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 嫌な予感は的中した。


 本家が嫌いなわけではない。どうして氷川家に養女に出されたのか、聞かされたことがないせいで、今更という抵抗感を覚えた。


「戻るって……。美千代さんがそのまま当主代理でいいじゃない。私は氷川叶なんだから。今更、本家に戻って当主になれって言われても……」


 まさか、お母さんは賛成してるわけじゃないよね、という言葉が口から漏れ出そうになった。


「嫌だろうけど、跡継ぎはもう叶一人だけだから」


 母親の声音が震えている。賛成ではないが、本家の命令に逆らえないのだ、と暗に含んでいた。


 叶は簡単に「はい」と言いたくなくて、母親にごねた。


「当主になるのはいや」


 本家に対して忠誠心は両親ほどないし、ましてや本家至上主義でもない。この令和においてあまりに時代遅れだ。


 それを感じ取ったのか、母親が優しく諭す。


「まだ、検視が終わってないから、希さんが戻ってきたときにもう一度考えてみて」


 母親は、この十六年間、何を思って叶を育ててくれたのだろうか。人を物のようにあっちへやったりこっちに持ってきたり、情のない扱いを本家の一言でできるものだろうか。それではあまりにも薄情だ。


 叶にとって、氷川家の両親は本当の親と変わりない。菟上家にいるであろう実父母に興味はあっても、何の感情も持ってない。両親はほとんど菟上家の話をしなかったし、実父母の話もしなかった。叶を実の娘のようにかわいがってくれた。だから心が通じ合って絆ができていると思っていた。


 本家を出された理由も教えてもらってない。しかも、本家に戻るなと美千代に言いつけられたのを、両親は従順に守り続けている。だから、双子の姉がいる以外は実父母のことすら知らないし、本家がなぜ絶大な支配権を持っているのかもわからなかった。


 理不尽だ、と叶は不満に思う。


 叶の沈黙に、母親がなだめるような声音で話す。


「葬儀がいつなのか連絡がまだ来てないのよ。それまではいつも通りで大丈夫。それに、叶は怖い話とか好きでしょう?」


 怖い話が好きだと、なぜ今、話すのか。確かにスマートフォンでWoooTubeウーチューブの怪談を聞いている。でも、今はそんな話は関係ない。


「菟足村には——おみず沼の周辺にはたくさん怖い話があるのよ。ほら昨日レポートを見せてくれたじゃない。叶はそういうの興味ないの?」


 興味はある。こんな話を切り出されるまでは、ぼんやりと本家にいるであろう実父母に会ってみたい、菟足村のおみず沼へ行って怖い話の発祥の地を見てみたいと考えていたくらいだ。


 でも、今じゃない。このタイミングで、『じゃあ行きます』なんて答えられない。


 返事を渋っていると、母親が続けた。


「本家に戻ることも、もう少し時間をもらって考えてみたら?」


 本家に戻る以外の選択肢はないようだ。だったら、本家の美千代にはっきりと跡を継がないと伝えるしかないだろう。本家だから何をしてもいいという慢心に叶は腹立ちながらも、本家に逆らえない両親を責めるのはやめた。ただ失望したのは否めなかった。


「わかった」


 叶の返事に明らかに母親はほっとしたようだった。


「葬儀の日が決まったら教えて」


 それだけ言うと、叶は電話を切った。


 叶の気持ちは固まっていた。本家に乗り込んで、跡は継がないと啖呵を切ってやる。


 帰ったら、今度は父親に説得されるだろうけど、聞き流そう。本家に行ったときに断って、何を言われても知らんぷりをして氷川家に帰ってきたらいいだけだ。


 ついでに今まで両親に聞いても教えてくれなかったことを、本家で教えてもらおう。姉のこと、実父母のこと。なぜ、叶が本家を出されたのか、全部。


 それにおみず沼に行くなら、ライフワークなんて言えるほどではないけれど、人身御供伝説や周辺の怪談の現場を調べてみるのもいい。


 助教のまねごとだが、聞き取り調査を試すことに好奇心をくすぐられる。


 だったら、葬儀の日までにおみず沼に関係のある怪談を、助教に教えてもらうのはどうだろう。ちょうど、おみず沼の人身御供伝説のレポートを出したばかりだ。それに興味を持ってもらえたら、助教から情報をくれるかもしれない。


 レポートのメモはスマホに記録してある。おみず沼に伝わる人身御供伝説は、だれでも手にすることができる、図書館の県別郷土資料集に記載してあったものを参考にした。


 レポートにはそのまま引用して、拙い感想を添えた。




菟足うたり村、おみず沼における人身御供伝説』

 おみず沼には以下の伝説が語り継がれている。

『仁徳天皇の御代、干ばつが続き、菟足の民は大いに困っていた。菟足には山池があり、大蛟おおみずちが住み着いていた。山池に道行く人を呼ばうて引き込んでいた。そこに菟上神うなかみのかみが池にやってきて、大蛟に池の水を分けてくれと言うと、「あまたをとめ捧げばわけむ」という神意を得た。そこで菟上神は菟足の巫女を大蛟に捧げたところ、たちまち雨が降り、菟足の地は潤ったという。後に山池は大水主おおみずぬし沼と呼ばれた』

 大蛟は角のない竜の姿を持つ、みつちであるとされている。大蛟に雨乞いのために巫女を捧げたのだろう。おみず沼は、大水主沼の読み方を転訛したものだと思う。




 レポートの枚数は決められてなかったので、資料をそのまま引用するだけでよかった。それにこのレポートがよい出来だと自負できる代物ではないことくらい、叶は自覚している。


 菟足村が人身御供を今も続けているわけではないだろう。なぜなら、現在はダムが近くにあり、農業用水はそこから引いているそうだ。それに、おみず沼は火山帯にある山池で酸性度が強く、生活用水にも農業用水にも向いていないが、枯れたことがないために、大蛟の伝説ができあがったのだろう。それに、昔のような干ばつも起こらなくなった。昭和の時代には断水で夏場に水泳の授業がおこなわれないこともあったそうだが。


 平成生まれの叶には想像も出来ない。


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