第十七話 熊肉
天候の影響で足止めを食らったのは結局あの時だけだった。小雨に見舞われた日はあったが、その後の旅程は順調に進んだといえる。
今日は野営の最終日。明日には帝国領に入るため、先触れの騎士さん四騎が馬で抜けていったところだ。俺たち以外の面々にとってはテント生活の最終日でもあり、どことなく浮かれている様子も窺える。
逆にアルベール陛下とリリアン殿下は昨夜から憂鬱な表情を隠そうとはしていなかった。復路があるじゃないですか、と慰めても上の空で頷くだけ。どんだけ依存してるんですか。
それはそうと二人とも国賓だから、おそらく熱烈な歓迎を受けることだろう。ランガルド王国とバルナリア帝国は友好国同士なので当然である。つまりリリアン姫の
それなのに陛下も殿下も、戦になっても構わないなんてよく言えたものだよ。わがままもそこまて行けば厄災でしかない。
そんなことをアリスと話していたら、間もなく野営地に到着しようというところで前方から騒ぎ声が聞こえてきた。それと共に馬車も停まる。
窓から外を覗くと俺たちの馬車の周囲には数人だけを残して、騎士さんのほとんどが前を行く陛下たちの馬車の前に集まっていた。残った騎士さんに聞いてみよう。
「何かあったんですか?」
「イエロープーが現れました」
「イエロープー?」
聞けばイエロープーとは黄色い熊の魔物とのことで体高はおよそ三メートル。思わずハチミツ好きなあの熊さんを思い浮かべてしまったが、そんな平和な生き物ではないし赤い服も着ていないそうだ。
体毛と皮膚が恐ろしく固いため並の剣や槍では歯が立たず、熟練の騎士が十人以上で犠牲を出しながらようやく倒せる相手だという。
しかし滅多なことでは人の多いところに現れることはなく、森に深入りした者が襲われる程度。およそ二百人の行列の前に姿を現すなど普通なら考えられないらしい。ということはつまり……
「手負いですか?」
「そのようです」
「ジャック、どういうこと? 手負いって怪我をしているってことよね。それなら出てくる方がおかしいんじゃないの?」
「音だよ」
「音?」
「これだけの人や馬が動いてるんだから、音もそれなりにするでしょ」
「そうね」
「普通なら隠れてやり過ごすんだろうけど、手負いで気が立っていたから自分に攻撃してくると勘違いしたんじゃないかな」
「そういうことなんだ。ジャックって物知りなのね」
アリス、騎士さんが見ているからイイコイイコするのはやめてくれ。
それから間もなくして、イエロープーが無事に討伐されたとの報告がきた。騎士さんたちも安堵の溜め息をついている。
しかし手負いだとすると襲った相手がいるはずだ。傭兵が魔物の討伐の際に捕り逃がしたか、あるいは他の魔物と縄張り争いでもしていたのか。いや、傭兵がこんなところまで魔物の討伐に遠征してくるとは思えない。
「騎士さん」
「どうされました?」
「そのイエロープーを手負いにした魔物が近くにいるかも知れません。警戒された方がいいと思います」
「なるほど、そのように騎士団全員に伝えましょう」
すぐに数人の騎士さんが伝令のために前後に走っていった。
今回のイエロープーの襲撃では、幸いにして怪我人も死人も出なかったそうだ。怪我でかなり弱っていたらしい。懸念した別の魔物の出現もなく、俺たちは無事に最後の野営地に到着した。
家を召喚してしばらくくつろいでいたところで、ノイマンさんが数人の使用人を引き連れてやってきた。玄関のドアを開けてみると、使用人たちは何やら大きな包みを抱えている。
「陛下を呼んで頂けますか?」
「あ、はい。少々お待ち下さい」
陛下を呼んだ。
「ノイマン、どうした?」
「陛下、こちらを」
「うん?」
「イエロープーの肉にございます」
「おお! 肉か!」
熊の魔物の討伐が済んで再出発した時、何人かで死体を解体している様子が見えた。聞くとイエロープーの肉は大変に美味なのだそうだ。その全てを陛下に献上するとのことだった。
「ジャック・アレオン君、救護室に運んで構わないかね?」
「え? あ、はい。病人もいないようですので大丈夫だと思いますけど」
ここから一部をもらって後は皆さんに下賜されるのかと思いきや、そんなことはないらしい。俺たちはご相伴にあずかれるとは思うが、実際に魔物と戦った騎士さんあるいは兵士さんに褒美はないのだろうか。
彼らが帰った後で聞いてみると、この遠征隊は陛下が全権を持っているため、今回のように予定外に何かが手に入った場合は全て陛下の物になるとのことだった。
なお、魔物や盗賊の討伐やそれらからの護衛は最初から彼らのやるべき仕事であり、報酬や褒美の支給はないそうだ。もっとも戦うことが職務ではない使用人などが成し遂げた場合はその限りではないが、逸脱した行為は本職の者から疎まれることになるらしい。
「私が魔物を倒したとしたらどうなります?」
「その場合には報酬はないが、
とすれば、美味いと言われる肉を冷凍庫にストック出来るわけか。今回献上された肉は今夜のうちに食い尽くされるだろうが、もしもう一頭イエロープーがいたとすれば、ぜひ倒して俺の物にしたい。
そんなチャンスがあるかどうかは分からなくても、次からの家召喚では大型の冷凍庫を備えておくことにしよう。
そしてその夜、俺が予想した通り熊の肉は夕食で全て消費されたのだった。
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