第十一話 結婚の条件

 ユゴニオに就職してから、つまりベルナール家を捨ててから一年が過ぎた。俺とアリスは相変わらずラブラブな日々を過ごしている。


 ただ、問題が一つあった。互いに宿舎で暮らしているためキス以上の行為が難しいのである。まあ、それでも泊まりがけの旅行に行って、先月ようやくお互いの初めては済ませたけどな。


 と言うわけで家を借りようということになったのだが、ここで二つ目の問題が発生した。知らないわけではなかったが、家賃が驚くほど高かったのである。


 ましてユゴニオは王都の中心に近い貴族区画と平民区画を跨いだ立地だから、平民区画側でも店に通える範囲だと特にバカ高い。壁の薄い集合住宅のワンルームでも家賃は最低二十万カンブルはする。


 一年勤続して昇給したとは言え、俺の給金は事務仕事分込みで十八万カンブルだから、似たような額のアリスの収入を合わせても難しいと言わざるを得ないのだ。


 いや、確かに二十万カンブルの家賃なら払えないことはない。二人分の食費も賄いで済ませれば何とかなるだろう。


 しかし俺たちが求めているのは隣の部屋の話し声が聞こえてくるような壁の薄い集合住宅ではなく、誰に気兼ねすることなく生活イチャイチャ出来るちゃんとした一戸建ての家なのだ。


 そうなると最低家賃は五十万カンブル。これでは暮らしていけないどころか足が出る。戸建てを諦めて壁だけはしっかりした集合住宅で妥協したとしても、二部屋風呂なしで家賃は最低三十五万カンブルもかかるのだ。


「郊外だと少しは安いけど通うのが大変なのよね」

「連れ込み宿を使うと、どこでお客さんとかに見られるか分からないしなぁ」


「もー、そんなことばっかり言ってぇ」

「仕方ないだろ。彼女がこんなに可愛いんだから」


「ま、まあ男の人がそういうことをしたがるのは分かってるけどね」


 口ではこう言っているが、彼女も満更ではない様子だった。それに褒めるとすぐに赤くなるのは、本当に可愛くて仕方がない。


 結局結論には至らなかったのだが――


「ジャック、貴方に話してないことがあるの」

「秘密の一つや二つあるのは当然じゃないかな。俺にもあるし」


「えっ!? ジャックにもあるの?」

「そりゃあるさ。まあ、いずれは言うかも知れないし一生言わないかも知れない」


「それはちょっと寂しいかな」

「必要があれば言うよ。それと俺が許せないのは裏切りだけだから、そうじゃないなら無理に教えてくれる必要はないさ」


「そう。でもそんなジャックだからやっぱり話そうと思う。もちろん裏切ったわけではないわよ」

「だったら聞かせてもらうけど、結構重たい話?」

「多分……」


 俺は背筋を伸ばして正座した。重要な話なら聞く側も襟を正すべきだと思ったからだ。


「薄々勘づいてはいたみたいだけど、私の実家は貴族なの」

「ああ、やっぱり。でも驚くことではないかな」


「違うの。あのね、私のフルネームはアリス・ラバールなの」

「うん? もう一回言ってくれる?」


「アリス・ラバール。実家はラバール伯爵家」


「えっと、もしかしてアリスはユゴニオのオーナーのご令嬢ってこと?」

「そう……だから今はいいけど結婚は絶対に反対されると思う……」


 貴族じゃなければ家名がないのが普通なので、付き合っているからと言ってこれまで特に気にしたことはなかった。加えて何となく彼女は貴族令嬢だとは思っていたけど、それならそれでいつか教えてくれるだろうと考えていたのだ。


 しかしまさかオーナーであるラバール伯爵家のご令嬢だったとは。


「それで、アリスはどうしたいの? もしかして別れたいとか?」

「いいえ、とんでもないわ。どうしても許してもらえなかったら家を捨てる覚悟よ」


「そっか……ねえアリス」

「なあに? 別れようって言うなら嫌よ。私はどうしようもなくジャックが好きだもの」


 本来なら上級貴族家の令嬢なのだから、縁談も多数あるはずだ。しかし彼女には十人を超える兄弟姉妹がいるため、政略結婚の駒にならず自由にさせてもらっているとのことだった。


「ありがとう、嬉しいよ。俺も別れようなんて言うつもりはないから安心してくれ。それより俺の秘密も一つ話そうと思う」

「えっ!? なになに? 聞きたい!」


「実は俺、ベルナール伯爵家の四男なんだ」

「は? えっ!?」


「まあ、俺の場合は本当に家を捨てたからベルナール姓を名乗ってはいないんだけどね」

「ちょ、ちょっと待って。ベルナール伯爵家って、王国からの評価で言えばうち以上じゃない。どうして捨てちゃったの?」


「兄上が三人いて父上が持つ爵位は伯爵位と子爵位だけ。つまり俺にはまず回ってこないし、政略結婚で婿養子に出されるのも嫌だったからね」


「あー、何となく分かるわ。下級貴族からすればジャックが婿入りすれば、ベルナール伯爵家と縁戚になれるものね」

「そう。縁談を申し込んでくるのはそんな下心ある家ばかりだったからさ」


「それでベルナール伯爵、お父様とケンカして家を飛び出しちゃったんだ?」

「いやいや、俺が意地を張っただけで、父上も母上もいつでも帰ってきていいって言ってくれたよ」


 家を出る時の話をしたら、お腹を抱えて笑いころげられた。


「愛されてるのね、ジャック」

「ありがたいことにね」


「でもよかったぁ。それなら父上も結婚に反対なんてしないと思う」

「ただ俺は出来るだけ実家には頼りたくないんだ。家を捨てて出た身だからさ」


「分かったわ。でもどうしようもなくなったら切り札に使わせてね」

「アリスには代えられないし、そういうことなら構わないよ」


「ジャック、好きよ」

「俺もだ、アリス」


 この後連れ込み宿に行って盛り上がったのは言うまでもないだろう。

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