シーン5

1

「うわああ……!」

 叶は、首に受けた衝撃に驚いて上体を勢いよく起こした。荒く息をつきながら、首元をさする。いまだに首に縄が食い込んだ痛みが残っている。

「大丈夫?」

 一夜が驚愕の表情を浮かべ、叶の背に手を当てた。女性も美千代の死を告げた途端、失神して倒れ込んだ叶に戸惑っている。

 叶は現状がつかめず、ひざまずいて自分を窺う二人を交互に見やった。

「美千代さんのことがそんなにショックだったの?」

 一夜が心配して、叶に訊ねた。

 叶は慌てて首を振り、一夜を見つめた。美千代の死も気になったが、美千代が亡くなったことをきっかけに、水葉の夢を見たのには意味があると思ったのだ。それに、水葉が異様に気にしていた事が気になった。

「一夜さん、咎の子を孕むって何ですか?」

 一夜は、複雑な表情で今まで黙っていたことを話した。

「美千代さんから聞いたんだけど、水葉さんの遺書に書いてあったと。水葉さんは婚儀の前から、文蔵さん以外にも複数の男性と交際していたと言っていた。首を吊ったときに子供を流産していた。残酷な話だよね。過ちを犯して、文蔵さんとの子ではない赤ん坊を妊娠していたわけだから。美千代さんも罪の子だ、咎の子だと言っていたよ」

 それを聞き、叶は体を起こし、横座りになった。

 美千代が文蔵に思いを寄せていたのは嘘なのだろうか。水葉が勝手に妄想していたのか。けれど、水葉の激しい憎しみの感情は本物だった。

 遺書には、『咎の子を孕んだ。もう神のかりはらではなくなった。こんな目に遭わせたやつが憎い。必ず末代まで祟り殺す』と、書いたのが水葉の目を借りて、叶の脳裏に浮かんだ。

「だれかが水葉さんを襲わせたんです。水葉さんは犯人を必ず見つけるって。一夜さんも言ってたと思うんですけど、宮司は子供が生まれたら離婚させられるんですよね? 水葉さんは離婚するつもりがないくらい、文蔵さんを愛していたって……。他に恋人がいたわけじゃなかったみたいでした」

 一夜が不思議そうに、

「それじゃあ、美千代さんが嘘を吐いていたってことなのか? なんでそんな嘘を……」

 叶は夢の中で、水葉と美千代の確執を目の当たりにした。全て水葉の感情だが、水葉が姉の美千代を蔑んでいたように、美千代も妹の水葉を妬んでいたと、水葉は察していたようだった。

 菟上家の巫女として誇りを持っていた水葉。そんな彼女を陥れる為には何をすればいいのか……? それで、美千代は何を手に入れたかったんだろう。そう考えてみて、叶は美千代が菟上家の何もかもを手に入れたかったのだと思い至った。

「……かりはらを全うしたら、必ず強い霊力を持つ娘が生まれてくる。だからこそ巫女にふさわしいと養父さんに聞いたことがある」

 一夜がぽつりと漏らした。

 叶は、水葉の恨みの根源が、『咎を孕む』という言葉に集約していることに気付いた。

 水葉はかりはらについてよく知っていたからこそ、レイプの末にできた子供を咎と呼び、神の子を宿せなかったことに絶望したのだろう。

「そうか……。私が見た鳥居の女は水葉だったんだ……」

 叶のつぶやきに、一夜が不思議そうな顔をする。

「男に乱暴された水葉さんが首を吊って死んだあと、犯人の男を探して彷徨っている……だから、『おまえか』ってあの女の霊は言ったんだ……」

 一夜にも叶が言いたいことが理解できたのだろう。

「夢で水葉さんは、末代まで祟り殺すと言ってました。しかも廃墟にあった祠のご神体を、祟り殺すって言いながら、叩き割ってました。そのあと、鳥居で首を吊って……。神様は死を嫌うんでしたっけ?」

 一夜が頷く。

死穢しえのことだね」

「水葉さんは首を吊った時に流産してるんです。血も嫌うって聞きました」

「まぁ、そうだ。血の穢ちのけがれだ」

「ご神体を壊したことと死と血の穢れで大蛟『みつちさま』をわざと怒らせて、その神の怒りを水葉さんの恨みや憎しみが取り込んで悪霊になったのかも」

「『おかみさま』は明治時代に神社と合祀されてご祭神になった神だからね、本当の信仰の対象じゃない。そのことは、講に集まる人の中でも特に古くから信仰しておられる方しか知らないはずだよ」

 一夜が叶に問いかける。

「みつちさんが龍神なら、なんのために人をおみず沼に引き込むの?」

「伝説では、龍神——大蛟は通りすがりの人間をおみず沼に引きずり込んでいたってありましたよ」

「でもなんで人の形を取って惑わすんだろうな」

 叶は、蔵での出来事を思い出して、背中に寒気が走る。

「私、実はずっとみつちさんらしきものが見えてたんです。蔵に閉じ込められたとき、多分、あれはみつちさんと思うんだけど、人間なかった。化け物……、異形だった。黒い靄のような塊で、黒っぽい着物——巫女装束を着た何か……」

「人によるけど、お面のような女の顔という人もいたらしいよ。声しか聞いてないとか、ね……。さてと」

 と、立ち上がり、叶を見た。

「葬儀の準備に戻ろう」

 叶は天水が美千代の死を告げに来ていたことを失念していた。

「一夜さん、私は構わないから菟上家に行ってきてください」

「本当を言えば、まだ、君のみつちさんの考察が聞きたいんだところだけど……君をここに一人きりにすると、また雨の中、出て行くかも知れないから、一緒に菟上家に来てほしいな」

 昨日、雨の中、菟上家の屋敷を飛び出して、みつちさんに魅入られて酷い目に遭った。さすがに、もう二度と雨の時に外に出るのは躊躇われる。

「さすがに、そんなことしませんよ。それに私、魅入られたままですもん」

「美千代さん、倒れたからね……。それにしても、通りすがりの人を引き込んでいたのに、さらに巫女も生け贄にしてたって、相当、悪い神だな」

「そうですね……。人身御供の巫女たちは納得ずくだったんですかねぇ……」

 大蛟である『みつちさま』が零落した存在であるみつちさんは、何故巫女の姿を借りるのだろう。

 水葉は、いずれ神様の元に行かねばならないと考えていたが——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る