Episode3

第1話 私、何も悪い事してないのに……

 Side-美惑


 まだ少し重い頭を持ち上げて、窓に目をやった。

 カーテン越しに、うっすらと差し込む朝陽が、もう空が白んでいる事を教えている。


 ――今日は土曜か。


「ふぅ、さぶ」

 と漏らしながら布団を首まで持ち上げて、再び眠りにつこうと試みるも――。


 じわじわ不安と恐怖が押し寄せて来る。


 記者に、あんな風に写真を撮られたのは初めての経験。

 追いかけて来るフラッシュの衝撃が蘇り、体が硬直する。

 部屋から出られる気がしない。

 幸い、学校も休み。

 仕事も入ってない。

 かと言って、一歩も外に出ないなんて可能だろうか?

 そんな事を考えながら、枕元のスマホを手繰り寄せる。

 スクリーンを確認すると、充電切れ。

「はぁ」と気だるいため息を吐いて起き上がり、充電器に差し込んだ。


「喉、乾いた」

 スマホが通知を知らせるまでには数分かかる。

 お茶を飲もう。そう思い立ちキッチンでお湯を沸かす。


 だけど、どうして記者なんかが待ち伏せしていたんだろう?

 当然の事ながら美惑は未成年でアイドルで、恋愛禁止。事務所の監視も厳しい。

 これまでだってもちろん、スキャンダルらしいスキャンダルなんてなかったのに。

 熱愛スクープなんて狙うかしら?


 朱理だって、そりゃあイケメンではあるけれど、中性的でこれまで女性の噂なんて無縁だった。


 それに、朱理の家には録音スタジオがあって、事務所も兼用している。仕事関係者の出入りは珍しくない。

 どう考えても、効率の悪い待ち伏せに、美惑は頭をひねっていた。


 ジージー、ジージーー。


 スマホが通知を受信している。


 ジージー、ジージーー。ジージー、ジージーー。ジージー、ジージーー。ジージー、ジージーー。ジージー、ジージーー。


 ――え?


 すさまじい通知音にぎょっとする。


 恐々モニターを確認すると――。


 ピエール山田さんた(事務所の社長)。米田真理子(マネージャー)。

 それから、ロリプラのメンバー、良太、朱理、実家の母。


 ―――何? これ? 一体どうなってるの?


 それよりも、もっと驚いたのは、昨日だと思ってたいた金曜日は一昨日で、土曜日だと思ってたいた今日は日曜日。


 つまり、丸一日眠り続けていたようだ。

 一日、タイムスリップした感覚。

 昨日一日、いろんな人から連絡が来ていたのか。


 先ず、社長である山田からのショートメッセージを開いた。


『一体どういう事なの? 今すぐ電話寄越しなさい』

『美惑! なんなのよ一体? さっさと電話よこしなさい!』

『ちょっと何があったのかしら?』

『冗談じゃないわ。大変だわよ、まったくー』


 社長は50代半ばのおじさん(独身)だが、オネェなのだ。

 イマイチ緊迫感に欠けるメッセージに返信する事にした。


「おはようございます。ケータイの充電が切れてまして、今メッセージ読みました。まだ朝の6時なので、もう少ししたら電話します」


 送信。


 すぐに既読が付き、スクリーンが明るくなった。


 社長からの電話だ。


「もしも」

『ちょっとあーた! 遅いじゃない! どんだけ待たせるの? まったくー』


「す、すいません。ちょっと風邪気味で」


『そんな事より今すぐリミッター見なさい!』


「り、リミッターですか?」

 リミッターというのは、呟き型SNS。

 愚痴と誹謗中傷とエアリプとリプバトルの炎上系SNSの事だ。


「私、あんまりやってなくて」

 動画やお仕事の宣伝用で、じっくりと見る事もない。


『アカウントぐらいあるでしょ! エゴサもしてないの? かわいくないわー』


「すいません。エゴサってどうやるんですか?」


『検索窓に、黒羽美惑って打ち込んでごらんなさい』


「わ。かりました。えっと……」


 エゴサなんて一度もやった事ない。そもそも他人がどう思ってるかなんて美惑にとってはどうでもいい事だった。

 好きな人は見てくれるし、ライブに足を運んでくれる。

 嫌いな人は自分には構わないだろうし、関係なくない?

 そんな文句を心の中で垂れながらアカウントにログイン。

 言われた通り検索窓に自分の名前を打ち込んだ。


 そして、頭が真っ白になった。


「何? これ?」


 ずらっと出て来たツイートの数々には、見覚えのない写真が貼られていて、『黒羽美惑、朱理熱愛発覚』という文言まで付けらている。


『深夜に男と密会? ふざけるな』

『思った通りアソコ緩くて草』

『もうセクシー女優に転向しろ。あ、まだ未成年か』

『活動休止じゃすまないなこれ。今までお前にかけた金全部返せ』

『裏切者』

『ずっと好きだったのに。キッズの頃から応援してたのにー』

『美惑オワタ』

『ロリプラの次のセンターは翼ちゃんだな』


 完全に、朱理と淫らな関係があったかのような書き込み。


 けやき坂のイルミネーションの下で、朱理にお姫様抱っこされている美惑に意識は殆どなかった。


 しかし、貼られている画像は――。


 うっすらと目を開けて、朱理の顔を見つめているように見える。

 うっとりと、恍惚とした表情に、見えなくもない。


「な、ない!! ないない!! 違います、これ。私、昨日……じゃなくて一昨日、具合が悪くなって、それで―――――」


 かくかくしかじかと、必死で社長に説明したが、上手く伝わったかどうかよくわからない。


『とにかく、わかったわ。昨日からあたしのケータイ鳴りっぱなしなのよ。スポンサーや朱理サイドのスタッフやら。当の本人達は全く連絡がつかないし』


「え? 朱理さんも連絡つかないんですか?」


『そうなのよ。これだからボンボンの個人事務所はイヤになっちゃうわ』


「すみません。これ、どうしたらいいですか? すごい悪口しか書かれてない。違いますって書き込んだらいいですか?」


『ダメよ! そこに足を踏み入れてはダメ。煮えたぎった油鍋に放りなげられるわよ。毛毟られて唐揚げにされるっつーの!』


「へ? ひぃ」


『とにかく、こっちで声明出すから、それまで大人しくしてらっしゃい。家に記者が来ても受け答えしちゃダメ、いい? すぐに米田(マネージャー)寄越すから』


「わかりました」


『それから、ほとぼりが冷めるまで、しばらくの間、美惑は活動休止になるわよ』


「え? どうしてですか? 朱理さんとは何もありません」


『結果的に何もなくても、こうして騒ぎを起こした事に対してはペナルティを課さないと、世間は納得しないのよ。そういうもんなのよ。とにかくわかったわね。勝手な行動はしないでちょうだい』


「わかりました」


 言い終わらないうちに通話は切れた。

 

 ソロで新曲を出す予定だったのに……。

 活動休止なんて、こんなの納得できない。


 私、何も悪い事してない!


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