第4話 美惑――さようなら

 Side-美惑


 白川からの連絡を受けた良太は、こそこそと逃げるように家を出て行った。

『ちょっと出かけて来る』

 と言い残して。


 車輪がアパートの敷地を転がる音が聞こえたから、自転車で出かけたんだと思う。

 行先なんて言わなかったけど、美惑にはわかっている。


 ―—バカね。良太だってあいつらに面が割れてるっていうのに。

 取り囲まれて餌食にされるって未来は見えないのかしら?

 そんな事考える余裕もないほど、彼女に会いたかったのだろうか?


 慌てて閉じたノートパソコンのパスワードはわからないし、電話で話していた内容までは盗み聞きする事ができなかったので、どんな話をしていたのかはわからない。


 だけど、美惑には概ねわかるのだ。

 スマホからチャットルームは覗けるし、今、白川が困っている理由もね。


 白川の自宅住所を入手したのは昨日の事。


 普通科2年A組の担任が、男で本当によかった。

 手練手管てれんてくだの限りを尽くし、生徒名簿をコピーしてもらったのだ。

『年賀状を書きたいので~』

 という見え透いた嘘に『じゃあそういう事にしておこう。くれぐれも悪用しないようにな』

 と、ヘラヘラ笑いながら渡してくれた。


 きっと今頃、白川の家の前には迷惑なユーチューバー達がスマホのカメラを向けて、配信したり、まるで戦利品のようにSNSで写真を公開しているに違いない。


 動画で一切顔出ししていないケンタロスが今配信しているのは、このアパートの近くではなく、白川の自宅前。


 匿名のアカウントでケンタロスにタレこみしたのは、美惑本人である。


 すぐにバレると思ったが、にわかファンらしいケンタロスはすぐに信じ込んで、美惑の自宅だと称して、白川の自宅をリミッターで拡散した。


 しかし、リミッターにはぼちぼち『ガセだ』という書き込みが増えてきている。

 どうにか明日まで粘ってほしい。


 ――イブに良太があの娘とデートなんて、死ぬほど耐えられない。


 さて、今頃どの辺りかな?

 スマホで良太の位置を知らせるGPSを確認しようと、見守りアプリを起動する。


「え? は? うそ」


 GPSの赤いポッチはこの敷地内から動いてない。


「どういうこと?」


 良太のスマホに電話をかけてみると。


 ジーージーーー、ジーーー。

 くぐもったバイブ音が、振動と同時にどこからともなく聞こえてくる。

 音の方を辿ると、さっきまで良太がもたれかかっていた大きなビーズクッションの下から、スマホが出て来た。


 スマホを忘れて出かけたらしい。


 どうしよう? これでは監視ができない。

 良太と白川が距離を詰めていくのを阻止できないではないか。


「う~~~~~、ん~~~~~」

 と唸りながら、良太のベッドでうつ伏せになり足をバタつかせた。


 このまま、今夜帰って来なかったらどうしよう。

 イブイブからイブまでを、良太と白川が二人きりで過ごすなんて、とんでもないロマンティックが訪れるではないか。


「うーーーーーーーーっ」

 歯噛みしながら両手両足をバタバタさせても、ちっとも気持ちは落ち着かない。


 どうしていつもこうなるのだろう?

 明日のデートを阻止したかっただけなのに――。


 良太の枕に顔をうずめて目をぎゅっと閉じると、桃地のキラキラした瞳が脳内に蘇った。


『あんた、良太の事、好きなん?』

 と聞いた美惑に


『はい! 桃地は、双渡瀬良太君が、好きです!! これは運命の初恋なのです』


 と、更に瞳を輝かせた。


 あんな風に堂々と恋を宣言できる彼女が、正直羨ましかった。

 桃地だけではない。白川だって……。

『私だって絶対に諦めない。これからは遠慮なく彼にアプローチする事に決めたから』


 恋を宣言する女子の瞳はどうしてあんなにキラキラしているんだろう?


 ――あんたたちなんかより、私の方が数倍、いや数万倍好きなんだから!


 まるで呪いのように、その言葉は喉から流れ出る事はない。


 アイドルであるが故、あふれ出さんばかりの恋を、宣言する事さえ許されないのだ。


 アイドルになるんだと決めたのはいつの頃だっただろうか?

 もう、思い出す事すら困難なほど幼い頃の事だ。

 自分が何者なのかなど、考える事もないほどこの世界に身を捧げた。

 気持ち悪さを我慢して、ロリコンオタに際どい姿の写真を撮らせたり、頬を寄せてチェキを取ったり。

 耳にかかる荒い鼻息に何度も吐き気をもよおした。


 1120キロ離れたここ、東京の地にいる運命の人の元へ行くことこそが美惑を支え続けたのだ。


 しかし、それは美惑の一方的な想い。

 初めて逢った時から、良太は一度も美惑に好きだと言った事がない。

 なし崩し的にセックスして、見えない枷を付けたに過ぎないのだ。


 油断すると、頭をもたげる白川と良太が寄り添う妄想。


 どうしようもなく苦しくて、鎮めようもないほど頭に血が上る。

 良太の一番になりたくて、どんどん醜くなっていく自分が、どうしようもなく、嫌いだ。


 手に負えない感情を握りしめて、おもむろに立ち上がった。

 階段を降りると、リビングでは良太の両親が、おせんべいを食べながら炬燵でテレビを見ていた。


「あら、美惑ちゃん。もう寝る? お布団敷こうか?」


 おばさんは慌てて立ち上がろうとした。


「いいえ。ちょっと部屋に戻ってきます。忘れ物があって」


「あら、外に出て大丈夫かしら? おばさん取ってきてあげようか?」


「いいえ。大丈夫です」


「なら、俺が一緒に行こうか?」


 おじさんが立ち上がった。


「大丈夫! もう外には誰もいないので」


 二人は首を伸ばしてベランダから外を一瞥した。


「そう? じゃあ気を付けてね」


「はい。ありがとう、ございます」


 おじさん、おばさん。

 今まで親切にしてくれて、可愛がってくれて、ありがとうございました。


 さようなら。


 そう心の中で呟いて、双渡瀬家を後にした。



 階段を上る。

 2階を通り越し、3階へ。


 更に非常階段を上って屋上へと到着した。

 強い風が吹きつけて、寒さと恐怖を同時に与える。

 膝が、顎が、体中が、ぶるぶると震えるがもう後戻りする気はない。


 ――良太。明日は私の傍にいてね。17歳を迎える瞬間は、絶対良太と過ごしたかったんだ。


 震えながら一歩一歩、縁に近づき腰壁に足を乗せた。


 遠くのネオンはこちらまで届かない。


 ぼんやりと窓から漏れる灯りの向こうへと、身を投じた。


 地面から足が離れた瞬間、強い引力を感じる。


 美惑はニヤリと笑った。


 ――白川いのり。これで私の勝ちよ。

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