第十話 木剣と師匠
「じゃっくだー!」
「あら、今日は三人なんですね」
いつものように駆け寄ってきたメルルを抱き上げると、一緒に出てきたシスター・エリアーヌさんが俺たちを見て微笑んだ。
メルル以外の子供たちは建物の裏で畑仕事をしている。彼らは俺たちがいつ来るのかは知らないので、見つかってから大騒ぎになるのが常だった。
応接室に通されると、まずは恒例となった寄付金の受け渡しである。シスター二人がテーブルを挟んで俺たち三人と向かい合って座った。
「今月も三万カンブルです」
「私は今日は十万カンブルで」
「あれ? 金貨じゃないの?」
「金貨は両替に手数料がかかるってジャックが教えてくれたんじゃない」
「ああ、なるほど」
「アリスさん、お気遣いありがとうございます」
「いえ、知らなかったことを知れたのはよかったですから。逆に今までごめんなさい」
「そんな! お気になさらずに」
「あの……えっと……」
言いながらミケロ先輩がおずおずと寄付金を差し出す。
「さ、三千カンブルです。少なくてすみません」
「いいえ、主神様は貴方の勇気ある行いを誇らしく思われることでしょう。ミケロさんに主神様の加護があらんことを」
シスター・セシルさんが胸の前で両手の指を組んで祈りのポーズを取ると、シスター・エリアーヌさんも同様に目を閉じた。しかしここで思いがけないことが起こる。
なんとミケロ先輩の目がシスター・セシルさんに釘付けになっていたのだ。頬が紅潮しているし少し鼻息も荒くなっているし、一目惚れしてしまったのは間違いないだろう。
彼女は儚げで可愛らしいから、ミケロ先輩の気持ちも分からなくはない。実際聖職者じゃなければ俺もそうなっていた可能性を否定出来ないからだ。もちろん今はアリスがいるから他に目が向くことはないよ。
ところでシスターと修道女は異なる扱いとなっている。主神ジーリックは女神だが、心身を捧げる修道女は処女でなければならず生涯結婚も出来ない。これは修道士も同様だ。
一方シスターは(ブラザーも)主神に仕える身であり、必ずしも処女である必要はなく結婚も出来る。
余談だが、どちらも人から金や物を借りることは許されていない。借りを作ればその相手に対して義務が生じ、神に仕えることに支障を来すという考えからだ。発覚すれば金額などに関係なく破門される。
さて、寄付の受け渡しが終わって間もなく、子供たちが畑から帰ってきた。そこで俺の姿を見つけたロジェ君が全力疾走で駆け寄ってくる。
「師匠!」
「聞いたぞ。半年間、よくがんばったな」
「はいっ!!」
「よし、約束通り木剣だ。受け取れ」
「あ、ありがとうございます!!」
俺が真新しい木剣を手渡すと、涙を浮かべながらロジェ君は受け取った。
「さっそく素振りしてみるか?」
「はい!」
「よし、俺の出番だな」
「えっと、師匠、この人は?」
「ロジェ君の剣術の師匠を買って出てくれたミケロ先輩だ」
「ロジェ君、初めまして」
「は、初めまして!」
「ミケロ先輩は今は俺やアリスと同じユゴニオで働いているが、傭兵を目指して剣術の鍛錬に励んでいた過去がある人なんだぞ」
「そうなんですか!? すげーっ! よろしくお願いします!」
「うん、よろしく。俺は君のことをロジェと呼び捨てにするが構わないかな?」
「もちろんです、ミケロ先輩師匠!」
「あー、先輩はいらん。ミケロ師匠でいい」
「はい! ミケロ師匠!」
実はこれこそがアリスのお願いポーズの結果だった。最初は鼻息を荒くしていたものの、内容を聞いて了承は渋々だったのだ。ところがシスター・セシルを見て考えが変わったのだろう。
あの時とはノリがまるで違う。
今後は剣術の稽古を口実に、休みの度に教会に来るようになるかも知れない。チョロいと言うか何と言うか。
もっとも今までは給金のほとんどを酒に費やしていたらしいから、それが寄付に変わるなら健全だし体にもいいはずだ。ん? 健全か?
どうでもいいが、俺も今後はロジェ君を呼び捨てにすることになった。そんなロジェ君だが、とんでもないことを言い出したのである。
「ジャック師匠とミケロ師匠ではどっちが強いんですか?」
「ロジェ、ミケロ先輩の方が強いに決まってるじゃないか」
「えー、でも二人が戦うところを見てみたいです!」
「よし、やるか!」
「はい?」
「ジャックはロジェにやった木剣を使えよ。俺は自分のがあるから」
「いやいや、ちょっと待って下さいよ」
目を輝かせているロジェと、シスター・セシルが見ているものだからやる気になった先輩。それに加えてアリスまで俺に期待の眼差しを送ってきている。これじゃは逃げられないじゃないか。
「先輩、手加減して下さいよ」
「わぁーってるって! さあ、遠慮せずに打ち込んでこい!」
言われて何となく木剣を上段に構え、俺は一つ深呼吸をした。そして左足を前に出して体重を乗せ、まるで何かに吊されているような姿勢で立つ。
ん? なんだこれ? 体が勝手に動くぞ。
次に体重を
カンッ! ズバン!
それは一瞬のことだった。俺が振り下ろした木剣が先輩の木剣を叩き落とし、再び振り上げて肩を打ちつけるまで一秒もかからなかったのである。
「いってーっ!!」
「あ、あれ?」
「ジャック師匠、すげー!」
「ジャック! やったー!」
「いや、待って……てか先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですかじゃねえよ、いてて。何だよ、あの動きは!」
「俺にもさっぱり……」
そんなわけで勝負は俺の勝ち。先輩、本当にすみません。だけどあの感じは何だったんだろう。
◆◇◆◇
「ジャック、俺よぉ」
「はい?」
その日の夜、そろそろ寝ようかと思っていたところで、宿舎の部屋にミケロ先輩が訪ねてきた。とりあえずお茶を出してみたが、何だかモジモジしていて正直キモイ。
「俺、俺よぉ」
「だから何です? 明日もあるので早く寝たいんですけど」
「俺、次の休みにまたアルタヘーブ教会に行こうと思ってる」
「あー、はいはい、シスター・セシルさんに会いに行くんですね?」
「ち、違う! ロジェに稽古をつけてやるだけだ!」
「シスター・セシルさんには会わないんですか?」
「だ、誰もそんなことは言ってないだろう!」
あー、めんどくせえ。
「行けばいいじゃないですか」
「つ、ついてきてくれないのか?」
「俺は先輩の保護者ですか? 行きませんよ」
「ど、どうしてもか?」
「どうしてもです」
「ならよぉ、一万カンブル貸してくれねえか?」
「一万カンブル? 何に使うんです?」
「いや、行くからには寄付を……」
「借金してまでするものではありませんよ、寄付は」
「しかし……」
「シスター二人がそれを聞いて喜ぶとでも思っているのですか?」
「お、思わねえ……」
「いいじゃないですか。先輩は毎月三千カンブルを寄付する。寄付しない日でもロジェに剣術の稽古をつける。ついでにシスター・セシルさんに会う。一欠片も問題ありません」
「そ、そうかな……」
「そうです。それがシスターの言った勇気ある行いだと、俺は思いますよ」
やれやれだ。納得したミケロ先輩が帰っていったところで、俺はようやく消灯することが出来た。
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