第5話 美惑のピンチ

 電飾でデコレーションされた街並みを、桃池と肩を並べて歩いた。

 どこからともなく聴こえてくるクリスマスソングに身を委ねて、割とゆっくりな歩幅で。


「今夜はあったかい、優しい夜ですね」

 桃池は、薄藍の空を見上げてそんな事を言った。


「そっか? けっこう寒いけどな」


「双渡瀬君の方から吹く風が、優しくてあったかいのです」


「詩人みたいな事言うんだな」と、テレカクシ。


 良太は、桃池が持っていた使い捨てカメラを、電飾に照らして眺めては、手持無沙汰を胡麻化していた。


「こんなんで写真撮れるのってすごいよな」


「欲しいですか?」


「うん、欲しい」


「うちにたくさんあるので今度、持って来てあげます。ただ、随分古いのでちゃんと写るのかどうかはわからないですけど」


「え?」


「それ、15年前に使用期限が切れてしまったカメラなんです」


「大丈夫なの?」


「うーん、たぶん」

 桃池はふわっとした確信を見せる。


「ちゃんと映ってるかどうかはわからないんですけど、もし写ってたらすっごく味わい深い素敵な写真になります」


「へぇー」


「デジタルでは絶対に出せない色や雰囲気が、レトロな感じですごくいいのです」


「へぇ、そういうのが好きなんだ」


「変ですか?」


「いや、なんとなくわかる……かも」


「できた写真を見たらきっと双渡瀬君も気に入ってくれると思います」


「あのさ」


「はい!」


「同級生なんだしさ、敬語やめない?」


「変ですか?」


「うん! 変!」


「はわ、わ、わかりました、じゃなくて……うん、わかったよ」


「それはそれで変だよ」


「どうすれば?」


「オッケー、了解了解! って感じ」


「ほ、おっけー、りょーかい、りょーかい。こんなもんでいいですか?」


「そうそう。話しやすくなって距離が縮んだ気がする」


「おっけー! おっけー!」

 桃池は、親指と人差し指で丸を作ってみせた。


「オッケーオッケー!」

 良太も指で丸を作って、桃池に応えた、その時――。


 ジジジジー、ジジジジーとスマホがポケットの中で震えた。


「あ、ちょっとごめん」

 足を止めてスマホを取り出すと、スクリーンには「法子」の文字。


「もしもし?」


「あんたー! どこまでお醤油買いに行ってんのよ! いつまでたってもがめ煮に味が沁みないじゃないの!」


「あー、ごめんごめん。すぐ帰るよ」

 ガチャ!

 そうとうご立腹の様子だ。


「ごめん、お使い頼まれてて、もう帰らなきゃ」


「はわっ、ごめんなさい。こんなに遅くまで付き合わせてしまって」


「いやいや、全然。楽しかったよ。今度現像する所見せてよ」


「はい! じゃ、なくて、う、うん!」


「うん! じゃあまた明日! 学校で」


 桃池は大きく頷いて、顔の横で手を振った。


 彼女に背を向け、一目散でスーパーを目指す。

 腕時計に目を落とすと、時刻は10時を過ぎていた。


「やべー、晩御飯、醤油待ちだ」


 スーパーに駆け込み、調味料売り場を目指していると。

 ジジジジー、ジジジジー。

 再び、スマホが着信を知らせた。


「うるせーな」

 一人ごちながらスクリーンを確認すると、今度は「美惑」の文字。


 急いで通話をタップした。


「もしもし、美惑? どうした?」


「…………りょ……た」


 弱弱しい声が聞こえた。


「え? もしもし? 美惑? どうした?」


「たす……け……て」


「は? なんて?」


「たす、け、て」


 助けてと聴こえる。

 嫌な予感が体中を支配した。

 美惑は服こそ着ていたが、一枚はぎ取れば、とてつもなくハレンチな様相になる。

 良太の脳内に、あいつからのメッセージがリフレインする。

『今夜の打ち合わせ俺んちでいい?』


 やっぱりあいつ、美惑を――。


 ぐぉぉぉおおおーーーー!!

 許さん!


「美惑! 今どこだ? すぐ助けに行く!」


 しかし、美惑からの返事が返って来ない。


「もしもしー! もしもし!! 美惑」


 スクリーンを見ると通話は切れていた。


 すぐにかけ直す。

 コールはしているが


「おかけになった番号は――」

 留守電に繋がった。


 ――うわぁ、どうしよう? どうしたらいい?


 スーパーの外に出て、辺りを見回すが、もちろん美惑の姿はない。

「くっそー。あ、そうだ」


 考えるよりも先に、指が動いた。


 SNSで『朱理』を検索。


 今をときめく大物芸能人がレスポンスくれるのかどうかは怪しいが、方法はこれしかない。


 DMマークをタップして、超高速でフリック入力した。


『黒羽美惑の身内の者です。美惑から電話があり、緊急事態のようなのですが、通話が繋がりません。今日、そちらにお邪魔してると思うのですが、美惑に至急連絡を寄越すよう伝えて頂けませんか?

 双渡瀬良太』


 そのメッセージに電話番号を添えて送信。


 やはりというか、当然だが、なかなか既読が付かない。

 スーパーの前でスマホの画面を見ながら行ったり来たりを繰り返す事数分。


 時間にしたら5分ほどだったが、夜が明けるのではないかと思うほど長く感じた。


 既読が付き、ステータスが入力中に変わった。


『身内というと、ご家族ですか?』


 まどろっこしいー!!

 電話かけて来いや!


「美惑が住んでるアパートの大家です。僕はその息子で同級生で、美惑とは家族同然の付き合いをしています」


 さすがに彼氏だとは言えない。


『失礼ですが、身分証か何かありますか?』


 完全に疑ってやがる。

 内ポケットから生徒手帳を取り出し、写真を撮って送信。


『確認しました。美惑ちゃんが緊急事態とはどういう事でしょうか?』


「5分ほど前に電話があり、タスケテ、と」


『タスケテ? それは確かに緊急事態ですね。今日は彼女の声撮りの予定だったのですが、風邪気味で声の調子が悪く、延期となりました。美惑ちゃんは僕に風邪をうつさないようにと、30分ほど前に一人で帰りました。』


 ――なんだと?


「最寄り駅を教えてください」


『六本木駅ですね』


「わかりました、ありがとうございます」


 再び駅に向かって、猛ダッシュした。




 Side-美惑


 瞼の裏を、チカチカと灯りが染みる。

 ここはどこだっけ?

 とにかく寒くて体の震えが止まらない。

「ケホ、ゲホっ」


 そうだ。

 ベンチを見つけてとりあえず横たわったらもう動けなくなってしまったのだ。


 良太からの電話の途中で、スマホの充電は切れてしまった。


 寒い。助けて、良太……。


「いたいた! やっと見つけた。大丈夫? 美惑ちゃん?」


 聞き覚えのある甘く掠れた声。

 ふわっと、温かくて柔らかいダウンコートが体を覆った。


「心配したよ。美惑ちゃん、大丈夫?」


「朱理……さん」


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