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 話し合いは平行線を辿り、男たちは帰っていった。整備事業などの県が絡む開発事業は数年単位ではなく十年単位でおこなわれてもおかしくない。そのうち大叔母が死んだら、今度は伯母が幅を利かせるようになるのだろうが、私は許さない、と水葉は苦々しく考えていた。

 神様の神意を聞くのは水葉だ。こちらの願いを必死になって届けるのも。それなのに、水葉を道具としか思ってない大叔母たちが憎らしい。

 美千代は美千代で何を勘違いしているのか、巫女という立場や当主というものをうらやんでいるようだ。ならば、自分の代わりに美千代が巫女になればいいのだ、と皮肉をぶつけてやりたくなる。

 大叔母や伯母は美千代に厳しくも甘い。美千代がどんなに素行が悪くても、何も言わないでいる。きっとこれから長い付き合いになると分かっているからだ。

 そんなことを思い返しながら、畔に立ち水葉はきゅっと口の端を結んだ。右手には、大太鼓を前にする文蔵が、水葉の祈祷が始まるのを待っている。

 祭壇に向かって、深く二拝し、二拍手、また深く一拝。

 ぬさを掲げながら手に取り、神道のやり方で周りを浄める。祭文をする所までは神道のように見える。太鼓の音がリズムを刻み、空気を轟かせるのに合わせて、舞を舞う様は、まるで古代から引き継がれた民族舞踏のようだ。

 水葉は手にした神楽鈴を鳴らし続ける。太鼓と鈴の音で意識が高揚していき、いつしか酩酊する。定められた身振りを繰り返しているだけだが、その速度が速まっていく。忘我の境地に至り、意識と体が分離する。

 おみず沼から大きな存在が上がってくるのを感じる。自分の体に寄り沿うように何かが重なる。自分の影ではない。おみず沼からやってくる存在だ。その存在が、舞の意味を紡いで、『みつちさま』に繋ぐ。

 おみず沼を覆い尽くすほどの巨大な何かが、紡いだ縁をかぎ爪でたぐり寄せて天へ昇っていく。宙でとぐろを巻き、太鼓の音を纏い始め、神楽鈴のきらめきを宙に映す。

 天と『みつちさま』が、舞の意味をくみ取って願いを叶えてくれるまでそれを繰り返す。

 その舞を朝まで続けた。願いが届けば、雨が降り始め、水葉は倒れて気を失う。必ず、翌日の水葉は熱を出して寝込んだ。

 水葉の強い霊力は非常に有名で、雨乞い以外の祈祷でもひっきりなしに依頼者が来た。知る人ぞ知る、という霊能力者として知られていたようだ。

 だからといって、水葉が贅を尽くしていたことはなく、金銭面は全て大叔母や伯母が握っていた。反対に水葉のほうが、美千代以上に実権を握る大叔母たちを羨んでいたかも知れない。どうせ、水葉の死後、美千代が実権を握り、水葉の産んだ神の子をいいように操るのだろう。

 そんな水葉の静かな不満を、美千代は理解していなかった。

 


 婚儀を三ヶ月後に控えて、着実に婚儀の準備は整っていった。水葉はようやく文蔵と結ばれると内心嬉しくて仕方なかった。

 朝からの祈祷を終え、日暮れ時に、日課でもあるおみず沼の畔を散策しに出掛けた。祈祷の合間の気晴らしだった。

 いつもの振り袖ではなく、気軽な洋装だ。Aラインの袖のないワンピースを着ている。なかなか私服を着られないので、近場の散策でも気分転換になって楽しい。

 辺りは薄暗く、多分向かいからだれか来ても、その顔を判別できないような逢魔が時だ。懐中電灯も持たずに、歩き慣れた道をぶらぶらしていた。

 空が紅色から灰青色に移り変わる。グラデーションに彩られた天弓に、チカチカとした星々が現れた。

 そろそろ帰ろう、と水葉は畔を引き返し始める。こんな夕暮れにおみず沼の周辺を歩く人影はない。菟足村の人でも、夜のおみず沼を怖がっている。本当はみつちさんを怖がっているのだろう。

 水葉はみつちさんが道祖神で組んだ結界に阻まれて、祈祷場周辺から離れられないのを知っているので、無闇に怖がることはない。

 ふと気付くと、自分の足音とは別の足音が付いてきている。

 左手の林を見やるが、黒々とした木立の影が視界を遮っている。動物だろうかと立ち止まると、足音も止まり、さらに気配が濃厚になった。ただ、霊的なものではないのはわかる。

「だれ?」

 思わず、声を掛けた。幽霊相手なら少しも怖くないが、正体の分からない人間となると恐怖しか湧かない。

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