シーン3
1
外に出ると、どんよりとしていた雲間から、青い空が垣間見える。つかの間の晴れ間だ。
菟上家の屋敷から砂利道を道なりに下っていくと、菟足公園の遊歩道へ行く山肌の道が現れる。雨に濡れて半乾きの灰色の砂利と、湿った黒い土のコントラストが、今から目指す場所が人の手が入っていない場所のように感じられた。
湿ってぬかるんだ山道は滑りやすく、葬儀用の靴ではなく、スニーカーを履いてきて良かった、と叶はつくづく思った。
舗装されてない不親切な山肌に、踏みならされた細い道が続いている。その道を下っていくと、やがて山木の間から、やや黄みがかった若葉色が見えてくる。
劇的に木々が左右へ分かれて、右手奥に菟足少年自然の家、左手に鳥居のあるせり出した畔に続く道が見えてきた。
山木よりも淡い緑の、枝葉を広げまっすぐ伸びた木々が畔をぐるりと囲んでいて、灰色の空を映して紺色に染まる山池の湖面が視界に入る。
山道には途中から手すりのある柵が据えられて、コンクリートの階段に変わった。下りきると、菟足公園のレンガで舗装された、少し古くさい遊歩道に出た。
遊歩道に沿い、一定間隔でベンチが寂しげに設置されている。
雨の日は、さすがに菟足公園に遊びに来るような家族連れはいないようだ。
遊歩道を左へ曲がり、一夜は叶をおみず沼にせり出した畔へ案内した。
背の高い樹木の根本に濃い色の低木が茂り、白けた砂地には雑草一つない。
視線をおみず沼に向けると、やや畔から離れた沼の中に鳥居が佇んでいた。
「ここは美豆神社の神域じゃないんですか?」
石造りの鳥居を眺めた後、畔に立つ一夜に声を掛けた。
鳥居よりも遠い場所を一夜が指さす。
「そうだよ。でも、『おかみさま』を祀った祠も同じ場所に沈んでいる。この畔と」
一夜が叶を振り返り、背後に亡霊のように建つ廃墟を指し、
「あそこの廃墟は神域になっている」
釣られて、叶も振り返り、廃墟を仰ぎ見た。何故神域に廃墟があるのだろう。
この辺りの怪談を調べていて、ついでに分かったことは、おみず沼一帯を県が保有していて、自然公園として機能している点だ。そして、この畔に関しては個人所有になっているが、その個人が菟上家だった。
真面目な顔で、一夜が叶に忠告する。
「雨の日に来てはだめだ。神域はみつちさんが出る場所だから。それに俺がみつちさんに魅入られたのはあの廃墟」
山木の間から垣間見える、重たい灰色の塊に不吉な空気が漂っている。
「俺は運よく希さんに祓ってもらえたけど、美千代さんだと無理だったかも。君が神様を祀っていく巫女になれば、安心だな」
黙ったままでいると、まるで肯定したみたいになる、と叶は一夜の言葉を否定した。
「私に霊力はありませんから」
挑むように一夜へ向き直った。
そんな叶を残念そうな目つきで一夜が見つめてくる。
「君は希さんの双子の妹だ。きっと霊力があるよ。昔さ、この神域が穢されることがあって、一族総出でこの辺り一帯を
「やっぱり、霊力のない巫女が継いだら、良くないじゃないですか。私なんかが継ぐより、霊力のある他の人のほうがいいと思いますよ」
それにしても、穢されたとはどういう意味なのだろう。ゴミを捨てたり、何か変なものを撒かれたり、廃墟の道祖神のようにものを壊されたりしたのだろうか。
「あの、神域が穢されたって、何があったんですか?」
一夜が眉根を寄せて口ごもる。
「言えないようなことなんですか?」
何か違和感を覚えて、責めるような口調で、叶は本当のことを言うように一夜に詰め寄った。
ずっと黙っていられないか、と諦めたように一夜がため息をつく。
「人が死んだんだよ、この神域で。死の穢れを神様は最も嫌う。『おかみさま』はそれで菟上の本家を祟ったんだと美千代さんに聞いたよ」
「祟った……。そういえば、さっき、美千代さんが継いだって聞きましたけど、確か美千代さんには妹がいましたよね?」
と、ここまで話して、叶は息を飲んだ。
叶の様子に気付かないまま、一夜が応える。
「うん、水葉という妹だよ」
叶を見ている一夜の背後には、鳥居がある。その鳥居の足下に女が佇み、こちらを見ていた。黒い振り袖姿。生地に描かれた柄まで手に取るようにわかる。宝尽くしの縁起物の柄だ。
女の姿は水鏡に映っておらず、濡れている様子もない。水面は波も立たず静かで、その上に女がつま先立っている。いや、つま先は水面に浸かず宙に浮いている。異様に背が高く、鳥居の貫よりも上に頭があった。
叶はそれを見て見ぬふりした。見なかったことにすれば、それは存在していないも同然だ。
「水葉がどうかしたの?」
「ちょっと、気になって……。そういえば、おみず沼には人身御供伝説がありますよね、本当に昔は人身御供なんてやってたんですか」
叶はわざと鳥居に背を向けて廃墟を眺めた。
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