3
「だれなの?」
ざっと複数の足音が木立の向こうから近づいてくる。二度問いかけて答えないのはおかしい。これは尋常ではない、と気づいて水葉は畔を駆け足で通り過ぎようとした。
やはり、複数の足音が追ってくる。水葉は必死になって大きな道に出ようとしたが、木立が途切れたところで、回り込まれて道を阻まれた。
目出し帽をかぶった男が三人、じりじりと水葉に迫ってくる。
「助けて!」
広いおみず沼の畔で叫んでも、木立や湖面に声が吸い込まれるように消えていく。水葉はきびすを返して、来た道を引き返す。
男たちはわざと水葉をからかうように取り囲んで追い回した。
「だれか、助けて!」
水葉はそれでも諦めず、斜面の上にある林道を目指した。しかし、その判断が間違っていた。木立に入り込んだ途端、三方を囲まれて逃げ場を失った。
最初は、水葉も暴れて悲鳴を上げながら抵抗した。
「いや! やめて!」
男の一人に背後から両脇を羽交い締めにされ、正面の男に何度か平手打ちされると、恐怖が上回った。
水葉は体が固まって動けなくなった。歯の根が合わなくなり、うわずった声を上げる。
「許して……、ごめんなさい。殺さないで……、殺さないで……」
男たちが目配せして、地面に水葉を押さえつける。淡々と男たちは決められたことをこなすように、水葉のワンピースをめくり上げた。
水葉は、まさか歩き慣れた畔でこんな酷い目に遭うことがまだ信じられなくて、目をぎゅっとつぶって、譫言のように言い続ける。
「やめて……、お願い、やめて。お願い……。やめて、やめて……」
けれど、水葉の懇願は男たちには届いてはおらず、無常にもパンティストッキングを引き裂かれて、下着をずり下ろされた。
「ごめんなさい……それだけはやめて……! 何でもします! 何でもします! やめて!」
「悪いな、こうするように頼まれたからよ」
「やめとけ」
静かに泣き続ける水葉に情けをかけたのか、男の一人が口を開いた。
ひぃっと言う悲鳴が木立に響いて、暗闇に立ち上ってきた靄が、声を包み込む。闇の中、力ない水葉の苦痛に満ちたうめき声が、地面へ沈んでいく。
荒い息づかいと、水葉の木枯らしのような悲鳴だけが、水気を含んだ重たい空気に籠もって聞こえてくる。
やがて、ガサガサという音と共に、男たちは去っていった。
水葉は放心して横たわり、弱々しい手負いの獣のような唸り声を上げ続けていたが、ボロボロになった体をゆっくりと起こした。抵抗したせいで体中が痛い。
素足になった傷だらけの腿をなでさする。思い返しては、声にならない泣き声を上げる。悲しくて泣いているわけではなかった。水葉は悔しくて泣いている。
この体は神様に捧げる為にあった。それを穢されてしまったのが悔しい。文蔵に優しくかき抱かれる体でいたかった。それが全て粉々に壊されてしまった。
自分の身に起こったことで、いつまでも悲嘆に暮れている暇はなかった。もうすっかり日が暮れてしまい、そろそろ屋敷のものが水葉を探しに来るかも知れない。
こんな姿を見せたら大騒ぎになる。隠してもどうせ見られてしまうに違いない。野犬に襲われたと言い訳したほうがいいだろう。
男は頼まれたと言っていた。だれがこんなむごいことを頼んだのだ。あの男たちはだれなんだ。自分をこんな目に遭わせておいて、何の報いも受けずにのうのうと生きていくのが許せない。
いつの間にか水葉は、祈祷場の畔に来ていた。膝を突き、祭文を唱えながら、神に祈った。体を前後に揺らし、何度も神に問いかけた。本当なら、入神状態になるほうがいいが、今はその準備ができない。祭文を繰り返し、意識をおみず沼に
『私はまだあなた様のかりはらになれるか』
それだけを延々と問い続けた。
神楽鈴の音が聞こえてきたように感じ、顔を上げた。まるで背後でだれかが囁くような声で、頭の中に文字が浮かんだ。
『ウツシミナベシ』
水葉は、その言葉を受け止めて、ほっと息をついた。神様のかりはらになることを許された。
よろりと立ち上がって、水葉はできるだけ服を整えると、自分を襲ったのは野犬だと、家人たちには説明することにした。それを信じさせる。信じてもらわねばならない。
犬に噛まれたようなものだ。神様は気にしていらっしゃらないのだ。霊力を持たない大叔母や伯母には分からないだろうが。分からないから大騒ぎするに決まっている。いくら水葉が神託を伝えても聞いてくれないかも知れない。
愚かな人たちだから。
水葉は鼻で笑う。神託で受けた言葉が、彼女に力を与えた。体の痛みなど我慢できる。かりはらになる為、それまでに体を浄めればいい。許されたのだから、だれになんと言われても気にしない。連綿と繋いでいく為に自分は必要な一部なのだ。
戻ると、案の定、大騒ぎになった。
目立つ血の跡はなるべく拭ったので、水葉が見せない限り、無理に診察されることはなかった。
翌日から、菟足村やおみず沼周辺の山で野犬狩りがおこなわれた。
体の節々が痛んでいたのも一ヶ月ほどで完治した。あとは婚儀まで何事もないまま過ごせたら良かった。
毎夜、自分を襲った男たちに呪詛を掛け続けた。呪詛はすぐに届くだろう。穢れが自分の中に残っていたから。ただ頼んだ人間には辿り着かないかも知れない。けれど必ず見つけ出す。
『おかみさま』は水のように静謐な神だから、荒々しい神にすがらねばならないかも知れない。『おかみさま』になる前の根源にある、荒神の存在を水葉や代々の巫女は知っている。呪詛ならばこの神に頼ればいい。
雨乞いや正の感情を伴う祈祷は受け負っても、負の祈祷や祈願をおこなわないのが、『おかみさま』だ。それに、呪詛など『おかみさま』には向いてない。水葉は、毎日動かす動かさないと揉めている、古い神の祠に通って、糸のように呪詛を紡ぎ続けた。
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