第八話 王女命令(わがまま)

「失礼、ちょっといいですか?」

「あら、何かしら?」


 ベリエ男爵令嬢のオロール嬢は、俺とアリスが皇室の紋が刻まれた馬車から降りてきたことを知らないのだろう。汚いものでも見るかのような視線をこちらに向けてきた。


 余談だが、こういう状況になった場合、日本人なら多くが巻き込まれることを恐れて出ていってしまうに違いない。しかしこの世界の人たちはどうやらそうではないらしく、少し距離を置いてはいるものの客も店員も興味深そうに成り行きを見守っていた。


「私はランガルド王国から来たジャック・アレオンと申します」

「妻のアリスです」


「その隣国の方たちがこのワタクシに何の用がありますの? つまらない用件でしたらお父様に申し上げて、皇帝陛下からお国に抗議させて頂きますわよ」


 ちょっと待て、いきなり笑わせてくれるなよ。アリスを見ると彼女も笑いを堪えているようで、顔がヒクヒクと引きつっていた。あと、今後は彼女が妻と自己紹介してもツッコまないことにした。


 ところがお嬢様はそれを恐れからきたものと勘違いしたようだ。


「隣国から来られたのではご存じないでしょうけど、たかが下級貴族の男爵家が皇帝陛下に具申出来るはずがないとお考えでしたら大間違いですわよ」

「ああ、先ほど伺いました。何でもベリエ男爵家は帝国の建国時から続く由緒正しいお家柄なのだとか」


「ご、ご存じならよろしいですわ。それで、ご用件は何かしら?」

「はい。貴族として少々横暴が過ぎるように見受けられましたので、お諌めさせて頂こうかと」


「ワタクシの話を聞いておりませんでしたの? 奥様は怯えてらっしゃいますわよ」

「ぶふっ!」


「な、何がおかしいんですの!?」

「アリス、笑ったら失礼だよ」


 俺もがまん出来なくなるじゃないか。


「オロール様、でよろしかったですか?」

「え? ええ、そうよ」

「あちら、お見えになられます?」


 そう言って俺は店の外に停まっている馬車を指さした。一番見張らしのいい席の窓からは、バッチリと皇室の紋章が見えている。


「ええ、見えますと……も……?」


「私たち二人は現在この国を訪れているランガルド王国の国王陛下と王女殿下の従者として、皇帝陛下からお借りしたあの馬車でこちらに来ました」

「そんな……嘘ですわ!」


「第一皇子トリスタン殿下と我が国のリリアン王女殿下がご婚約なされているのはご存じですか?」

「も、もちろん知っていますわよ」


「私たちはお二人のお見合いの付き添いで参っておりましてね。今夜も皇帝皇后両陛下や皇子殿下、我が国の国王陛下、王女殿下も交えての晩餐に臨席させて頂く予定です」


「う、嘘! 嘘です! そのような大事にお父様が呼ばれないはずはありませんもの!」

「「ふっ……」」


 俺もアリスも思わず鼻で笑ってしまった。


「また笑って……そうですわ! 貴方たちがあの馬車に乗ってきたなんて証拠がありません!」

「あー、それなら馬車を守っている騎士さんを呼んで証言してもらいましょうか?」


「なっ……も、もうよろしいですわ! 帰りますわよ! こんなお店、二度と来るものですか!」


 そう吐き捨てて、男爵令嬢は侍女さんと共に店を出ていった。一方、テーブルの女性二人は思わぬ出来事に青ざめている。それを見たオーナーのマーチンさんも駆け寄ってきた。もっと早く来いよ。


「オロール嬢、もう二度と来ないそうです」

「へ? あ、ああ、言っておられましたね」

「売り上げに響くとか?」


「いえ、それほどの損害はありません」

「ならよかった。さてそちらのお二方」


「「は、はいっ!?」」


「あそこで席を譲らなかったのには感服しました」

「「あ……はい……」」


「マーチンさん、先ほど奥で試食と言われてましたがどうでしょう、彼女たちも一緒にというのは」

「そ、そんな!」

「滅相もありません!」


「でしたら一つ、お願いを聞いて頂けますか?」

「お願い……」

「ですか……?」


「ええ、私たちは明日ランガルド王国に帰りますが、このお店には向こうで待つ家族や友人にお土産を買うために立ち寄りました」

「「はあ……」」


「お二人のオススメを教えて頂きたいのです」

「「えっ!?」」


「で、選んでもらったら奥で試食しようと思ってます。ご一緒して頂けませんか?」


 二人は終始怯えていたが、試食会が終わる頃にはそれなりに打ち解けてくれた。もちろん彼女たちの飲食代は無料で、マーチンさんの計らいでたくさんのお土産ももらっていた。


 俺とアリスも二人のチョイスでいい買い物が出来たと思う。そうして俺たちは、帝城ゴフィアへと戻るのだった。



◆◇◆◇



「ジャック殿、お願いがございますの」

「お断り致します」


「ど、どうしてですの!? まだ何も言ってませんわよ!」

「何となく分かるからです」


「リリアン、これ以上のわがままはダメよ」

「アリスまで! と、とにかく聞きなさい。王女命令です!」


 ということで仕方なく内容を聞いてみると、カレーも帝城の料理人たちに覚えさせたいとのことだった。つまり今夜はカレーを食べさせろと言うのだ。そうなれば必然的に明日の朝食は二日目のカレーとなるわけだが。


「カレーはいいとしてライスはどうなさるんです? こう言ってはなんですが、あの米はこちらの世界では手に入らないのではないかと思いますよ」

「それでも……それでもです!」


「ジャック・アレオン君、からも頼む。さすがにあの味を知った娘がもう食べられないと思うと不憫でならんのだ」


 アルベール陛下にまで言われてしまっては断りにくい。そうするとやはりナンを焼くしかないか。わざわざ生地から作らなくても望めば冷蔵庫辺りに現れるだろうし、米を炊くよりは手間もかからない。


 それにカレーも帝城の料理人さんたちに任せれば、俺もアリスも楽出来る。結局その夜の食事はカレーとナンに決まった。


 なお、リヒテムス皇帝陛下にド・フランベジールでの出来事を伝えると、何やら悪い顔をして微笑んでいた。その後のベリエ男爵令嬢がどうなったか、俺たちは知る由もなかった。

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