第3話 大迷惑
ハァハァ……
ハァハァ、ハァ……
ハァハァ……
ハァハァ、ハァ……
目の前に広がるのは、見慣れた通学路。
その風景は、今まで見た事ないほどに大きく歪み、ゆっくりと回っている。
背後に迫りくるチェックのネルシャツ軍団。
各々の手にはギラつく刃物。
鎌に斧に、包丁……
「いたぞーー! いたぞーーーー!!」
「ダボハゼいたぞーーー!!!!!」
「ダボハゼ許すまじー!!」
「美惑たんを汚すやつ、処す! 処すーーー!!」
凶器を振りかざしながらズドドドドドドーーーーと次々に沸いてくる男たちから、良太は必死に逃げていた。
――足が重い。まるでおもりを付けられているかのように上手く走れない。水中にいるかのように、呼吸がぐるじいぃぃぃーーー。
背後を振り返った瞬間、狂気を湛えた目をした追手が宙を舞い、良太の脳天目がけて斧を振り下ろした。
「うぎゃぁぁぁぁぁああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
――死んだ。
と思った瞬間、全てが消えて、ぼんやりと常夜灯に照らされた自室の天井が視界いっぱいに広がった。
慌てて上体を起こして顔をごしごしと両手で擦り、残像を消す。
「はぁはぁはぁはぁっ……夢か」
と、安心したのも束の間。
「夢? 本当に、夢か……?」
枕元のスマホを手繰り寄せ、スクリーンを明るくする。
スマホはすぐに顔認証を完了させて、寝る前に見ていたサイトを映し出した。
良太の他愛ない過去の書き込みのインプレッションは、昨夜の数倍に膨れ上がっていて。
数十件付けられたリプライ欄には、ご丁寧に自宅画像までが貼り付けられている。
自宅特定乙。
だが幸いな事に、特定されたのはあくまでも良太であって、美惑ではない。
恐々カーテンの隙間から外を覗くと、未だ数人の男たちが敷地の外をうろついている。
既に住所を特定したやつらだ。
うろついてる連中は、やはりどこか見覚えがある。
テレビの報道では取り沙汰されないような、取るに足らないニュースをあたかも大事件のように報道する事を生業としている、迷惑系配信者達。
動画サイトにアクセスしてみると、件の配信者たちのチャンネルが軒並み【ライブ中】と表示されている。
どうやら我が家は、全世界に向けてライブ配信されているようだ。
全て夢であってくれ。
良太は両手で頭を抱え込むようにしてくしゃくしゃと髪をまぜた。
コンコン。
ドアはノック音を鳴らした後、すぐに開いた。
「なんかすごい声がしたけど、大丈夫?」
ずかずかと部屋に入って来たのは、ぶかぶかのスエット上下に身を包んだ美惑。
「大丈夫……? なわけないだろ」
昨夜、我が家で夕飯を共にしていた時から事件は始まっていた。
「築地でいいお肉を買って来たのよー。美惑ちゃんも一緒にすき焼き食べていきなさい」
法子のそんな呑気なセリフから始まった夕食の場で異変は起きた。
卓上コンロの上で、すき焼き鍋がグツグツと甘辛い湯気を立て始めた頃。
ピリリリリリリと自宅の固定電話が鳴った。
電話に出たのは法子だ。
「はい。ええ、ええ、ええええーーーー??? まぁそれは大変。まぁまぁご迷惑をおかけします」
異様な電話対応に、家族全員の視線が法子に集中した。
「どうしたんだ? 一体?」
父、隆司が生卵をかき混ぜながら聴いた。
「アパートの周辺に見慣れない不審な男の人達がうろついてるらしいの。借主さんが気持ち悪いからなんとかして欲しいって」
その伝言を受け立ち上がった隆司が、早速外に様子を見に行ったのだが、蜘蛛の子を散らすように、男たちは姿を消したらしい。
それで終わったと思っていたが、見た事あるやつから見た事ないやつらまでがアパート周辺に沸いてきて、住人からの苦情の電話が鳴り止まなかった。
警察にも通報して、一度は一掃されたと思っていた不審者たちが、再び沸いてきて。
朝になったらこの有様だ。
美惑の存在を知られては大変、と言う事で、昨夜は急遽良太のスエット上下を寝巻代わりに、この家に泊まらせたのだ。
「だから俺は言ったんだよ。一緒にショッピングモールに買い物なんてまずいだろって」
「言ったっけ? そんな事」
「何度も言ったよな」
おかしい。何かがおかしい。
美惑と別れようとすればするほど距離が縮まっていくの、なぜだ?
「昨日はぁ、白川さんとデートできなくて残念だったね」
美惑は無表情でそんな事を言った。
「はぁ? はぁぁぁ?? な、なんで、そんな事」
なんで美惑が知ってるんだ?
「ふふ~~~ん」
不敵な笑みを見せた後、くるっとこちらに背を向けた。
「もう朝ごはん出来てるよ。早く顔洗ってらっしゃいね~」
そう言い残して、部屋を出て行った。
慌てて、白川とのチャットルームにアクセスしてみると――。
他の誰かがログインした形跡はなく、間違いなくそこにいるのは良太と白川の二人っきりだ。
――思い過ごし……か?
『おはよう。昨日からリミッター見てた。双渡瀬君、なんだか大変みたいね。今日、学校来られるのか心配してます。大丈夫?』
白川はこの事態をどう思っているんだろうか? きっと怒っているに違いない。と気になっていたが、心配してくれていたなんて。
白川はやっぱり天使だ。
『ごめんね、昨日は買い物付き合えなくて。学校? ちゃんと行くよ。こんな事で休んでられないよ』
メッセージを返信して、ベッドから抜け出す。
リビングに下りると、かつおだしと、香ばしい卵焼きを焼く匂いが充満している。
「おはよう、良太」と隆司が声をかけてきた。
いつもは部屋着を着ている時間だが、なぜかシャツにニットのベスト。コーデュロイのパンツを履いていて、なんだか出かける時のような服装だ。
「どうしたの? 出かけるの?」
「おう、学校まで車で送ろう。早く飯を食え」
「あ~、ありがとう。助かる」
「美惑は? 学校どうするんだ?」
既にダイニングに座って、スマホ片手にお茶をすすっている美惑に訊ねると。
眼球だけをこちらに向けて
「私、行かない。休む」
「いいのかよ。出席日数ギリギリだろ?」
「だって……」
美惑はそう言って、スマホの画面をこちらに向け、音量を上げた。
『先ほどから、あまり動きはありませんねー。高校生だったらー、そろそろ学校に行く時間のはずなんですよねー。そろそろ姿を現す頃ではないでしょうか』
「この、ケンタロスっていう配信者、警察の目もかいくぐって、夕べからずっと張ってるんだよね。空ばっかり映してるからどこにいるのかわからないの」
「大した暇人だな」
もちろん、そういう輩はケンタロスだけではないだろう。
「制服とか鞄取りに行くのも危険そうだな。美惑までバレたら、マジでヤバいからな」
「あ、そうだ! いい事思いついたわ」
そう言って手をパチンと叩いたのは法子だ。
「あの人達の狙いは、良太なわけでしょ? わざと良太がお父さんの車に乗る所を見せるのよ。目の前を通り過ぎたらもうここに目当ての物はなくなるわけで。その後、美惑ちゃんを学校に送って行けばいいんじゃない?」
「それいいアイデア!」
「よし、そうしよう。良太、さっさと支度しなさい」
「でも、なんか申し訳ないです。ごめんなさい、パパさん」
美惑は心から申し訳なさそうに、しゅんと項垂れた。
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