7
気がつくと、巫女舞は終わっていた。舞っている間の記憶がすっぽり抜け落ちている。しかし、何が巫女に取り憑いているのかを見た、それだけは覚えている。
体に入ってきた、
「大丈夫? 休む?」
一夜が叶に声を掛けてきた。
下腹部に手を当てると、ぐねぐねと蠢く得体の知れないものを感じた。
もう遅いんだ……。もう元に戻らない……。一体、巫女は何を孕んでいるんだ。腹の中にいるものは、『みつちさま』ではない。巫女舞をしている最中に見た異形の怨霊を思い出す。
異形が人の胎を借りて受肉した存在は、一体何なんだろう。本当に神の子なのか?
これが菟上家の巫女の運命なのか。
「顔色が悪いよ。椅子に座って冷たい飲み物でも飲んで」
一夜が心配そうにしている。
「どうしたんだ?」
様子を見ていた天水も寄ってきた。叶は折りたたみ椅子に座らせてもらい、飲み物を受け取った。
「鎮魂祭は納めたし、無理してここにいる必要はないぞ」
そう言いつつ、天水が空を仰ぐ。
雲間から青い空が見え、雨が降りそうな天気ではないが、天水が落ち着かない様子で周りを見渡している。
水葉は、得体の知れないものを孕むことを喜んでいた。美千代は自分の中に入ってきたものを恐れなかったのか。美都子は諦めていた。
これを喜ぶ神経が分からない。どう考えてもあれは神なんかじゃない。
死んだ巫女の集合体の一部が腹に入り、生まれて、そして巫女は人身御供として死ぬ。死んで怨霊の集合体の一部になり、いつかまた巫女の腹に宿る。この連鎖が、最初に人身御供として巫女を捧げられたときから続いている。これが、かりはらの実態なのだ。
——私は一体、何……?
叶の背筋に悪寒が走った。
叶はそこでようやく思い当たる。
水葉からかりはらについて聞いた美千代は、叶をわざと蔵に閉じ込めたのだ。
でも一夜たちは知らないのだ。鎮魂祭で収まるものではない。怨霊はこんなことを望んでない。
蔵でのことが思い浮かぶ。『みつちさま』は蔵に来なかった。蔵に来たのは、巫女たちのなれの果てだ。
希が恐れた異形に、菟上家はいまだに祟られている。菟上家を祟っていたのは正確には水葉ではないのだ。
自分の体に腕を絡ませて、叶は顔を上げて、天水を見やる。
「天水さん、道祖神、早く修復しましょう」
天水が目を見開く。
「何かあったのか? 巫女舞で様子がおかしかったが」
思わず、声が震えてしまう。
「巫女舞をしているときに、恐いものがおみず沼から出てくるのを、見たんです」
「恐いもの?」
叶は口をつぐむ。果たして話していいものなのだろうか。体に得体の知れないものを宿したことや、おみず沼からやってくるものを封じないといけないこと、祟りは収まっていなくて生き残った叶も例外ではないこと。
「とにかく、早く。早く修復して下さい!」
叶の剣幕に気圧されて天水は頷いた。多分、彼は鎮魂祭が終わってから修復するつもりだったのだろう。スマホを取り出して、業者に電話をしてくれた。
ここから逃げないと。ここを離れて、町に戻らないといけない。おみず沼から、異形から、菟上家から離れないと取り込まれてしまう。
震える叶を見て、天水たちは今日の鎮魂祭は終うことにしたようだ。
一夜が自分を見ているのに気付き、彼に視線を向ける。うっすらと微笑む一夜が、叶に寄り添った。囁くように声を低めて、
「見えたんだ? 君も見たんだね」
驚いて、叶は一夜を見上げる。
「何をですか」
「みつちさんが来たんだろう?」
「どうしてそんなこと言うんですか」
すると、一夜が嬉しそうに続ける。
「なぜ、美豆神社の宮司と結婚しないといけないと思う?」
叶は訝しげに一夜を凝視する。
「君で最後だから教えてあげよう。美豆神社は、『おかみさま』を祀っている。知ってるよね? でもね、俺たちが祀っているのは今もずっと祀っているのは『みつちさま』なんだよ。『みつちさま』は零落なんてしていない。龍神は俺たちにも同じ神意を告げるんだ。あまたの乙女を花嫁として捧げよ、とね。君のおかげで、大蛟だった『みつちさま』は、花嫁になる前に殺された『巫女』と、やっと夫婦になれる。俺の中の『みつちさま』が喜んでいる。君は俺に『黒姫伝説』の話を教えてくれたね。まるで俺たちのことを言ってるようだった。最後に残った君が、希と双子で良かった。希と同じ力を持っていることが分かって、とても嬉しいんだ」
俺の中の『みつちさま』が喜んでいる、と一夜は言った。
叶が恐れているもの、何もかも一夜は知っていたのだ。
「じゃ、じゃあ、巫女が祀っている『みつちさま』は……?」
「本当に『みつちさま』だと信じているの?」
巫女が祀っているのは、『みつちさま』じゃないのか?
「君たちが神様と言って祀っているのは、みつちさんだ。君が巫女舞で見たものだよ。だから唯一、みつちさんを祓えるんじゃないか。水葉さんと希さんはみつちさんを宿せなかった。美都子さんは自殺したから、結局三人ともみつちさんになれなかった。だから今もふらふらと漂っているじゃないか。今度こそ、上手くいく。怖がらなくていいんだ。君もみつちさんじゃないか。ちゃんとみつちさんを産めばいい。『みつちさま』が求めた巫女になれる。『みつちさま』はそれを望んでいるんだよ、自分だけの
熱に浮かされたように一夜がまくし立てるのを見て、叶は息を飲む。
自分の考えが正しかったと震えた。衝動的に走り出したくなった。でも今逃げても封印されてないみつちさんに捕まってしまうだけだ。
「な、何を言っているのか分かりません」
「そのうち分かるよ」
一瞬、一夜の顔がほくそ笑む蛇のように見えた。
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