第2話 ヤバいのはどっちだ?

「何しに来たと?」

 朱理が乗ったタクシーが見えなくなった頃、美惑は爆発寸前の不満を押し殺すような表情で、ツンと言い放った。


 鉛を飲んだような胃の辺りが、更にずんと重くなる。


「何しにって……うーん、なんて言うか、その……。足、どうしたの?」


「ああ、これ……」

 美惑は、思い出したように足首に目をやり、思い出したように痛そうな表情を浮かべた。


「階段で転んだっちゃん。捻挫したみたい」

 いいながら、見せつけるように、脛の擦り傷を指でなぞった。


 うっすらと血が滲んでいて、痛々しい。


「大丈夫?」


「朱理さんが手当してくれたけん、まぁ大丈夫。なんちゃらりょーほーし? の資格持ってるとかなんとか言ってたから」


「なんちゃらリョーホーシ? なにそれ?」


「知らなーい」


「そっか」


「どうするの? 上がるの上がらないの?」

 開けっ放しの玄関先に立ち塞がっている良太に、美惑は口を尖らせている。


「寒いっちゃけど」

 そう言って、自分を抱きしめ、両腕をさすった。


「あ、ああ、ごめん。帰るよ」


「はぁ? マジで何しに来たと?」


「いや、あの……さっきの事……。いや、あの、なんていうか……」


 さっきはごめん、の一言が言えない。

 朱理がこの部屋にいた事で、美惑を泣かせてしまった罪悪感は行き場を失い、霧散しようとしていた。


「飾り付けが、その……。上手くできたかどうか、見てほしくて……」


 嘘だ。飾り付けなんて全然進んでいない。というか何もしていない。美惑の涙が良太から魂を奪ったかのように暫く動けなかったのだ。


 美惑は「ふっ」と息を吐き「なんだ、そんな事」と言った。


「いいよ。見てあげる」

「本当?」

「うん」


 美惑は痛みに顔を歪めながら、ピンクのクロックスもどきに足を突っ込んだ。

 良太の肩に手をかけて、足を引きずっている。


 良太は、美惑に背を向け、その前に屈んだ。


「おんぶしてやるよ」


「ふふん」


 表情は見えないが、美惑が笑ったような気がした。


 ――嘘だろー。さっきまであんなに泣いてたのに。


 美惑は飛びつくように良太の背中にしがみつくと、両手をぎゅっと首に巻き付けた。

 マシュマロのように柔らかい温もりが背中を覆い、耳元には甘やかな吐息がまとわりつく。


 くすぐったい。


 どっこらしょと立ち上がり、慎重に歩みを進める。


「あいつが言ってた、いい返事って何?」


「ああ、朱理さんの事務所に来ないかって誘われた」


「本当?」


「うん」


「どうするの? 行くの?」


「まだわからないよ。何も考えてない。ついさっきの事だもん。移籍なんて考えた事もなかったから」


「最初から、それが狙いだったんじゃないの? 美惑に楽曲提供してきたり、動画でコラボしたり、誘って来たのはあっちからなんだろ?」


「うん、まぁそうだけど。狙いとかっていうのは違うよー」


「そっか? 俺はなんか裏がありそうな気がするよ」


「朱理さんのお母さんと、うちの事務所の社長は腐れ縁らしくて」


「腐れ縁?」


「そう。朱理さんのお母さんって誰か知ってる?」


「いや、知らん」


「大江戸和佳子さん」


「大江戸和佳子? あの、大物っていうか、大御所タレントの?」

「そう」


 大江戸和佳子と言えば、歯に衣着せぬ物言いで、ズバズバと世論をぶった切るご意見番的立ち位置のタレントである。

 冠番組も週7~8本抱え、歌番組の司会に、映画やドラマ。CMの数々。メディアで大江戸を見ない日はないほどだ。

 噂によると、大物プロデューサーさえ、彼女のいいなりなのだとか……。


「その人の息子が朱理?」


「そう言う事。非公開だから業界の人ぐらいにしか知られてないかもね」


「あ~、あれか。親の七光りだとかなんとか言われたくないっていう拗らせ反抗期みたいな物か」


「うーん、どうだろ? まぁとにかく、そんな裏事情があって、うちの社長と、大江戸さんは協力関係にあるんよ。うちの社長も朱理さんには何も言えない感じっちゃんね」


 家の玄関にたどり着き、美惑を下ろした。


「けど、タレントの事務所の移籍とかって、けっこうデリケートなんだろ? さすがにサンタプロも黙って、はいそうですか、とはならないんじゃないの?」


「まぁそうなんだけど、このまま無期限活動休止で埋もれていくのも、なんだかなぁって思っちゃう」


「まぁ、時間はいっぱいあるんだし、ゆっくり考えればいいんじゃない?」

 とは言った物の、胸が騒いで仕方がない。

 美惑があいつの個人事務所に移籍するなんて、絶対に嫌だ。


「うん。そうする」


 美惑のクロックスもどきを足から引っこ抜いてやり、再び肩を貸した。


 リビングに入って第一声。

「何もできてないやん」


 出て行った時のまんまの状態に、美惑があきれ顔を見せる。


「そうなの。何をどうすればいいのかわかんなくて。大体、美惑が全部選んだだろ。美惑じゃないと作れないよ」


「ふっ、本当、良太って私がいないと何もできないのね」


 美惑はまだ少しだけ赤い鼻をすすって、いたずらっ子のように笑って見せた。


「じゃあ、私がオーナメント付けるから、良太は雪を適当にくっつけて行って」


「わかった」

 言われた通り、綿を伸ばして、枝を覆っていく。

 真冬とは思えない暖かな日差しが差し込んでいた。



 概ね、それらしくツリーが賑やかになった所で、ポケットのスマホが短く震え、メッセージ受信を知らせた。


「ん? リミッターにDMが来てる」


 珍しい。滅多に動くことのないSNSのDMは、先日、朱理とやり取りしたままの状態だった。


「DM? 誰から?」


「ちょっと待って。開けてみる。え? 並野だ」


「並野?」


「そう。クラスメイト」


 メッセージにはスクリーンショットの画像が添付してあり、目を疑った。

 一瞬にして変な汗が体中の毛穴という毛穴から噴き出して来る。

 スマホを握っている手はぷるぷると小刻みに震え出す。


「やば! なんだこれ??」

「何? どうしたの?」


 それは、つい先ほどオタク連中から美惑を守りながら走って逃げている画像だったのだ。

 後ろを振り返った良太の顔が、ばっちり写っている。


『これって美惑ちゃんだよな? 一緒にいるのお前? なわけないよな? 違うよな? 違うと言ってくれ』


 良太は急いで返信を打ち込む。


『何? この画像?』


『知らん。リミッターで同じような画像がいくつも拡散されてる』


「マジかーーーーー」

 思わずその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。

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