第九話 ドラゴン来襲

 新たに辛口カレーも作ってみたが、はじめはその色に若干引き気味だった皇帝陛下たちも、一口食べた後はエンドレスお替わり状態だった。


 帝城の料理人たちはこの味を再現することをリリアン殿下に誓わされ、翌朝二日目のカレーを口にした皇帝陛下からはそれが勅命として下されていた。つまり出来なければ首が飛ぶということだ。


 これは後になって知ることになるのだが、帝城の料理人たちは試食した四つの料理と枝豆を見事に再現したらしい。


 また枝豆に関しては食材さえあれば誰でも作れるし、体にもいいということでレシピが帝国中に広められることになる。その名も『ジャックの枝豆』として。


 何だか童話を思い出させるネーミングだよ。


 とにかく俺たちは来た時よりもさらに盛大な規模の見送りを帝国民から受け、バルナリア帝国領との国境の街サン・ノランで、待機していた兵士さんや使用人たちと合流。ランガルド王国への帰路に就いた。


 その二日後のこと。


 野営地に着いて皆はテントや夕食の準備、俺は例のごとく家召喚サモンハウスして中に入ろうとしたところでそれは起きた。


「ど、ドラゴンだーっ!!」

「ドラゴンが現れたぞーっ!!」


 最悪のタイミングだった。騎士も兵士も一部を除き、テント設営のために剣を置いていたのである。ドラゴンの体長は尾まで含めるとおよそ十メートル。地上に降り立った体高は五メートルほどだった。


「陛下たちは中へ! 家の中にいれば安全です!」

「し、しかし……」


「家の結界はドラゴンのブレスにも耐えられます。アリスも早く中へ!」

「ジャック、貴方はどうするつもり!?」


 俺がドラゴンについて聞かされた話では、ヤツの鱗は騎士や兵士の持つ剣では掠り傷もつけられないらしい。しかも非常に獰猛かつ狡猾で、人であれば柔らかい腹しか食わず、満腹になっても動く者がいる限り殺戮を止めないそうだ。


 死んだフリすら見破るという、出会ったら絶望するしかないというほどの厄災だった。女神ジーリックとの会話で友だちになれればなんて言ったあの時の俺を殴ってやりたいよ。


「ヤツを倒す!」

「ジャック!?」


「ジャック・アレオン君!? 無理だ、安全なら君も中へ!」


「倒さなければあの人たちはどうなりますか?」

「残念だが全滅だ」


「陛下はそれでよろしいのですか?」

「よろしくはないがどうしようもない」


「ジャック、止めて! 行かないで!」

「アリス、俺は大丈夫だから」


 逃げ惑う使用人たちと、果敢に剣を向けて彼らを何とか逃がそうとする騎士や兵士たち。弓兵が唯一の弱点と思われる目を狙って矢を射るが、その悉くが弾かれたり避けられたりしていた。


 そして――


「ブレスだっ!!」

「ブレスがくるぞーっ!!」


 逃げ遅れた兵士数人がブレスに巻き込まれて跡形もなく消滅する。骨すら残ることなく、彼らの人生は王国から遠い野営地で終わりを告げた。


 ドラゴンの横暴は尚も続く。一度飛び上がったと思うと逃げる使用人の前に舞い降り、鋭い爪で女性の腹を次々と切り裂いていった。その時俺は、悲鳴を聞いたドラゴンが笑ったように見えた。


 ヤツは生きるために食うのではなく、単に殺戮を楽しんでいるだけに過ぎないということだ。許せない。


 俺は風狼ふうろう剣を抜き、ドラゴンの首に狙いを定めた。この剣のカマイタチは厚さ一メートルのタングステン鋼をも切り裂く。しかしここでカマイタチを放てば使用人や兵士たちを巻き込んでしまいそうだ。


 ヤツが直立するか、全員が射線上から外れてくれればいいのだが、どう考えても高望みとしか言えない状況だった。それにしても悲惨な光景を目にしながら恐怖を感じないのは、女神様があらゆる恐怖心を和らげると言っていた通り、この剣のお陰なのだろう。


 俺は覚悟を決めて大声で叫びながらドラゴン目がけ

て走り出した。これで少しでもヤツの気がこちらに向けばいいのだが。


 背後からアリスの悲痛な声が聞こえたが、すまんアリス、この状況を打破できるのはおそらく俺しかいないんだ。


「皆! 道を開けてくれっ!!」


 風狼剣を片手に突進してくる俺に気づいた人たちが脇に逸れていく。しかし恐怖に駆られた人や腰を抜かしてしまった人は動けずにいた。


「うおーっ!!」


 俺の声に気づいたドラゴンがこちらに目を向けた。この隙を突いて兵士たちが動けない人たちを横に逸らしていく。これでカマイタチを放つ条件が整った。


 しかし横に薙ぐわけにはいかない。横に逸れたとはいえ、カマイタチが広がれば彼らを巻き込んでしまう可能性が十分にあるからだ。俺は風狼剣を上段に構えた。そして――


「カマイタチ!」


 不可視の風の刃がドラゴンに向かっていく。ところがヤツは翼をたたみ、体を横にずらしてそれを避けてしまったのである。


「くっ!」


『愚かにも我の暇つぶし道具を奪った矮小かつ脆弱なニンゲンよ』

 誰だ!?


 突然頭の中に声が聞こえた。脳を揺らすような不快な声、耐え難いおぞましささえ感じる。


『何故キサマのようなニンゲンが神の剣を手にしておる?』


 神の剣? この風狼剣のことか? すると声の主は目の前のドラゴンということか。


「暇つぶし道具とは何のことだ?」


『惚けるか。ニンゲン共がイエロープーなどと呼んでいる熊のことだ』

「あー、あれ、アンタの仕業だったのか」


 往路で手負いのイエロープーが現れたのを思い出した。暇つぶしってことは甚振いたぶって遊んでたってことだよな。相手が魔物だったとしても酷いことをしやがる。それを倒して食ったのは俺たちなんだけど。


「ところでカマイタチを避けたってことは、この剣の威力が分かるんだな、トカゲの魔物!」


『我をトカゲと揶揄するか。下らん! だが神の剣とはいえ使い手が愚かな下等生物のニンゲンでは、掠り傷一つ我につけることは叶わんぞ』

「ならかかってこいよ」


『フン! そのはらわたえぐりだしてくれるわ!!』


 たたんだ翼を広げてはためかせ、地を蹴ってドラゴンが宙に浮かび上がる。ヤツは俺の腸を抉ると言った。つまりブレスではなく物理で攻撃してくるということだ。


 結界を張れば、あの強靱な牙や爪をもってしても俺を傷つけることは出来ないだろう。しかし重量差は如何ともし難い。吹き飛ばされた時に剣を手放してしまい、万が一奪われでもしたらヤツを倒す術がなくなってしまう。


 それだけの知能は十分に持っていると考えるべきだ。さらに結界を張った状態ではカマイタチを飛ばすことが出来ない。剣を振ってから結界を張るのも、ヤツの速度では間に合わないだろう。


 どうする。万事休すか。


 ところがまさにドラゴンが上空から俺を目がけて急降下してきた時だった。


「ライトニングスピア!」


 使用人の女性が杖のような物をドラゴンに向けて雷の魔法を放ったのである。


 それはドラゴンの目を狙った一撃。しかし射抜くにはあまりにも威力の弱い魔法だった。

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