第二話 食べたら寝る

「な、何だこれは……!?」

「すごい……」


 リビングダイニングに入って声を出せたのは、父上とアリスの二人だけだった。母上とリオネル閣下は目を見開いたまま置物のようになっている。


 それでも温水洗浄便座の使い方も含めて、一通り中を案内し終える頃にはどうにか正気を取り戻していた。ただアリスは分からなくもないが、リオネル閣下がベッドにダイブを決めたのには笑ってしまったよ。


 そして二人とも同じように顔をほころばせていたから、確かな血の繋がりを感じずにはいられなかった。


 それから再びリビングダイニングに戻って席に着いてもらう。ただしアリスは俺の横に立ったままだ。


「さっき父上は美味しいお酒があると仰られていましたが、この家にあるお酒を飲んでみませんか?」

「なに、酒があるだと?」


 そんなわけで俺はアリスをキッチン横の冷蔵庫の前に連れていった。


「アリス、これは冷蔵庫というんだ」

「れいぞうこ?」


「中に入れた食材なんかを冷やして保存しておくことが出来るんだよ」

「ふーん」

「ピンとこないよね?」

「氷室じゃないの? すごく小さいとは思うけど」


「機能的にはそうか。でもこれは氷で冷やすわけじゃないし、逆に作れたりもするんだよ」

「え? 氷を作れるの? この中で?」


「うん。まあ、それは後で見せるよ。まずはお酒を出そう。あそこの人たちの顔に早くしろって文字が見えない?」

「ふふ、見えた!」


「じゃ、その角の赤いところに触れてみて」

「ここね?」


 彼女が冷蔵庫の角にある小さな赤い、丸い部分に触れると音もなく扉が開く。中から冷気が漏れるようなことはなく、そこには様々な食材や飲み物が収まっていた。


「茶色い瓶があるでしょ。それを二本取って」

「これね。わっ! 冷たい! びっくりしたぁ」


 俺はジョッキを用意して、キンキンに冷えた瓶ビールを持った彼女と共にテーブルに戻る。つまみは枝豆を茹でておいた。定番だよな。


「う、美味い!」

「これは……麦酒に似ているがのど越しとキレがまるで違う!」


「これがジャックの言うにほ……何だったかしら」

「日本の酒ですよ、母上。ビールと言います」


「えだまめ? の食べ方って面白い! 塩味が後を引く!」

「本当に……止まらんぞ……」


「ジャック、ビールだ。もっとビールを持ってこい」


「はいはい。アリス、お願いしてもいい?」

「いいよ!」


 そうして覚えたてのやり方で彼女が冷蔵庫を開ける。


「あ、あれ?」

「どうしたのだアリス、変な声を上げて」


「ね、ねえジャック、私さっきここからビール取ったよね?」

「うん?」


「取ったよ、絶対取った!」

「ああ、そうだね」


「なのにどうしてまたビールがあるの? ジャック、入れ直してないよね?」

「気づいてしまったか。フフフ……」


 家召喚で呼び出された建物の中では食材から調味料、洗剤などの消耗品の類まで自動的に補充される。詳しい仕組みは分からない。ここではあえて便利ワードを使うことにしよう。仕様だ。


「というわけで、この家に元からある物は使っても勝手に補充されるんだよ」

「何それ怖い」


「魔法とは違うのかね?」

「魔法では無から有を創り出すことは出来ませんよ」

「そうだった」


「こっちで手に入れた食材なんかは使えば減ります」

「このビールというのを店で売れば……」


「申し訳ありません、閣下。家から外に出すと消滅してしまうんです」

「そうなのか?」


「はい。ですのでお店で売ることは出来ません」

「惜しい。実に惜しい」


 それにしてもこの人たち、飲むわ飲むわ。つまみも枝豆だけでは飽きると思ったので、鶏肉のから揚げを作って出したら争奪戦になってしまった。


 ところでこのから揚げ、かなりの量を揚げたのだが、ビールや枝豆と共に恐ろしい速度で消費されていく。一体どこに入るんだよって感じだ。アリスでさえ相当量を平らげていた。女子には禁句かも知れないが太るぞ。


 いくら次から次へと補充されるとはいえ、腹を壊さないか心配になってしまう。しかし母上もアリスと同じくらい、父上とリオネル閣下に至ってはその倍近い量を食っているから、これがこの世界の標準なのかも知れない。


 少しはキッチンから離れられない俺の身にもなってほしいものだ。しかし普段はそんなに食べていた覚えはないんだけどな。不思議だよ。


 そして予想通り、全員がこの家に泊まると言い出した。部屋割りに関しては父上と母上が同室、残りの三室を俺とアリス、リオネル閣下ということにした。さすがに閣下がいるのにアリスとイチャコラするのは無理ゲーだろう。


「各部屋には割り当てた本人しか入れません」

「話がしたい場合はどうすればいいのだ?」


「ドアのこの部分に手を当てて、用件を声に出せば室内に聞こえます。本人が眠っている時はこの絵が現れます」


 こういう機能も召喚時に頭の中に流れ込んできた。


「やだ、布団にくるまっている動物の絵が何だか可愛い」

「ヒツジって言うんだよ。分かりやすいだろ?」

「そうね。ふふ」


「部屋の主が招き入れれば中に入れます」

「なるほど。風呂はいつでも入れるのか?」


「入れますけど皆さんお酒を飲んでるので、今夜は控えた方がいいと思いますよ」


 溺れたりのぼせたりしないように安全機能が備わってはいるが、そんなもののお世話にはならない方がいいだろう。


「ふむ。言われてみれば眠気を感じるな」


「ジャック、貴方のお部屋に行ってもいいかしら?」

「母上、父上が泣きそうになってますよ」


「あら、いいじゃない……あ、そっか、そういうことね。アリスちゃんのお邪魔をしちゃいけないわよね」

「母上!?」

「お母さま!?」


「あら、もうお母さまなんて呼んでくれるの?」

「はっ、いえ、それは……」


「アリスは私の部屋に来なさい」

「嫌よ、父上。だって父上ったらいびきがうるさいんだもの」


 何だか混沌としてきたような気がする。とにかくこの後はそれぞれの部屋で、快適な睡眠を享受するのだった。


 もちろん、アリスが俺の部屋に来たのは言うまでもないだろう。実はこの部屋、防音も完璧だったのである。

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