第四話 アルベール国王陛下

 ジャックの父、ディディエ・フォン・ベルナールとアリスの父、リオネル・ラバールは、風呂上がりにリビングでテーブルを挟んでいた。


 残念ながら昨夜は二人とも冷蔵庫の開け方を見ていなかったので、飲み物も出せない状態だ。


「快適さはすぐに慣れる、か。ベルナール卿のご子息も成長されましたな」

「前世では僧侶だったとか言っておったし、我が息子ながら含蓄のある言葉はその影響か」


「年相応の煩悩も持ち合わせているようですが」

「倒れたのが連れ込み宿とは……」


「ところでアルタヘーブ教会への寄付のこと、ベルナール卿はご存じでしたか?」

「まあな。家を捨てて出たとは言え大切な息子であることに変わりはない。知った時は驚いたがね」


「我が娘も同様に毎月の寄付を欠かしていないんですよ」

「それも知っている」


「経緯もご存じですか?」

「うん? 息子に付き合ってのことではないのか?」


 ラバール伯爵は、娘に倣って自身が教会に多額の寄付をしようとした時に、ジャックから言われたという言葉で窘められたことを話した。


「そんなことが……」


「幸い我々は金貨の百枚や二百枚くらいすぐに出せる立場にあります」

「それが千枚でも二千枚でも、な」


「しかし見返りを求めないことはほとんどない。今回ジャック君が要求した宿泊代の支払いを厭うことはありませんが、それも結局は宿泊したことへの対価に過ぎません」

「うむ、確かに」


「寄付は見返り、ご利益を求めてはいけないそうですよ」

「よく分からん。見返りなど求めたりせんのは常だろう?」


「私はそうではありませんでした。この金をやるから娘に便宜を図れ、そんな思いがありました」

「教会の便宜とは?」


「さあ、何でしょう。とにかく何でも娘を優先しろ、ということでしょうかね」

「ああ、なるほど。それなら分かるが、見返りと呼べるほどのものでもないだろう?」


「娘に叱られましたよ」


 ディディエはそこで返す言葉を思いつけないでいた。金を使って見返りを本当に要求しないのは、基本的に家族に対してのみだ。


 ここでいう家族とは妻と子供たち、自身の両親や祖父母のことで、妻の両親や兄弟姉妹はその枠には入らない。もちろん自分の兄弟姉妹もだ。


 狭量と言えばそれまでなのかも知れないが、貴族とは概ねそういうものなのである。


「ジャック君が言った通り、保養地に来たと思うことにしましょうか」


 そこにいても風呂に入るくらいしかやれることがないので、ひとまず二人はベルナール邸に戻ることにした。


 ラバール伯爵も今夜再びこの家に泊まるので、ジャックが帰ってくるまでベルナール邸の応接室で待つことにしたのである。自邸にはベルナール家から使者を送ってもらった。



◆◇◆◇



 その日の夜、俺とアリスが仕事を終えて帰宅した時のこと。見慣れない豪華な馬車と十人以上の兵士がベルナール邸の玄関前に停まっているのに気づいた。


 見慣れないとは言っても以前どこかで見たことがあるような気がする。どこだっただろう。まあ、あまり気にすることはないか。あそこに停まっているということはベルナール家の訪問客だ。俺には関係ない。


 関係ないはずなのだが、何故か俺を見つけた母上が慌てて玄関から飛び出してきた。


「ジャックちゃん! ジャックちゃん!」


「母上、そんなに慌ててどうされたのですか?」

「大変なのよ! 大変!」


「落ち着いて下さい。何があったのです?」

「やあジャック、アリス嬢も帰ったか」


 そこに出てきたのは父上とリオネル閣下、それとあれは……まさか!?


「君がジャック・アレオン君か」

「こ、国王陛下!?」


 二人と一緒に邸から出てきたのはアルベール・ルイーズ・カジミール・ランガルド、ランガルド王国の国王陛下だった。陛下の側近と思われる男性もいる。


 そのお姿は薄紫色のウェーブのかかった長い髪に、無精髭のような髭を生やした四十七歳のイケオジだった。それはそうと、俺たちは彼らを含めて兵士に囲まれる。


 陛下の御身を護るためなのだろう。


「こ、これ! 陛下のお許しなしに口を開いてはならん!」


「よいよい。ジャック・アレオン君、直答を許す」

「は、はい! 私がジャック・アレオンです」


「君には早く会いたいと思っていたのだがね。なかなか私の立場ではそれも難しかった」

「あの、私が何かしてしまったのでしょうか?」


「そういうことになるのかな」


 すぐに父上が陛下の訪問の経緯を話してくれた。それによると、ベルナール家王都邸の裏庭に何やら見たことのない建物が現れていたとの報告を受けたのが発端だったようだ。


 おそらく報告は密偵によるものだろう。王家が貴族の王都邸や領地を密偵に見張らせるのは、半ば公然の秘密だったのである。


 そして建物から灯りが消えて寝静まったと思われる頃に侵入を試みたが、どうしても中に入れなかった。王家の密偵が入れない建物など、他国の高度な技術が関与している可能性がある。となれば、もはや謀反を疑われても仕方のない状況だった。


 ところが相手は忠義に篤いベルナール家となると話は変わってくる。加えてラバール伯爵もいるというではないか。そして二人の会議の欠席。


 陛下としては疑いたくない一心で、わざわざ御身でここを訪れたと言うのだ。


「父上……大丈夫ではなかったではありませんか」

「う、うむ。面目ない」


「まあ、そう言うな。聞いたぞ、あの建物のこと」

「そ、そうですか」


「ノイマン」

「はっ!」


「今宵はあれに泊まる」

「は……えっ!?」


「ジャック・アレオン君、構わんかな?」


 こう仰られてはいるが、もちろん俺に拒否権などあるはずがない。


「陛下お一人でしょうか」

「うむ」


「な、なりません、陛下!」

「聞けば一人一泊金貨五十枚だそうだ。言っておくがノイマン、余は自分の分しか出さんぞ」


「で、ですが……」

「ならばお前を伴にしよう」


「陛下! せめて近衛も何人か……」


「ノイマン、お前が近衛の分まで支払うのか? 言っておくが経費で落とすことなど許さんぞ。むろんお前の宿泊代もだ」

「金貨五十枚……私も外で待機させて頂きます」


「ということだ、ジャック・アレオン君。余一人で泊まらせてもらう」

「かしこまりました」


「うむ。では案内を頼む」

「その前に陛下、少しお待ち下さい」


 俺は意気揚々と家に向かおうとするアルベール陛下を呼び止めた。

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