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「あの……、変なこと言うかも知れないですけど、私、一年前に希がいなくなってから、実は変な夢を見るんです。模様のある黒い振り袖を着た私が溺れて死ぬ夢なんです」

 叶の話を真剣な顔つきで聞いていたが、途中驚いたように考え込んだ。

「溺れる夢なら希さんかも知れない……。おみず沼で見つかったから」

「じゃあ、やっぱり希は溺れて死んだんですか……」

 屋敷で見た、ずぶ濡れの幽霊は希だったんだろうか。だとしたら、電車で「クルナ」と囁いたのも、希のような気がした。面倒なことになるのを避ける為に、菟上家まで来た叶に「カエレ」と忠告したんだろう。

 そう思うと顔も声も覚えていない希に、叶は一度でもいいから生きて会いたかったと目頭が熱くなった。

 分からないことはまだたくさんある。叶は指で目を擦って涙をごまかした。

 その隣で一夜が天を仰ぎ、

「雨が降りそうだ。長居しすぎたかも知れないね。戻ろうか」

 二人で畔の広場から遊歩道に向かって歩きだした。

 叶は鳥居を見るのは恐ろしかったが、勇気を出して後ろを振り返る。暗くどんよりとした空を背景に、重く陰る石の鳥居からは、あの異形は消えていた。

 おみず沼の水面を眺め、きっと晴れ間にこの沼を見たら、思いもしない美しさに見惚れるのだろうと思ったが、今は只々何かを隠して見せない黒い蓋のようにしか思えなかった。

 道すがら、一夜に叶は話しかける。

「あのっ、『みつちさま』という名前が書かれている文書とか何かないんですか?」

 一夜がチラチラと叶を振り返りながら、舗装された遊歩道から、緩やかな坂になっている公道に出た。

 午前に降った雨の名残が公道のアスファルトに残っている。アスファルトが吸った熱気が、蒸気のように叶を包み込む。肌がじっとりと汗ばみ始めた。

「合祀されたときに『みつちさま』に関する書物や掛け軸、ありとあらゆるものが焚書されたんだよ。それだけじゃない。特に雨乞いや神託に必要だった巫女舞も、淫祠邪教といわれ、非科学的なものは日本国民を惑わすなんて言って、巫女禁断令によって棄却されたそうだ。さっきも言ったとおり、菟上家や菟足村の人たちは『みつちさま』から『おかみさま』に名前を変えて、細々と信仰を続けたけど、今ではもう由来や作法を知っている人はいないんだ。雨乞いもね。霊力のある巫女が不在なまま、数十年も、皆、乏しい知識で信仰を続けているんだ」

 一夜は息も切らさず、合祀以後の民間信仰の難しさを説明してくれた。

「でも、人身御供伝説については残ってました」

「ずいぶん昔に聞き取りされたものじゃないかな。それを裏付ける史料はもうないよ」

 叶は汗だくになりながら、一夜にようよう付いていき、聞いた話を心の中で反芻する。

 カーブにさしかかったとき、魔のS字カーブの怪談を思い出した。菟上家に向かっている最中にあそこでいったん車から下りて、カーブミラーに手を合わせたのだった。

 あの坂は緩やかな勾配でトンネルに入るため、さらに見通しが悪くなる。おそらく斜面側からガードレールを越えて公道へ出たとき、トンネルを抜けてくる車に気付かないし、車の方も人に気付かずそのまま突っ込んでしまうだろう。

 夢の中で希は斜面から公道へ飛び出した。暗い中、車のライトに気付いたときにはすでに遅かったのだろう。希は轢かれて意識がなくなったあと、おそらくおみず沼に落とされて死んだのだ。

 空気がじっとりと湿り気を帯びる。山肌が剥き出しの公道は、離合するのがやっとな道幅だが、やってくる車はいないに等しい。いたとしても、皆、菟上家に向かう車だった。

 振り返ると公道の先の梢の隙間から、廃墟の一端が見える。その垣間見える窓から人が外を覗いている。

 白い面がまるで仮面のようだ。

 人のように見えるが人でないのは一目瞭然だった。窓枠ギリギリまで大きくなった仮面の口元が、耳までつり上がって嗤っている。悪意の塊のそれは、何も知らない来訪者を手ぐすね引いて待っているのだ。あんなものがいる廃墟によく入っていけるものだ。

 あの窓のフロアで一夜のWoooTuber仲間だったhiroが、放心状態で見つかったのだろう。hiroもウタもその後どうなったのだろう。あまり良い後日譚は聞けそうにない。


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