第5話 良太――決断の時
自転車でおよそ30分の距離に白川の自宅はあった。
韓国ドラマを見ていたせいで、リミッターをチェックしていなかった事を、良太は後悔していた。
一体、何がどうなって白川の自宅が、美惑の自宅という事になったんだ?
良太が駆け付けた所で、ノープラン。どうなる事でもないのだが。
今頃、白川が恐怖に震えているのかと思うと、いてもたってもいられず、自然とペダルに力がこもる。
それなのに――。
目的地である白川の自宅に到着すると、静かな物だった。
――誰もいない?
さすがにみんな間違いだと気付いたのか?
拍子抜けしながら、立派な門扉の横に設置されているインターフォンを押した。
それにしても、かなり立派なお屋敷だ。
ヨーロピアンな鉄製の高いフェンスで囲まれたスタイリッシュな家。
広々とした庭には、手入れの行き届いた芝生が敷き詰められていて、門から玄関まではモザイク調のタイルが埋め込まれ道を作っている。
都内にこれだけの土地を保持するだけでも、気が遠くなるような金がかかるんだろうな。
しばらくするとすりガラスが嵌まった白く大きな玄関扉が開いて、白川が姿を現した。
白いモコモコのワンピースが可愛い。
「双渡瀬君。ごめんね、わざわざ」
「いや、いいよ。大変だったね」
モザイクタイルを踏みながら白川がこちらにやってきて、フェンスを開いた。
「どうぞ、入って」
「ありがとう。もう誰もいなくなったんだね」
良太は閑散とする家周辺を指さした。
「そうなの。急に静かになって。本当に誰もいなくなったのね」
白川は不思議そうに辺りを見回した。
「大丈夫そうなら、俺帰ろうかな」
「そっか、そうだよね。明日、また会えるんだもんね」
白川は少し寂しそうな顔をしたが、無理に笑窪を作って見せる。
「うん。じゃあ、また」
そう言って、背を向けようとした時。
「あ、ちょっと待って。双渡瀬君が来たら一緒に食べようと思って、ドーナツ作ったの。もうすぐ焼きあがるのよ。それだけ食べて行かない?」
「え? いいの?」
「もちろん。ココアパウダーの焼きドーナツ、弟も大好きなの。コーヒーも淹れるわ」
「じゃあ、せっかくだし、お邪魔します」
白川の後について、家に上がった。
広々とした玄関の横には、十畳ほどの応接室があり、人が二人並んで歩けるほど広い廊下がリビングへと伸びている。
西洋風のインテリアに拘りのありそうなアイランドキッチン。
シャンデリアに壁掛けのテレビ。リビングのど真ん中で、ひと際存在感を放つアクアリウムには、小さなくらげがたくさんぷかぷかしていた。
何もかもが規格外にデカい。
「白川さんって何人家族?」
「四人よ。どうして?」
「いや、別に」
四人家族にしては随分広い。
おまけに埃一つ見当たらないほど、隅々まで手入れされている。
耳を澄ませば穏やかなクラシック音楽が、どこからともなく聴こえてくる。
そして、甘く香ばしい匂い。
「あと、5分でドーナツ焼けるから。焼き立てとっても美味しいの。気に入ってもらえるといいんだけど」
言いながら白川は緩やかな螺旋階段を上る。
良太もそれについて、二階へと上がった。
「両親は?」
「父は……仕事でいつも帰りが遅いのよ。帰って来ない日も多いわ。母は今ちょっと具合が悪くて休んでるの」
「そう」
なんだか含みのある言い方だった。
訳ありなのかな?
「どうぞ」
ホワイトチョコレートみたいな扉を開けると、なんともセレブチックな空間が広がっている。
白基調に、淡いピンクのインテリア。
見るからにふかふかのベッド。
お姫様仕様かと思うほど豪華なドレッサー。
「ベッド、なんで二つあるの?」
「お友達が泊まりに来た時用なの。泊まって行く?」
「ええ? いやいやいや……はは……」
「ふふ。冗談よ」
「なんだ、びっくりしちゃった、はは」
「双渡瀬君って急に少年みたいになる時あるよね?」
「そう?」
「普段は大人びてるのに、少年みたいに照れたりはしゃいだり」
大人びてるという言葉が、なんだか自分にそぐわない気がして首を傾げたが、
一つ思いあたった。
良太は実は童貞ではないが、学校では童貞のふりをしている。
白川も含め、クラスメイトは全員良太を童貞と思って接しているのだ。
行動の端々に、非童貞の余裕が見え隠れしていたのかもしれない。
「適当に座って」
白川が良太の背中を押した。
目の前にはゴシック調の模様が入った布張りの二人掛けソファ。
それにゆっくりと腰掛けた。
「お茶淹れてくるね。ちょっと待ってて。テレビでも観てて」
白川はそう言って壁掛けのテレビをつけ、部屋を出て行った。
モニターからは異国のドキュメンタリーが流れる。
さして面白みもないテレビ番組。
手持無沙汰を解消するために、スマホを取り出そうとポケットに手を突っ込んだ。
「あれ? え? ない! しまった」
スマホがない。
家に忘れて来てしまったようだ。
「うわ、最悪」
そう思ったが、さして用もない事に気付く。
「別にいっか」
一人ごちて、ふかふかの背もたれにもたれかかりテレビに目をやった。
しばらくしてドアが開き、再び白川が入って来た。
「お待たせ。コーヒーブラックでよかったよね?」
「うん。ありがとう」
白川は、ナチュラルな木製のトレーを、ガラス製のローテーブルにことりと置いた。
「おいしそう」
見るからにふわふわのココア色。うっすら白砂糖がかかった手のひら大のドーナツが二つ、パラフィン紙に乗せられている。
大き目のカップからは湯気と共に、芳醇な香りが立ち、甘いドーナツの匂いと相まって部屋を包み込んだ。
「食べよ!」
「ありがとう。いただきます」
重なり合うように乗せられているドーナツに手を伸ばした時だった。
ピロロローンとポップ音が流れ、モニターの端に緊急速報が流れた。
と同時に、部屋の扉が開き。
深刻そうな顔つきの、幼さを残した長身の少年が現れた。
良太を一瞥したが、それどころではない様子で白川に視線を向けた。
「ねーちゃん。美惑が自殺した」
「は?」
少年はそう言ってテレビのモニターを指さす。
『タレントの黒羽美惑さん。路上で意識不明。緊急搬送』
という文字が視界に飛び込む。
「どういう事?」
「ネットでは、自殺って騒がれてる。うちの周りからオタクが消えたのはこれだったんだ」
少年はスマホのスクリーンを白川に見せた。
「ネットの情報を鵜呑みにしちゃダメよ」
白川は上ずった声でそう嗜める。
しかし、これはガセネタじゃないと、テレビの緊急速報が物語っている。
こうしてはいられない。
「ごめん。俺、帰るわ」
「え? ちょっと双渡瀬君」
来た道を引き返し、玄関まで駆け下りた。
それを追いかける白川。
「ちょっと待って、双渡瀬君」
「ごめん。俺、行かないと」
白川は突然、表情を曇らせ、瞳を歪ませた。
「美惑さんの所に、行くの?」
「…………ごめん」
「……いや……」
「え?」
「行かないで。お願い」
白川は細い指でぎゅっと自分の胸元を握った。
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