シーン4
1
明け方になり、ハシブトガラスの声が聞こえてくる。朝日で明るくなった薄曇りの空が、明かり取りの窓から小さく切り取られて目に映る。
まだ起き上がる気力がなく、叶は仰向けに横たわっていた。
長い夜だった。いつまでも夜が明けず、泣きそうになった。気を失うように眠り込み、鮮明な夢を見た。
美都子の目線で衣織や天水、若い美千代を見た。美都子の激しい感情がどっと自分に押し寄せて、抵抗する間もなく呑み込まれた。
美都子は二十歳の若さで、子宮体がんを患った。手術や抗がん剤治療を拒否したのは、弱っていく自分を周囲に見られたくないという思いと、複雑な思惑が感じられた。
もしかしたら、霊力を持つ巫女だけが知る事実があるのか。その事実は霊力のない巫女には分からないのだろう。
山間から太陽が昇ったのか、明かり取りの窓から燦々と太陽の光が差し込んでくる。格子窓の外に闇はもうない。
手を捩ると、いつの間にか金縛りも解けていた。上体を起こす。疲労感が背中にずっしり覆い被さってきた。
きつい。この蔵の空気が重たい。鈍重なものが、ずっと自分にまたがっているように感じた。
叶は着物の裾を整え、立ち上がった。ふらふらと格子窓に近づいて、閂がかかってないはずの扉を開こうとした。
ガッガッと何かにつっかえて扉が開かない。閂はかけないと教えられていただけに衝撃を受けた。しかも、蔵の外から昨夜見えていた祭壇も何もかも片づけられている。本当にお祓いはおこなわれていたのだろうか。
屋敷内に通じる重厚な扉も閉め切られていた。ということは、叶はたった一人で蔵の中にいることになる。一体、何が起こったのだろう。蔵に閉じ込められる理由が知りたかったから、叶は大きな声を上げた。
「すみません!」
果たして叶の声はだれかの耳に届いているのか。大きな声を上げる度、昨夜叫んだせいで痛めた喉が引きつる。声が涸れてガサガサとした痛みが走った。
「だれか、いませんか!」
何度か人を呼んだが、音沙汰がなかった。
もう少し時間が経ったら、様子を見にだれか来るかも知れないと思い直し、叶は座卓へ戻ろうとした。
格子窓の方向から、重たい扉を開ける音が聞こえてきた。
すぐに格子窓に戻り、外を覗くと、一夜が近づいてくるのが見えた。あまり顔色が良いとは言えない。青ざめた表情の一夜が、扉の前に立って、叶に告げる。
「美千代さんが昨日の夜、倒れて救急車で病院に運ばれた」
弱々しい様子でお祓いをしていたのは、具合が悪かったせいなのか。さすがに叶も心配になり容態を訊ねる。
「美千代さん、大丈夫なんですか?」
一夜がほとほと困り果てているといった仕草で首を振る。
「分からない。でも、あまり良くない」
「それでお祓いはできたんですか?」
叶は昨夜見た妖怪じみた存在のことを思い浮かべながら、危惧していた。まさか、できなかったとは言わないだろう。
一夜が残念そうに首を振る。
「できなかった。巫女舞をする前に倒れたから、みつちさんは祓えてない」
「そんな……!」
叶は絶句した。美千代では無理だと聞かされていても、やはり愕然とした。
「ごめん。俺だけじゃあ、みつちさんを祓えない。巫女が巫女舞をしないと無理なんだ」
「みつちさんはおみず沼のあるところでないと、引き込めないんでしょう? 菟足村に来る前からみつちさんは私の所に来てたけど、殺される心配はしてなかった。おみず沼がないとみつちさんも影響できないんじゃないの? だったら、すぐここから出して、家に帰るから。ここにいたら、みつちさんに殺されるんでしょ?」
一夜が済まなさそうに眉を歪める。
「ごめん。美千代さんに、婚儀の日が来るまでは、君をここから出すなって言われてるんだ」
「はぁ?」と、叶は声を漏らした。
「待ってよ。それまで監禁するって言うの? 閉じ込めたら、言うとおりになるって思ってるの? 美千代さんがどんだけ偉いって言うの。私の意思なんか関係ないの? 一夜さんも美千代さんと同じ考えなの? 希の婚約者だったんでしょ!」
「希さんは関係ない。俺は君と結婚する。それに君に跡を継いでほしいのは、皆の総意なんだ」
「ふざけないでよ! こんな時代遅れの馬鹿げたことして、何様のつもりよ!」
「後でまた来るから」
大きくため息をついて、一夜は格子窓から離れた。
「ちょっと、待って! 待ってよ!」
叶の懇願も虚しく、一夜が重厚な扉から屋敷に入っていく背中を見ているしかなかった。
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