第五話 アリスと女神

 バチルータ教会はアルタヘーブ教会と違い、手入れの行き届いた規模の大きい建物だった。暮らしている人数も違うし司祭もいるのだから、当然と言えば当然である。


「今日は朝から司祭様が担当地区の教会を回られているので留守なんです」


 シスター・エミリーが申し訳なさそうに言ったが、こちらはアポなし訪問なのだから全く問題ない。他のシスターや子供たちは午前の仕事で、裏の畑に出ているとのことだった。


 俺たちを出迎えてくれたのは、留守番をしていた二人のシスターで、その内の一人がエルザという名のマザーだった。かなり高齢のようだ。


「遠いところをよっくおいで下さいましたなぁ」


「お初にお目にかかります、ジャック・アレオンと申します」

「初めまして、マザー・エルザ。私はアリス・ラバールです」


「ほうほう、ジャックさんとやら」

「はい?」


「おめえさん、主神様と深え仲におありでなさるのかえ?」

「は?」


 突然何を言い出すのかと思ったら、アリスが女神ジーリックと瓜二つということを思い出した。そして彼女と深い仲なのは間違いない。まさかマザー・エルザさんはそれを見通したというのだろうか。


「マザー・エルザ様、おふざけが過ぎますよ。申し訳ありません、ジャック様。マザー・エルザは時々お客様をからかうクセがございまして」

「え? あ、いえいえ。どうしてそう思われたのかは疑問でしたが、おふざけということでしたら納得しました」


「ほっほっほっ! まあええまあええ。それにしても主神様も酔狂なことをなされる。のう、アリスさんとやら」

「へ? 私ですか?」


「しかしこれで思い残すことはなーんもなくなった。主神様よ、いつでもこのばばあを迎えに来て下さって構わんぞ」

「マザー・エルザ様、縁起でもないことを言わないで下さい!」


 シスター・エミリーが、半ば呆れ顔でマザーをたしなめる。このやり取りを見る限り、こんなことはしょっちゅうあったであろうことが予想出来た。


 しかしそれにしては妙な感じだ。彼女はまるでアリスが女神であるかのように語りかけていたのである。それともジーリック正教の本部とかには女神像とかがあって、アリスに似ていたということだろうか。


 後者の方が最も理に適っているとは思うけど考えても仕方ないよな。


「こちら、俺とアリスからの寄付です。裸のままで申し訳ないですけど」

「とんでもございません。この金貨は聖堂の主神様にお捧げした後、ありがたく使わせて頂きます。お二人に主神様の加護があらんことを」


 俺が懐から出した金貨を受け取ると、シスター・エミリーさんは胸の前で両手の指を組んで祈りのポーズを取る。マザー・エルザさんも同様のポーズで、しわしわの瞼を閉じた。


「ところでシスター・エミリーさん」

「なんでしょう、ジャック様?」


「聖堂を見せて頂くことは可能ですか?」

「もちろん構いません」


 マザー・エルザさんは他に用事があるとのことだったので、俺とアリスはシスター・エミリーさんの案内で聖堂に向かう。


 左右の壁と正面にステンドグラスが飾られた聖堂は美しいの一言に尽きた。ここでは毎週末にミサが執り行われ、多くの信者が集まるという。この祭儀のお陰で寄付も集まり、バチルータ教会はそれなりに裕福なのだそうだ。


 アルタヘーブ教会とは大違いである。


 いや、確かに女神像はあったものの、残念ながら実際の姿とは似ても似つかない容貌だった。するとやはり分からなくなるのはマザー・エルザさんの言葉だが、ここにいないのだから確かめようがない。


「今日はありがとうございました」

「いえ、またいつでもお越し下さいね」


「マザー・エルザさんにもよろしくとお伝え下さい」

「はい。お見送りに来られなくて申し訳ありません」

「いえいえ」


「おにいちゃん、おねえちゃん、ブリジットおねえちゃん、またねー」

「マイルちゃん、またいつかお会いしましょうね」


 結局バチルータ教会で会えたのは、シスター・エミリーさんとマザーの二人だけだったが、見事な聖堂も見られたことだし俺もアリスも満足だった。


「お待たせしました」

「いえ、もうよろしいのですか?」


 馬車に戻るとすぐにブリジットさんがキャビンに招き入れてくれた。護衛の騎士さんたちは教会ということで気を張らずに済んだようだ。


「そろそろお昼が近いですね。何かご希望はありますか?」

「アリスはどう?」


「うーん、出来ればランガルド王国では食べられないような物がいいけど……ジャックは?」

「ブリジットさんのオススメがいいかな」


「そんなこと言ってぇ。考えるのが面倒なだけなんじゃないの?」


「と、とんでもないよ?」

「どうして疑問形なのかしら?」


 俺たちのやり取りを見て、ブリジットさんがクスクス笑っている。


「そうだ、食べ歩き出来る屋台とかありませんか?」

「あるにはありますが、騎士様たちがいらっしゃるので他の方々のご迷惑にならないか心配ですね」


「そっか。やっぱりお店に入った方がいいですよね」


「はっ! も、申し訳ありません! 私はなんと不敬なことを……」

「いえ、大丈夫ですよ。俺の方こそ気が回らなくてすみません」


 まあ、実際俺とアリスは賓客扱いされてるから、世話役のメイドさんが意見するなど本来はもってのほかなのである。もちろん彼女を責めるつもりはさらさらない。


 そんな時だ。どこからともなく魚が焼ける香ばしい匂いが漂ってきたのである。


「ブリジットさん、この匂いは?」

「ルホンですね。お魚のお料理が食べられますよ」

「帝都って海か川が近いんですか?」


「川はありますが、食べられる魚はあまり捕れません。ルホンさんは養魚場を持っていて、そこから魚を運んでくるんです」

「ああ、なるほど」


「かなり値は張りますが……」

「美味しいんです?」


「そう聞きます。ただ、貴族様や大きな商会の方がご利用になるだけで私たちはとても……」


 焼き魚一匹で金貨数枚取られるそうだ。こんないい匂いを撒き散らしておいて庶民には手が出せないなんて、逆に迷惑でしかないだろう。


 そう思って馬車の窓から外を覗いてみると、何やら匂いを嗅ぎながらパンを食べている人があちらこちらに見える。


「あの人たちってまさか……?」


「はい。ルホンさんから漂ってくる匂いをおかずにしてる方たちですね」

「本当にそんなことが!?」


「匂いならタダだからね、アリス」

「ねえ、私もお腹が空いてきちゃった」


「ブリジットさん、そのお店は王国金貨でも大丈夫ですか?」


「はい、問題ありません。行ってみますか?」

「そうしましょう」


 ブリジットさんが御者さんに告げて間もなく、馬車は魚亭ルホンと看板に書かれた高級そうな店の前に停まった。

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