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 叶は助教の講義でその言葉を知った。民間信仰は自然や祖先などを崇拝する庶民信仰などを指し、祀る神によって祈祷する内容は変わってくる。父親から雨乞いや止雨を祈祷すると聞き、おかみさまは水神なのかもしれない、と叶はぼんやり思った。だからおみず沼に祀られているのか。


「みつちさんは?」

「妖怪みたいなものかな……。雨の日に神域に現れて、知っている人の声で話しかけてくるんだよ。うっかり返事をしたり答えたりしたらついてきて、おみず沼に誘い込むんだ。結構怖い存在でね、子供がよくやられてしまう。叶もその一人だよ。自然の家で遊んでいて返事をしてしまったらしい。でもすぐに気づいて美千代さんにお祓いしてもらった。みつちさんが離れたのを見計らって、お父さんのところに来たんだ。叶はまだ三歳だった」

「祓えたんなら、別に菟上家にいてもよかったじゃない」


 そんな迷信を信じているのか、と叶は呆れた。


「一時的なものなんだ。完璧に祓うには美千代さんでは無理でね。その頃はまだ希さんは子供で、祈祷できる年齢じゃなかったから」


 叶はキッチンで皿を洗っている母親に目を向ける。母親は食器を洗う手を休めて、叶のことをじっと見つめていた。父親と同じ、眉をハの字に下げて困った表情を浮かべて佇んでいる。


「でも、当主になれってことは巫女になれってことだよね? 巫女って霊力が強くないとなれないんだよね? 私にそんなものがあると思ってるの?」


 霊力というよくわからないもので当主を決めているなら、別に自分じゃなくていいのではないか。叶は興奮気味にうわずった声で訴える。


「私じゃなくてもいいよね」


 気づくと、父親の目の周りが、涙を我慢しているのか、ほんのりと朱に染まっているのがわかった。もう一度母親を振り返る。叶を見つめたまま、母親が声もなく泣いていた。


 前言撤回しづらくなって、叶は腹立ち紛れに怒鳴った。


「ほんとに私じゃなくてもいいよね? ここにいたらだめなの? なんで本家に行かなきゃいけないの? 理不尽だよ!」


 叶はソファから立ち上がり、リビングのドアを開けると廊下に出た。思い切り閉めたので、ドアが激しく音を立てる。


 叶の頬が興奮で真っ赤に染まっていた。足音を立てて二階へ上がっていった。





 両親と気まずいまま、一ヶ月が経った。


 まだ、本家に希の遺体は帰っていないようで、連絡はない。


 鬱屈した気分で書き上げた都市伝説のレポートも、インターネットで調べたものの丸写しにしかならなかった。


 講義室の、いつもの席に着いた叶は、だれとも話したくなくて机に突っ伏す。


「ねぇ、大丈夫?」


 叶の不機嫌を、友人が心配してくれる。ご機嫌を取らせているようで申し訳なかったが、両親の態度と本家への不満で頭がいっぱいだった。


 今日も朝から雨が降っている。


 目の端に黒い着物が映り込むのではないかと、それも気になる。今のところ屋内で不気味な黒い着物姿の女は見ていない。


 断片的に目にする着物の色と柄がいつしか一つにまとまって、脳裏に女の姿が焼き付いている。


 悪夢も続いている。死にたくないと思いながら、水の底に沈んでいくのをどうすることもできない。


 叶はこの一ヶ月、夢を見続けていて気づいた。おみず沼で見つかった希の、最期に見た景色がこれなのではないか。希と叶は双子だ。どこかでシンクロしていてもおかしくない。夢の中の感情が、もしも希のものだとしたら、計り知れない無念を感じながら死んだに違いない。『死にたくない』とあがきながら沈んでいく絶望感は、言葉にできないほど苦しい。


 そのせいで寝不足だし、集中力もない。食欲も失せて、頬がこけた。


 両親は腫れ物を扱うように接してくる。それがひどく傷つくし、卑屈になっていく。一言でいいから、「ここに戻ってきていいんだよ」とか「おまえの居場所はここだからね」とか言ってほしい。


 突き放すように、当主が死んだから、本家に戻れとしか言わないなんて、あまりに冷たい。愛情にあふれた十六年の月日が、まるでなかったかのようだ。それを思うとひどく虚しい。両親の理不尽な態度と言葉を考えているだけで、時間はあっという間に溶けていく。


 ぼんやりしていると、脇腹を友人に小突かれた。


「痛……」


 文句を言おうと顔を上げると、友人が声を潜めて注意してきた。


「叶、シロ先生が呼んでる」


 思いがけない言葉に戸惑いながら、講壇に立つ助教に目を向けた。


「氷川さん、後で話したいことがあるから、講義が終わったら来てください」


 それだけ伝えると、助教は講義に戻った。


 突っ伏して、講義をボイコットしている姿を見ても、助教は何も感じていないようだ。


 なんだか気まずい心持ちになって、参考書をパラパラと開き、字面を追っていくが集中できなかった。


 いきなり、聞き覚えのある音楽が鳴り出した。学生たちの視線が一斉に叶に向けられる。


 叶はそそくさと席を立つと、スマートフォンの通話ボタンをタップし、廊下に出てから耳に当てた。


 母親からの電話だった。何事かと心配になったが、わざと素っ気ないふりをする。


「何?」

「希さんが、明日、本家に戻るらしいの。昼から葬儀があるんだけど、行けそう? お母さんたちとは別行動にする?」

「今、講義中なんだけど」

「ごめんね。これは伝えとかないと、と思ったから」


 叶は希のことなど少しも覚えてない。しかし、悪夢のことを考えると、希が自分に何を伝えたかったのか知りたくなった。そうでなかったら、なぜ自分の最期を叶に見せてくるのだ。


「わかった。でも葬儀が終わったら、すぐ帰るから」


 母親はそれでもいいと思ったのか、すぐ帰るという言葉を聞き流して、自分たちは父親の仕事が終わったら本家に行くと叶に伝え、通話を切った。


 静かに席に戻ると、友人が声を潜めて聞いてきた。


「何だった?」

「親から」


 友人の好奇心をはぐらかす。自分の事情を話題のネタにしたくなかった。友人も叶の親に興味はないらしく、またノートを取り出した。



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