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 そこで、叶は、自分がレポートで調べて書いた、おみず沼の人身御供伝説のことを思い出す。

『乙女をあまた捧げれば分けむ』と伝説には記してあった。叶はそれを人身御供として捧げよ、だと思っていた。おそらく、菟上家の人間も、皆、そう思っていたのだ。

 でも、それが全く違っていたら、どうなるのだろう。叶は大学助教の講義を思い起こした。

 助教は、『黒姫伝説』について話してくれた。龍神が人間の乙女に懸想し、結果、乙女は花嫁として龍神に捧げられるという話だ。

 この伝説は異類婚姻譚に分類される神婚説になる。『黒姫伝説』では、神に嫁ぐというよりも、生け贄に捧げる、という意味が強かった。

 もしも、それは間違いで、大蛟は花嫁を求めていたのだとしたら……?

 巫女である乙女たちは、大蛟である『みつちさま』に捧げられた。それを神は喜んだのだろうか。果たして、捧げられた巫女たちの死は報われていたのか。それとも、彼女たちの死は無意味だったのか、と叶は考え込んだ。

「どうしたの」

 いきなり黙りこくった叶に、一夜が心配そうに声を掛けた。

「あの、異類婚姻譚といって蛇や動物に人間の娘が嫁ぐ話があるんです」

「それが、みつちさんに何か関係あるの?」

 叶は持論を展開してみせた。

「『みつちさま』は、元々大蛟だった。でも美豆神社の淤加美神と合祀して、『おかみさま』となってから、『みつちさま』は忘れられてしまった。信仰を失った神は零落して妖怪になってしまうって、大学の先生が言ってました。みつちさんはもしかすると、昔、捧げられていた人身御供を失って、大蛟だった頃の性質が蘇ったんじゃないでしょうか」

「確か、昔話で、大蛟が人身御供を求めたってあったな……」

「そうです、そうです。菟上家の祖先が、おみず沼の大蛟から『水をわけてやる代わりに乙女をたくさん捧げろ』って言われた、あの話です。この言葉、ずっと人身御供に巫女を捧げろってことだと思ってたんですけど、本来、大蛟は花嫁が欲しかったんじゃないかって」

「花嫁を? でも、仮に花嫁だとしても、大蛟の住処はおみず沼の水底じゃないか。嫁だろうと人身御供だろうと、結局は死ぬんじゃ?」

 そこで、叶は聞きかじった話を一夜に説明した。

「巫女が大蛟と同じ場所に行く必要はないんです。例えば、異類婚姻譚には、よく知られているところで蛇婿というのがあって、人間の娘に懸想して通い詰めた美男子が、実は蛇だったとか」

 全部、助教の受け売りだったが、初めてこの話を聞く一夜には充分興味深い内容だったようだ。

「蛇か……。大蛟は龍だって聞いたことがある。雨乞いの神様だけあって、龍神らしいよ」

 その龍神を祀っている菟上家の巫女が雨乞いを得意とするのは、偶然ではない。

 叶は得意げに続ける。

「蛇や龍は昔から神聖視されて神として祀っているところもあります。その蛇と人間の娘との婚姻を神婚と言うらしいです。この類話では、女が妻問いする——要するに夜這いです——男の正体を知ろうと、針を男の衣の裾に刺して糸を辿って行き、そこで血を流して女を恨む蛇を見つけるんです。結局、女は蛇に殺されてしまう。でも、神婚が成立する場合があるんです。菟上家の巫女にも同じ事が起きたんじゃないかって思うんです。そうじゃなかったら、神様のかりはらって口伝があるはずがないでしょう? しかも、水葉さんはそれを誇りに思っているようだったし」

 一夜が叶の見解を聞いて感嘆のため息をつく。叶の言葉を半ば信じてくれている。

「へぇ……、じゃあ、霊力がある巫女は、『みつちさま』の子供を宿すってことなの?」

 昔は単純に結婚せずに子を成すことが憚られたのではないか。

 だから、「形式的に結婚し、神のかりはらとなって子を成し、その後、宮司とは離婚する」という因習を繰り返してきたのだ。しかし、因習にしても何かしら意味があるはずだ。

「思うんですけど、宮司と巫女の両者が結婚して一緒になるのは意図的で、偶然じゃないのかも……」

 叶は考え込むように呟いた。

「それじゃあ、君は宮司と巫女が結婚する事で、神婚が成り立つって言いたいの?」

 一夜の言葉に、叶は苦笑いを浮かべる。

「私が思うに、菟上家は大蛟、『みつちさま』の神意を勘違いして、巫女を人身御供にしてきたんじゃないかってことです」

 すると、一夜が眉根を寄せる。

「かりはらで自分の子を産ませておいて、なんで自分が産ませた子供を生け贄にされても祟らなかったんだ?」

「そのループを『みつちさま』は望んでいた? もしかして、水葉さんが悪霊になったのは、必然だったんじゃ。悪霊は、『みつちさま』によって純粋培養されてた祟りと融合したとか?」

「俺には分からない。巫女しか知らないことだからね。ほら、もうそろそろ葬儀の準備が始まるし、今度は君が斎主になるから、一緒に本家の屋敷に戻ってくれる?」

 確かにまだ振り袖を着たままでいた叶は、そろそろ慣れない着物に疲れてきていた。しかし、着替えるにはまたあの屋敷に戻らねばならない、と叶は嘆息する。

 それを見て一夜が苦笑いを浮かべる。

「安心して。だめになったタイヤは交換出来てると思う。いつでも好きなときに帰られる。だから警戒しないでほしい。俺と一緒に屋敷に戻ろう」

 一夜にそう言われて、叶は立て続けの葬儀に渋々参列することになった。



 一夜の運転する車に乗って、叶は再び菟上家に戻ってきた。

 曇天の下、屋敷には湿気を含んだ重たい空気が垂れ込めているように感じる。何か得体の知れないものが、屋敷に覆い被さり、のし掛かっているように見えた。

 希の葬儀のあと、追うようにして美千代が亡くなり、考えたくもないが、叶は菟上本家の唯一の生き残りとなった。

 今度は、叶が葬儀の斎主となるらしい。

 どこかしら、菟上家の生き残りが一人になったことを喜んでいる存在がいる。それが屋敷全体を包み込んでいるように思えた。叶が今から乗り込む場所は、異形の腹の中かも知れない。

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