第十二話 命の重み

 昨夜からの雨は一向に弱まる気配がなく、朝になっても降り続いていた。


「この様子では今日もここに足止めだな」


 陛下の言葉通り、間もなくノイマンさんが雨が止むまでこの野営地に留まることになったと報告に訪れた時だ。


「使用人たちが騒いでいるようだが、何かあったのか?」

「それが……使用人の一人が熱を出しまして……」

「何だと!?」


「その者の処遇について揉めているのです」


「この雨と寒さですからね。風邪でもひいてしまったのでしょう。ですが揉めるほどのことなんですか?」

「ジャック・アレオン君、野営地で風邪をひくということがどういうことか知らんのだな」


 陛下が説明して下さった内容は驚くべきものだった。


 風邪は感染する可能性が高い病気だ。そして日本のように高度に発達した医学や薬学などない世界だから、風邪で命を落とすことも珍しくないのである。


 とは言え本来ならほとんどの場合は薬を飲んで、暖かくして安静にしていれば治ることも多い。ところがそれはしっかりと体を休める環境があってのこと。まして野営地で風邪をひくというのは命取りなのだそうだ。


 それは分からないでもない。分からないでもないが納得出来るかどうかは別の話である。何故なら――


「風邪に限らず、遠征中に病に罹った者は置いていくのだ。テントにも入れてやれん」

「はい?」


「もちろん、雨晒しにならぬよう別のテントは用意することになるが……」

「ちょ、ちょっとお待ち下さい。それって死ねと言っているのと同じではありませんか?」


「ジャック殿、仕方のないことなのですよ」

「ノイマンさん……?」


「病人の世話をした者は感染する可能性が高くなる。そうして病人が増えていけば、遠征どころではなくなるし死人も余計に出るだろう」

「陛下……?」


「犠牲は少ない方がいいということです」

「貴方たち、それでも人間ですか!?」

「ジャック、不敬よ」


「構うものか! 見損ないましたよ、陛下。不敬だと仰るならどうぞ、この首を刎ねて下さって結構!」


 しかし俺が無礼討ちされることはなく、陛下はこの世界の常識を淡々と語って下さった。それは現代日本では考えられないこと、命の重さの違いについてだった。


 実は俺は聞かれるがままに日本の文化や習俗について語っていたのだ。理不尽に人が死ぬことへの忌避感についても、である。それを覚えていたからこそ、陛下は悔しそうにされていた。


「ジャック・アレオン君の気持ちは分かる。も出来れば見捨てるような真似はしたくない。だがな、君のいた日本とは違うのだよ。助けたくても助ける術が我々にはないのだ」


「魔法は? 日本には魔法はありませんでしたが、この世界には魔法があるではないですか!」


「病を癒す魔法を使える者は多くない。余と娘のための魔道士はいるし薬もある。しかし使用人にそれらを使うことは出来ぬのだ」

「そんな! それはあまりにも不公平では!?」


「陛下と民が同様の扱いを受けることなどあり得ません。それがこの世界の常識なのです」


「陛下を失うことは王国の存亡に関わる大事だから当然なの。分かって、ジャック」

「アリスまで……」


 俺はこの時初めて自分の常識が通じないことを理解した。ここは日本とは違う。俺はここでは常識外れのことを喚き散らしている異端児に過ぎないのだ。そう気づいた時、俺は陛下に非礼を詫びた。


「失礼を申し上げてしまったこと、心よりお詫び致します」

「よいのだ。人として正しいのは君の方なのだからな」


 だがそこで俺はふと女神様の言葉を思い出した。


「細菌性とかウイルス性の病気なら完治します」


 風邪は多くがウイルス性だが細菌が原因のこともある。その割合はおよそ9:1。しかし言い換えれば風邪の原因はこの二つのみ。そして家の出入り口を通れば、それらは全て除去される。


「陛下、大至急その人をこの家に連れてくるようご命令を!」

「それでは我々が危ない……」


「お忘れですか? 女神ジーリックから私が受け取ったお言葉を」

「女神の言葉……? そうか! それがあった!」


「お父様?」

「陛下?」


「ええい、何をぐずぐずしておる! ノイマン、すぐに病に罹った使用人を連れて参れ!」

「で、ですが病人に近づけばその者も……」


「余のめいだ。拒んだ者は逆賊として首を刎ねる」

「は、ははっ!」


 間もなくぐったりとした女性の使用人を背負った男性が、傘を差し向けるノイマンさんに付き添われてやってきた。その後ろには他の使用人も心配そうな表情で数人ついてきている。


 まずは病気になった使用人女性と、彼女を背負っている男性に登録パネルに触れてもらった。意識が朦朧としていた女性は三十代後半に見えた。


「メアリーだったか」

「そ、そのお声は……陛下……?」


 だが、突然彼女は男性の背中から降りようともがき始める。


「ど、どうしたのだ、メアリー?」

「陛下、私は病に罹っております! 近づいてはなりません!」


「落ち着け、落ち着くのだ、メアリー」

「貴方はトンプソンですね! 私を降ろしなさい! そして貴方も私から離れて……」


 そこでメアリーさんは気を失ってしまった。俺は彼女を背負ったトンプソンさんに家に入るよう促し、不安そうに見守っている使用人さんたちに目を向ける。


「皆さんの中でメアリーさんと特に親しい方はどなたですか?」


 するとやはり三十代後半と思われる女性が手を挙げた。


「キャシーと申します。メイド長代理とは同郷で、特に親しくしております」


「ではキャシーさんもこのパネルに手のひらを当てて中に入って下さい。メアリーさんのお世話をお願いします」

「は、はい! 皆さん、行ってくるわね」


 彼女の言葉で一同が頷き、安堵の表情を見せる。メアリーさんはメイド長代理だったのか。役職者だから陛下も名前を覚えていたのだろう。


 玄関を入ることですでに風邪ウイルス、もしくは病原菌は除去されたが、消耗した体力は休まなければ戻らない。部屋をどうしようか、などと考えながらひとまず俺はドアを閉めた。

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