第十三話 アリスの涙

 やむを得ず招き入れた三人だが、気を失ったままのメアリーさんを除く二人には、陛下から家の中で見たことは絶対に口外してはならないとの厳命をお願いした。


 それからアリスに俺の部屋に移動してもらい、メアリーさんを空いたその部屋に運んでもらう。このまま一晩休んでもらうかも知れないと考えてのことだ。トンプソンさんはいつまでも残る必要がないから部屋はいらない。


 なおメアリーさんたち三人は朝食がまだとのことだったので、スクランブルエッグとカリカリベーコン、それに生野菜サラダとパンを用意した。風邪は完治しているはずなので、お粥などは作らなくてもいいだろう。


 用意が出来たところでメアリーさんが目を覚ましたので、まず先に朝食を済ませてもらい、それからこれまでの経緯と口止めなど諸々の説明を済ませた。


 それにしても食材の大量消費を覚悟していたら、三人からは一人分で十分だと言われた。特に遠慮しているわけでもなさそうだったから、本当に満足したのだろうとは思う。何故だろう。


 もちろん食事の際のリアクションは同じだった。陛下とお姫様がいらっしゃる前にも関わらずはしゃいでしまい、とても恐縮していたよ。もっともそんなことで怒る陛下ではなかったし、むしろドヤ顔で眺めていたほどだ。


 ん? 何で陛下がドヤ顔してんの?


 朝食を済ませたトンプソンさんは、メアリーさんが無事だということを伝えるために使用人たちの許に戻っていった。風呂に入らせてあげたかったけど、これ以上秘密が増えると身が持たないと断られてしまったのだ。


 まあ、この後の旅も決して楽ではないのだから、快適さに慣れないという意味でも正しい選択なのかも知れない。


「ジャック・アレオン君、改めて礼を言わせてくれ」

「いえ、こちらも改めて非礼を申し上げたこと、お詫び致します」


「構わん。それよりメアリーを見捨てずに済んで助かった」

「メイド長代理だそうですね」


「ああ、しかし彼女は肩書き以上に城ではなくてはならない人物なのだ」

「詳しくお聞きしても?」


「実は家令を除く全ての使用人の上に立つ侍従長が選民意識の高い者でな」

「平民の使用人を見下しているということですか?」


「そうだ。彼、ジェルマン・フォーレはフォーレ伯爵家の嫡男で、いずれは伯爵位を継ぐことになっている。しかも自身も男爵の爵位持ちだ」


 貴族位は本来陛下が叙爵するものだが、現フォーレ家当主のモルガンが自身の持っていた男爵位を息子に譲ったそうだ。


 ジェルマン氏も侍従長に就任する前は選民意識をむき出しにすることはなかった。しかし爵位を譲り受けて現在の地位に上り詰めると、平民の使用人をぞんざいに扱うようになったらしい。


「その緩衝材のような役割を果たしているのがメアリーなのだよ」

「メアリーさんも貴族なんですか?」


「そうではないが、彼女はジェルマンに一から仕事を教えた先輩なんだ。本心はどうか分からんが今の自分があるのはメアリーのお陰だというのは分かっているのだろう。彼女の言葉にだけは耳を傾けるのだよ」

「ああ、それで緩衝材なんですね」


「うむ。平民の使用人の相談に乗ってくれているからな」


「お聞きしたいのですが、そこまで分かっておいでなら職を解けばよろしいのでは?」

「城の使用人の半数以上が貴族家の令息、令嬢なのだ」


 強すぎる選民意識を理由に降格などさせれば、彼らの不満が爆発するということか。もっとも俺が口を挟める話ではないからな。これ以上余計なことを言うのはやめておこう。


 その後、昼食を食べ終えた頃にはメアリーさんもかなり回復したようだ。しかし未だ雨の勢いは衰えていなかったので、大事を取ってキャシーさんと一緒にそのまま泊まってもらうことになった。


 夕食は麻婆豆腐と炒飯に玉子スープ、デザートは杏仁豆腐。今夜は中華だ。調理はリリアン殿下の侍女さん二人に加え、メアリーさんとキャシーさんにも手伝ってもらう。


 使用人二人は陛下や殿下と食卓を囲むことを恐れ多いと拒んだが、陛下の鶴の一声、命令という言葉には従わざるを得なかった。


 しかしやはりと言うか、俺を除く元からいた五人は例のごとく大量消費だったが、彼女たち二人は麻婆豆腐と炒飯を一人分ずつでも多かったようだ。ここは思い切って聞いてみることにしよう。


「お二人は本当にそれだけで満足なんですか?」

「はい、もうお腹いっぱいです」

「これ以上は入りません」


「陛下たちはあれだけ食べているのに?」

「私たちは平民ですから」


「平民と貴族では違うのですか?」

「逆にジャック様が私たちと同じくらいしか召し上がらないのが不思議でなりません」


 ますます意味が分からなくなってきた。食べる量は貴族と平民とでは違うのだろうか。アリスに聞いてみたところ、その通りだしそういうものだという答えが返ってきた。陛下たちも頷いていたから、そういうものと納得するしかないのだろう。


 そして夜、入浴など諸々を済ませてアリスと部屋に戻ったのだが……


「ジャック、そこに正座!」

「ん? 正座? どうしてそんな言葉知ってるの?」


「前にジャックが日本のことを教えてくれたじゃない。いいから正座!」


「えっと、つまり俺はこれからアリスに怒られるってこと?」

「そうよ」


 とにかく言われた通りに正座してみた。前世が僧侶の俺には苦でもなんでもない。しかしアリスに怒られるようなことをした覚えもない。


「俺、何かした?」

「何かした? じゃないわよ! 私のこと、何だと思ってるの!?」


「愛する婚約者だと思ってるよ」

「安心したわ。私も同じだから」

「そ、そう」


「なら聞くけど、その愛する婚約者の前でよくも陛下にこの首を刎ねて下さって結構なんて言えたわね」

「いや、しかし……」


「陛下が寛大なお方だからよかったようなもので、普通なら本当に首を刎ねられても仕方なかったのよ」

「まあ、俺もそう思うけど」


「ねえジャック、もしあの時ジャックの首が刎ねられちゃったら、私はどうすればよかったの?」

「あ……」


 泣き出してしまったアリスを、俺は立ち上がって抱きしめた。もし俺と彼女の立場が逆で、目の前でその首が刎ねられたらどう思うだろう。この世界の常識だからと諦められるだろうか。


 それはない。絶対にない。彼女を庇い、陛下と差し違えてでも阻止するだろう。しかし無力なアリスには無理だ。俺は愛する彼女を泣かせてしまったことを、今さらながらに心から後悔するのだった。

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