第十六話 異世界へ

「ようこそ、私の世界へ」


 そう言って俺の前に現れたのは、透け透けの白いローブに身を包んだジーリックと名乗る美しい女神だった。透け透けの、とはいっても大事な部分は霧がかかっていて見えない。


 栗色の髪を三つ編みカチューシャにした髪型で、童顔の丸い輪郭に長い睫毛、深い緑色の大きな瞳が可愛らしい少女のようなのに、大きな二つの膨らみは非常に扇情的だった。


「ふふ。女神をそのような目で見てはいけませんよ」


「あ、あははは。こっちの世界の神様がこんなにきれいな女神様とは思わなかったもので」

「そ、そうでしゅか……」

「でしゅ?」


 もしかして照れてるのか? なんか可愛い女神様だなぁ。


「こほん、さて孔雀くじゃく亜音あのんさん、貴方は私の世界ではジャック・アレオンという名で生きて頂くことになります」

「へ? あ、はい」


「ちなみに言いますと、私は純粋なのです。神として崇められることには慣れておりますが、面と向かって殿方に褒められることには慣れておりません」

「あー、はい、なんかすみません」


 女神様、顔真っ赤やん。


「と、とにかくそういうことは考えないように!」

「あ、心を読まれてたわけですか」


「読むというより直接私に言葉として届いてしまうのです」

「それは失礼しました。でもジーリック様があまりに可愛いものですから」


「も、もう! 許して下さい!」

「許してって……女神様……」


「貴方は私を上に見る必要はないのです。何故なら貴方と私は同格なのですから」

「はい?」


「世界が違うとは言っても、私がいるのは貴方の行くはずだった天上界と同じようなところなのです」

「そうなんですか!?」


 だからあの時閻魔大王様は、どちらでも好きな方の天上界に生まれ変われると言われたんだ。それならこの可愛い女神様がいるこっちの天上界に決まってるじゃないか。


「もう!」

「あ、すみません」


「念のためにお聞きしますが、そんなに私のことを気に入って下さったのですか?」

「ええ、まあ」


「分かりました」

「ん? 何が?」


「孔雀亜音さん、いえ、これからはジャック・アレオンさんとお呼びします。願わくば私の世界でも多くの功徳を積んで下さい。悪人や魔獣は懲らしめて頂いて構いません」


 自分の世界の生き物なのだから、全てに慈悲を与えるのかと思ったがそうではないらしい。穢れた魂は世界を混沌とさせるので、女神ジーリックにとって悩みの種なのだそうだ。


「貴方には決して折れることのないこのふうろう剣と、家召喚サモンハウスの能力を授けます」

「風狼剣と家召喚?」


「貴方、剣術の心得がおありなのでしょう?」

「剣術? ああ、剣道ですね。五段までは取得しましたけど……そうか! それであの時ミケロ先輩に勝ったんだ!」


 あれは剣道で身につけたすり足だったのである。


「この風狼剣はきっと役に立つでしょう。剣から繰り出されるカマイタチは、私の世界で最強と言われるドラゴンの硬い鱗も切り裂きます。そしてあらゆる恐怖心を和らげます」

「カマイタチを?」


「貴方の元の世界で言うと厚さ一メートルのタングステン鋼も切り裂けますよ。使い方は剣を握れば頭の中に浮かびます」


「タングステン鋼……どれくらい硬いのかよく知りませんが、それよりドラゴンなんているんですか!?」

「あまり人里には現れませんが」


「やっぱり知性とかあるんですかね?」

「きょ、興味がおありですか?」


「だってドラゴンですよ! 友だちになれれば背中に乗って飛べたり……」

「それは……難しいかも知れませんが、がんばって下さいとしか言えません」


「がんばります! ところで家召喚とは?」


「頭で描いた家を呼び出せる能力です。空間収納としても使えますので、ご自身で中に置いた物はいつでも取り出せます。風狼剣も入れておくといいでしょう」


「なるほど、いわゆるアイテムボックス的な使い方ができるわけですね」

「家を送還すると中の時間が止まりますので、生き物がいる状態では送還出来ません」


 ただし野菜や果物、植物や病原体を除く菌類などは別という謎仕様だ。ん? 病原体を除く?


