第八話 心の豊かさ

「き、金貨二十枚ってアリスさん!?」

「こ、こんな大金はさすがに……」


「アリスさん、金貨二十枚って二百万カンブルだよね?」

「ええ、そうね」


「アリスさんの給金がいくらかは知らないけど、俺の給金の一年分以上だよ」

「言われてみれば確かに。でも寄付なんだから金額は関係ないでしょ」


「それはそうだけど……アリスさん、ちょっと。シスター、少し席を外しますね」

「「え? ええ……」」


 俺は応接室からアリスさんを連れて、子供たちに見つからないように建物の外に出た。


「アリスさん!」

「な、なに?」


「何のつもり?」

「つもりも何も、ただの寄付じゃない」


「それは分かるけどやり過ぎだよ」

「どうしてよ?」


「この教会は司祭様が不在ということで、補助金も打ち切られているのは知ってる?」

「そうみたいね」


「入ってくるのはジーリック正教がシスター二人の生活を保証するためのわずかな資金のみ。あとは基本的に自給自足で生活してる」

「だったらなおさら私の寄付は助けになるんじゃないの?」


「その考えは傲慢だよ」

「傲慢?」


「彼らはわずかに入ってくる正教からの資金と、畑で育てた作物やらで慎ましやかながらも飢えているわけではなく、ちゃんと食べられてるよね」

「そのようね」


「ところがそこに二百万カンブルもの不労収入があったらどうなると思う?」

「いい物が食べられて、いい服が着られるじゃない」


「そうして使いきってしまった後は?」

「元の生活に戻るだけでしょう」


「アリスさん」

「な、なに? 顔が怖いわよ」


「アリスさんは大切な人がポンと大金をくれたけど、二度と会いに来てくれないとしたらどう思う?」


「それは嫌ね。お金なんかいらないから何度でも会いに来てくれた方が嬉しいわ……あ……!」

「分かってくれたかな?」


「でもでも、私は何度でもここに来るつもりよ」

「そして寄付金を使いきったら彼らは何を考えるようになる?」

「……」


「もう一度質問するよ。寄付金を使いきってしまった後は?」


「ごめんなさい。元の生活に戻るなんて無理ね。私が来ればまた寄付してもらえると期待するでしょう」

「それだけで済めばいいけど、最悪はそのお金があれば働かなくてもいいと思ってしまうかも知れない」

「……」


「それに一度身の丈に合わない贅沢を知ってしまうと元の生活に戻るのは難しいと思うよ」

「確かにそうかもね……」


 アリスさんは歯噛みしていた。おそらく自分の浅はかな行動を悔やんでいるのだろう。


「俺は毎月一万カンブルを寄付しようと思ってる。今回三万カンブルにしたのは事務仕事の臨時収入があったからなんだ」

「でもそれは今後も続くんでしょう?」


「うん。だけど上乗せされた給金は、俺にとってはあくまで臨時収入なんだよ。だから寄付は毎月一万カンブル。増やすか増やさないかは都度考えることにした」

「そうなのね」


「アリスさん、毎月俺と一緒にここに来ない? そしてアリスさんも無理のない範囲で寄付するってのはどうかな?」


「無理はしてないけど……そうね。じゃあ私は毎月金貨一枚にしようかしら」

「それなら十人の子供たちが時々美味しい物を食べられるね」


 やはりアリスさんは平民ではないような気がする。その彼女が宿舎に入っている理由は分からなかったが、間違いなく金銭感覚は貴族のそれだ。


 俺は幸いなことにベルナール伯爵家の使用人たちから庶民の感覚を教わったが、それまでは彼女と同様に平気で金貨を何枚も持ち歩くような生活を送っていた。もちろん外に出る時は護衛が同行していたが今はあの頃とは違う。


 彼女が貴族なら護衛が潜んでいる可能性は十分に考えられるけど。


 とにかく俺たちは教会の応接室に戻り、改めてアリスさんの寄付は金貨一枚として、代わりに毎月通うことにしたと伝えた。シスター二人はどことなくほっとしたような残念なような、何とも複雑な表情を浮かべていた。


 話が終わるとメルルが寄ってきたので、俺の膝の上に抱き上げる。


「メルル、お菓子は食べたか?」

「すこしー」


「ん? 少しだけ?」

「うん」


「どうして? いっぱいあったでしょう?」


 アリスさんも不思議そうにしている。


「だっていっぱいたべちゃうと、すぐになくなっちゃうもん」

「ああ、少しずつ食べるってことか」


「うん! みんなでそうしようってきめたのー」

「そっかそっか、偉いな」

「えへへ、ほめられたー」


「ジャック君、私今やっと本当に分かった気がする」

「何が?」


「ジャック君が言ったこと」

「あれ? でもさっき……」


「頭では分かったつもりでいたの。でもメルルさんの言葉で本当に理解出来たって感じ」

「と言うと?」


「私たちは自分でお金を稼いで好きなものを食べて好きな服を着られるでしょう?」

「そうだね」


「だけどこの子たちは違う。与えられたものしか食べることも着ることも出来ない」

「うん」


「だから端から見ると貧しい。でも心はきっと私なんかよりもずっと豊かなんじゃないかって思ったの」


 賄いで食べたいものを食べたいだけ取り、腹が満たされれば残す。そのことに罪悪感を感じることはほとんどない。しかし教会の子供たちは違うと言いたいのだろう。


「それは俺も同じだね。反省しないとな」

「ジャック君のそういうところ、好きよ」

「は?」


「だめー! じゃっくはわたしとけっこんするの!」

「えー、私もジャック君と結婚したい」

「ちょ、アリスさん!?」


「じゃあありすおねえちゃん、ふたりでじゃっくのおよめさんになる?」

「メルルも何言ってるの?」


「二人でお嫁さんになろっか!」

「うん!」


 アリスさん、冗談だよね。まあ、冗談でも彼女にそんなことを言われると嬉しいけど。


 この後俺はロジェ君からがんばってるとの報告を受け、シスター二人も頷いていたのでそのまま続けるようにとアドバイスしておいた。


 アリスさんと二人で宿泊に戻ったのは、夕食の賄いにギリギリ間に合う時刻だった。

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