第十六話 舟盛り

 商隊が野営地に到着したのとほぼ同時に雨が降り始めた。バルバストル商会の使用人たちと、護衛の傭兵パーティー三組は、それぞれ大慌てでテントの設営を始める。そんな中、俺はリシャール会頭の馬車に呼ばれた。


「ジャック君とアリス嬢は大丈夫かね?」

「ご心配なく」


「見たところテントを持っていないようだが? 初めての遠征で用意を失念したのならここで私と過ごしても構わんよ」


「ありがとうございます。ですがご心配には及びません」

「何か策があるのかな?」


「策と言いますか……ご覧になりますか?」

「うん?」


 会頭は齢六十を超えている。そんな彼が子供のように目を輝かせた。予定外だったが俺たちを案じてくれたのだから、召喚した家に招いてもいいと思う。


 雨脚が強くなる中でテント設営に苦労している傭兵たちを尻目に、馬車から降りた会頭に傘を差し向ける女性使用人のナタリーさんを伴って、俺とアリスは家召喚サモンハウスするのに十分な空き地で足を止めた。


 ここで召喚するのは一階がリビングダイニングと大きめの浴場、二階には寝室三室の3LDKだ。俺とアリスで一部屋、おそらく会頭がここに泊まることを望むだろうと予想して一部屋、残りの一部屋はナタリーさん用である。


 そして俺は目を閉じ、深く深呼吸して頭の中でイメージを組み立てた。雨が降っているからベランダがあっても仕方ないし、建物は四角い豆腐形でいいだろう。


「サモンハウス!」


 召喚された家は一辺およそ十メートル、高さ約六メートルほどの白い箱型だった。


「きゃあっ!」

「な、何だこれ……は……?」


「俺とアリスの野営用テント? です」

「これがテントだと!?」


「まあ、どっちかというと家ですね。こちらから中に入れますがどうします?」

「も、もちろん見せてくれ!」


「リシャール会頭とナタリーさん、これからご覧になることは全て他言無用でお願いします」


 例のごとく会頭とナタリーさんに登録パネルに触れてもらっていると、呆然としてこちらを眺めていた傭兵たちが声を上げた。


「な、何だそれは!?」

「気にしないでくれ! さ、お二人はアリスに続いて中へどうぞ」


「待て! 待て待て待て! 気にならないわけがないだろう!」


 先ほどのリーダー格三人が走り寄ってくる。しかし構ってやるつもりはないので、俺は全員が玄関に入ると扉を閉めた。


 認証システムにより傭兵たちがいくら扉をこじ開けようとしても叶わないし、そもそも周囲を覆っている結界から中には入れない。


 音を遮断することも出来るので、不快な喚き声を気にする必要もないというわけだ。


「こ……これは……!?」

「すごい……!」


「ここはリビングダイニングで、あちらに風呂があります。二階が寝室ですね」

「りびんぐだい……? というのはよく分からんが、あそこは小さいが厨房なのか?」


「そうです。だから料理も出来ますよ」

「料理人は?」


「ああ、それは自分たちでやらないとですが……簡単な物でよければ何か作りますしょうか?」

「ジャック君が料理を?」


「アリスにも手伝ってもらいます」

「リシャール様、お食事のご用意が……」


「いらんと伝えてこい! そうだナタリー、私は無事だから心配ないともな」


 言われてみれば確かに、大商会の会頭が得体の知れない建物の中に消えたとなれば大騒ぎになっているに違いない。これはうっかりしてたよ。音を遮断してたから気づかなかった。


「ナタリーさんすみません」

「いえ。では行って参ります」


「あ、待って下さい。この中に入れるのは会頭とナタリーさんだけですので、色々聞かれても答えずに振り切って戻ってきて下さいね」

「はい?」


「ナタリーさんの分も食事、用意しておきますので」

「わ、私にもですか!?」

「はい」


「分かりました! 必ず敵を振り切って戻ります!」


 敵って……


 そうして出ていった彼女は、五分もかからずに戻ってきた。


 実はこれがアリスの立てた作戦だったのである。召喚した家を見られることになるが、傭兵たちには一切の説明をせず地団駄を踏ませるという、何とも地味な嫌がらせだった。それだけに笑えるのだが。


 で、不測の事態が起こった時のために遮音は解いておいたのだが、思惑通り傭兵たちの騒ぎ声がうるさかった。もちろん完全無視だ。


 食事の用意をしている間に会頭とナタリーさんには入浴を済ませてから、用意したガウンに着替えてもらった。トイレの使い方を教えて感動されたのはよくある話なので割愛する。


 夕食のメニューは、この世界では港町以外でまずお目にかからないであろう生の魚、刺し身にした。前回のバルナリア帝国への遠征時にも復路で出したが、最初はやはり躊躇された。


 しかしカレーの前例があったため陛下がまず一口。それからは入れ食いならぬ出し食い状態で、気がつけば大きな舟盛りが何そうも空になっていた。


 今回は経験者のアリスがいたのでそこまで躊躇されることはなく、舟は無事に空荷になったのである。つまり大好評だったというわけだ。


「生の魚を食べたのは久しぶりだったが、あのような舟を模した器があるとは。そしてビールという酒もキレがあって味わい深かった」

「私まで頂いてしまいましたが、枝豆というのは罪深い食べ物だと思いました」


「ジャック君、ビールを我が商会に卸してもらうことは出来ないかね?」


「すみません。建物の外に出すと消えてなくなってしまうんですよ」

「あり得んだろう」


 試して納得してもらった。


「惜しい! 実に惜しい!」

「まあ、今夜は楽しんで頂いたということで」


「うむ。明日からも頼みたいのだが」

「今夜は特別です。明日以降はタダというわけには参りませんよ」


「むろんだ。むしろ今夜の分も金を払おうと思っているぞ」

「いえ、結構です。俺たちがテントを持っていないと知って、馬車に誘って下さったお心遣いへの感謝とさせて下さい」


「しかし野営地で風呂に入れた上に、美味い酒と食事、そしてあの心地よさそうなベッドで寝られるのだ。商人の端くれとして対価を払わないわけにはいかん」


「ではこの遠征の間お二人が利用されるとして、金貨一枚でいかがでしょう?」

「それでは安過ぎると思うが?」


「先ほども申し上げた通り感謝ですから。次回があればその時はご相談で」


「いや、次回もその次もジャック君に護衛を頼みたい。もちろんアリス嬢の同行も構わん。馬車も専用を用意しよう」


「ジャック、代金はどうするの?」

「アリス、それはさっきも言った通り相談で……」


「なら陛下や父上たちに知られないようにしないと」

「あ、そうか」


 そこで会頭の眉がピクリと動いた。

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