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美都子は自分の運命は自分で決定したかった。美千代に振り回されるのもういやだった。
これから先、自分の跡を双子の娘のどちらかが継ぐことになるかも知れない。美都子にとって、それだけが心配である。
美千代と同じく、もしも娘達に霊力がなかったら……。霊力のない巫女に神と交信する力などない。神意を聞くだけの耳も持っていないのに巫女になれば、人間にとって不都合なことが起こるだろう。人間の都合など、神様には関係ないのだ
おみず沼の龍神は荒々しい神だ。きっと、自分が死んだあと、家族が苦労するのは目に見えているが、美都子は自分の尊厳を選んだ。
奥座敷のふすまの前にひざまずいて、美千代に声を掛ける。
「お母さん、美都子です」
すぐに、入っておいで、と声が返ってきた。ずっと待っていたのだろう。声に苛立ちの色がにじんでいる。
美千代は癇の強い女だ。その性格を美都子は受け継いでいない。姉妹は父に似たのだろう。
ふすまを開けて、膝立ちのまま、座敷に入った。美千代と対面で正座すると、顔を上げて母親の目を見つめた。
「何かご用ですか」
「そろそろ、おかみさま講ですね」
美千代が淡々と告げた。
「そのときに、希と叶に霊力があるか試してみましょう」
「まだ、顕現してないんじゃないかしら、お母さん」
霊力のあるなしで、菟足家の行く末は変わる。ここでも美千代は焦っている。
こんな母親に何を言っても聞いてはくれない。美都子は、ため息を吐いて承諾した。
そんな矢先、巳知彦がみつちさんに魅入られた。
祈祷場に祭壇を据え付けていると、不意ににわか雨に降られたのだ。巳知彦は美都子の声に騙された。だれもが慌てふためいたが、美都子は巳知彦を蔵に入れ、四方に結界を張り、一晩中祈祷した。
蔵の周りをぐるぐると異形が歩き回っているのが、美都子には見えていたが、分家の人間や美千代と衣織には見えていないようだった。
祖父である先代の宮司が太鼓を叩く。一定のリズムで太鼓を叩き、黒い巫女装束姿の美都子が祭文を唱え続ける。祭文を唱え終わると、神楽鈴を持ち、太鼓の音に合わせて鈴を振りながら巫女舞をする。
ゆったりと始まり、決まった型を舞いながら、次第に速度を増していき、美都子は酒に酔ったような高ぶりに身を任せた。すると、いつしかよりはっきりと、巳知彦とみつちさんを繋げているものが視えるようになった。
みつちさんは魔物だ。その魔物と巳知彦との縁を剥がす。縁が剥がれれば、みつちさんは巳知彦への執着を忘れるだろう。
この儀式は過去に何度もおこなってきた。太鼓の音を聞き、舞っていると次第に意識が体から離れる。自分を俯瞰で眺めながら、巳知彦とみつちさんを繋いでいる糸を切る。完全に切り終える頃には、夜が明けていた。
巳知彦は無事にお祓いできた。美都子は痛み止めを飲みながら、苦痛に耐えた。巫女舞を舞っているときは苦痛が何故か消える為、儀式に何の支障も来さなかったのが幸いだった。
苦痛に耐えながら、あともう少しと、美都子は自分に残された時間を数えた。
雨の降りしきる婚儀前夜、黒地に宝尽くし柄の巫女装束を身につけ、美都子は椅子を持って一人で蔵に入った。この蔵に閂はない。だれでも容易に開けて中に入られる。装束を着ていれば、何かの儀式の為に籠もったと思われるだろうから都合がいい。
この蔵は特殊な蔵だった。神様からの神意を受けたり、お祓いすべき存在をわざと誘い込んだりする場所で、道祖神の結界はこの蔵には通用しない。かりはらの儀式をおこなうのもこの蔵だ。穢れを祓う場所でもあるので、穢れを浄化する為に巫女は週に何度も、この蔵に籠もることがある。つい先日、ここの穢れを祓ったばかりだ。けれど、すぐに穢れは溜まる。
美都子は、しっかりと観音開きの扉を閉めた。
ためらいも悩みもない。ずっと心に決めていたことだから、迷いもなかった。自分がいなくなれば、さすがにいろいろな問題が起こると分かっている。けれど、神域を穢すわけではないので祟りはない。
腰紐を持ち、椅子を梁の下に持ってくる。椅子に登って、腰紐を梁に掛けてぎゅっと結ぶと、ぐいと引っ張ってみて確かめた。大丈夫そうだと判断し、腰紐に首を掛けて、椅子を蹴った。畳を椅子が転がっていく。
ギシリと梁が軋んだ。
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