「もしかしてその家って浄化作用があったり?」


「はい。出入り口には自動浄化オートクリーンシステムが備わってます。汚れていても出入り口を通るだけできれいになりますよ」

「じゃ、病気の人が通れば……!?」


「細菌性やウイルス性の病気なら完治します。毒も消えます。ただし衰えた体力は戻りませんので療養は必要です」

「すげーっ!」


「貴方が病気で死んでしまったりしないようにするためですので、無闇に私の世界の人には使わないで下さいね。秩序が乱れますので」

「絶対、とは言わないんですね」


「貴方が大切に思う方や、貴方に利をもたらす相手なら構いません」

「なるほど」


「家の大きさは貴方がイメージする通りに変えることが出来ます。それこそ二百室に温泉まで備えるホテルのような建物でも可能です。ただし大きさを変える場合には一度送還して召喚し直す必要があります」

「ふむ。商売も出来そうですね」


「用途はご自由に。ですが先ほども申しましたように、私の世界の人にはあまり見せない方がいいかも知れません」

「何故です?」


「中が快適すぎて王侯貴族に知られると厄介なことになりかねませんから」


 女神様の世界では考えられないほど寝心地のいいベッドに、体の芯から癒やされる温泉。さらに驚かされたのが――


「食材は貴方の世界にあった物がそのまま用意されており、使っても尽きることがありません。そこになくても欲しいと望めば手に入れられます」

「はい?」


「家電や調理器具なんかも貴方の世界の物です」

「か、家電!?」


「電力と水の心配もありませんよ。もっともこれらは家の結界から外に持ち出すことは出来ません。無理に持ち出そうとしても結界の外に出たとたんに消滅します」


「そうか、だから王侯貴族に知られると面倒なことになるんですね」

「そうでない人もいますが、彼らは基本的に我が儘ですから」


 召喚した家は強固な結界で守られており、ドラゴンのブレスを受けてもビクともしないそうだ。この結界は俺自身にも張ることが可能で、範囲は自分一人だけに絞ることも視界に入る全ての域に広げることも出来るとのこと。


 何だそれ。食材も水もなくなることなく、家はドラゴンのブレスさえ弾く結界に守られている。しかも病気になる心配もない。異世界生活めちゃくちゃイージーモードじゃないか。


 いや、しかし待てよ。俺は前世で引きこもっていたわけではなく僧侶をやっていたわけだから、人と関わらない日々に耐えられるはずがない。どうせならこの世界の人たちと関わって、楽しく幸せに暮らしたいと思う。


 目の前の女神様ほどではなくても、可愛い女の子とだって知り合いたい。知り合うだけではなくイチャイチャしたい。


「こほん」

「あ、考えてること聞こえちゃってるんでしたっけ」


「ま、まあ、その知り合った女の子と誠実に向き合うのでしたら問題はありません」

「あははは……」


「それではジャック・アレオンの一生に幸あらんことを。そうです、忘れるところでした」

「はい?」


「貴方はベルナール伯爵家の四男として生を受けます。十五歳で成人して家を捨て、アレオン姓を名乗りますが身分は平民です」

「はあ……」


「ここでの記憶を取り戻すのはそれからさらに三年後、十八歳になってからとなります」

「えっ!?」


「大丈夫です。それまでもそれからも、貴方には私の加護がありますから」

「いや、ちょっと待って!」


「では、行ってらっしゃい」


 彼女のその言葉を最後に、俺の視界は白い霧に包まれるのだった。



――あとがき――

次話より第二章『バルナリア帝国へ』全18話に入ります。

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