8
講義が終わり、叶は講壇で待つ助教の元に行った。
「あ、レポート読んだよ!」
やけにご機嫌で、助教がペラペラのレポート用紙を取り出して叶に見せる。表紙を合わせてたった二ページのレポートのどこに助教は興味を持ったのだろう。
「よく菟足村のことを調べたね」
叶は警戒しながら答える。
「はぁ、私の生まれた場所なので……」
「菟足村出身なんだ」
「はい」
「その割には菟足村の都市伝説とか怪談について、あまり書いてなかったね」
講義前に回収されたレポートにもう目を通したのかと驚く。
「菟足村に住んでたわけじゃないんで……」
「そうなんだ、そうか……」
どことなく残念そうに助教がうなずいていたが、不意に助教が口を開いた。
「『おかみさま』信仰って知ってる?」
「少しなら……」
「菟足村の『おかみさま』信仰は面白いんだ。『おかみさま』は
助教が熱弁を振るった。その熱意に叶は気圧される。
さすがに助教も自分と叶の温度差を感じ取ったのか、咳払いをして落ち着いた様子で、「や、ごめんごめん。説明が足りなかったかな」
叶は苦笑いを浮かべて素直に答える。
「あの、先生はおみず沼周辺の怪談に詳しいですか? 例えば、みつちさんとか」
助教が菟足村の噂話などをどこまで知っているのか図りかねたが、叶はとりあえず訊ねてみた。
「みつちさんは聞いたことがあるよ。おみず沼の神域あたりに出る怪異だよね。呼ばれて返事をしたら、おみず沼に引き込まれるとか。いくつか話があって——」
助教の言葉を遮る形で、質問を続ける。
「菟足少年自然の家にも噂話ってありましたっけ」
「そうだなぁ、WoooTubeの『生でどうぞ』っていうチャンネルで面白い投稿があった。君も見てみたらいいよ」
「『生でどうぞ』ですか?」
「生放送で心霊スポットに突入するチャンネルだね。菟足少年自然の家を最後に更新が止まってる。そのときに
「調べてみます」
「ただ雑音が入って、どこかへお祓いに行ったようなんだけど、聞き取れなかったんだ。元々教授が調べてた案件で、面白そうだなって思ってね。氷川君はあの辺りのお祓いをしてるところで何か知ってるかな?」
これ以上話しているとうっかり菟上家のことを話してしまうと思った叶は、慌てて頭を下げる。
「私、用事があるので失礼します」
助教はまだ話したりなさそうだったが、叶は嘘をついて文字通り逃げ出した。
怪談についてもう少し情報を聞きたかったが、菟上家の話になって叶が関係していると知られたら、面倒くさいと考えたのだ。それはまるで自分の何もかもを根掘り葉掘りほじくり返されるようなものだ。
まだ五限目が残っていたが、叶は家に帰ることにした。友人が先に講義室へ行って待っているかもしれないが、後でグループチャットに書き込んで謝ればいい。
外に出ると、梅雨の重たいじっとりとした空気に包まれる。パラパラと音を立てて雨粒が地面をたたいている。
空を見上げると、ぼってりとした重量感のある雲が、今にも底が抜けてしまいそうな様子で頭上を覆っている。
叶はいつもの癖で、周囲を見渡してから傘を差した。どうしてもあの霊がどこかに潜んでいるのではないかと不安になるからだ。
何もないのを確認して、一歩踏み出した。スニーカーが、薄い膜のように地面に広がる雨水を踏む。跳ね返る雨が靴を濡らす。急いで歩くと、そのたびに足下の雨水が跳ね返ってふくらはぎに当たった。
いつまでも、両親とけんかをしているのは楽しいことじゃない。菟上家に行って、継がないと宣言した後、氷川家に戻ったときに気まずい思いをするかもしれない。戻ると決めているなら、これ以上意地を張っても仕方ないし、自分自身がつらい思いをする。
それならば、割り切って以前から興味があったことをしたらいい。菟足村に行ったら、まずはおみず沼を含め、周辺を散策したい。ついでに菟上家で聞きたいことを聞いたら、さっさと帰る。これでいこう、と叶は決めた。
希が見つかったおみず沼。そのおみず沼の神を信仰する本家。おみず沼周辺にまつわる怪談。そういったものを知ることに重きを置くことにした。
それに本家には多分実父母がいる。彼等に幼い頃の自分のことなどを聞きたいと思っていたから、それで充分本家に行く意味はあるだろう。本家に対して感じる抵抗を今は封じておこう。
雨脚はますますひどくなる。四方が雨のカーテンで見通しが悪くなっていくのを眺めながら、明日は止んでほしいな、とぼんやり考えた。
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