何をどうしたら制服がなくなるんだ?」
「体育の時間終わって、更衣室で着替えようとしたらなくなってたんだって」
「確信犯だな。犯人は?」
並野は何やら難しい顔を作った後、首をゆっくり横に振り、目に力を入れた。
こういう仕草が、本当に気持ち悪い。
おもむろに腕を組んでこう続けた。
「優等生の白川の事だ。いじめられてるわけではないだろう。だとしたら……変態だ」
「変態?」
「白川の制服だぞ。男ならみんな一度は手に取って匂いを嗅ぎたい。その理性のタガが外れた変態が、白川の制服をスーハーしてるんじゃないかと、俺は睨んでる」
並野はそう言って、更に目力を強めた。
「なるほど。とんでもない変態野郎だな」
「見つかったらギッタンギッタンのぐちょんぐっちょんだな」
「あ、ああ……」
良太は心の中で密かに願った。
――頼む! 犯人は変態であってくれ!
そして、荷物を置きにロッカーに向かった。
教室の後部。壁際に並ぶ自分のロッカーを開ける。
そして、いつもと異なる光景に思わず扉を閉め、名札を確認した。
『双渡瀬良太』
確かに良太のロッカーなのだが……。
――おかしい! おかしいおかしいおかしいおかしい!!
そこには見慣れない、いや、見慣れた物体が乱雑に押し込まれていた。
「なんだこれ?」
いや、わかっているのだが、この現実を受け止めきれない。
「おい、良太。どうした?」
並野の声に思わず扉を慌てて閉めた。
「いいいいいや、なななななんでもない」
「なんだ? お前。なんか怪しいな」
そう言って、ロッカーの扉に手をかける。
「やめろ!」
と言ったが遅かった。
並野の手によって、ロッカーの中から、女子の制服が取り出された。
驚くべきはここからだ。
「なんだこれ?」
その制服は刃物のような物でめった刺しされたように所々切り裂かれていたのだ。
並野がキっと良太を睨む。
「いやあやややややや、ちが、ちが……」
クラス全員が、良太を見ている。
まるでサイコパスでも見るかのような目で。
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