2
一夜の名を何度も呼んだが、だれも来なかった。厚い壁が声を遮っているのかも知れない。届かない声を張り上げて、叶はもう一度、出してくれと叫んだ。
このままだと、しきたり通りに好きでもなんでもない一夜と結婚させられる。希のことが好きだったのではないのか、だから婚約していたのでは?
全て、自分の意思ではなく、美千代の言うとおりにしているだけなのか。叶は本家のやり方に悔しさを覚えた。理不尽としか言いようがない。
養父母ですら、結局、叶を見捨てた。とても大好きだったのに。悔しくて悔しくて涙が溢れてくる。
絶対に! どんなことがあろうと! 美千代の言うとおりにはならない!
叶は泣きながら、固く決意した。
一夜が去ったあと、しばらく格子窓の外を眺めていたが、だれも来ないことに失望し、座卓の前に座って、卓上にうつぶした。
昨晩、何度も夢で見た悪意ある異形の存在が、この蔵にいる限りやってくるだろう。昨夜は雨が降っていたのだろうか。だから、みつちさんのようなものが手を変え品を変えて叶を責めた。内臓をまさぐられた時は死ぬのではないかと思うほどのおぞましさがあった。
美都子が夢の中で、この蔵で命を絶つのを見た。一人寂しく死ぬのは悲しいと思った。でも、美都子は孤独よりも誇りを選んだのだろう。どうせ死ぬ運命なのだと思い込んでいた。
かりはらのことを一夜にもう一度訊ねてみようか。しかし、美都子は自分以外でかりはらがどういったものなのか知るものはいない、と考えているようだったから、跡を継ぐ巫女にしか分からない隠語なのだろうか。霊力のある巫女だけが本当の意味を知っていて、だからこそ、霊力のない美千代には何も分かってないと言い切れたのだろう。
叶は何故こんな夢を見るのか、見当も付かない。もし、何か原因があるとしたら、双子の片割れだからとしか考えようがない。
劇的な霊力を持っていないから夢を見るのだ、と思う。当主を継いだとしても美千代と同じような霊力のない巫女なのだから、菟上家はやはり絶えてしまうのではないか。
霊力のある水葉、美都子、希が死んでしまったことが、何かの符合のようにも思える。
早逝していった、巫女たち。彼女たちは本当に理由なく、ただ死んでいったのだろうか。
美都子の夢が、菟上家の因縁と繋がっている気がした。どこがどう繋がっているのか、断片しか見てないので分からないが……。
そう言えば、希と美都子の夢を見たとき、夢の中では雨が降っていて、二人とも黒い振り袖を着ていた。何故巫女装束を着ていたのだろう。
希の話をみんなはしないけれど、もし間違っていなければ、美都子と同じく婚儀前夜だったのかも知れない。
逃げたり死を選んだりするのは結婚をしたくない為だったのか。一体、何故婚儀前夜にしたのだろう。
まさか、人身御供伝説と関係あるのか。家系図で知った、早逝していった巫女たちは、実は人身御供として神に捧げられたとか。それともこんな考え方は突飛すぎか。
けれど、菟足村では人身御供がおこなわれていると信じられていたから、伝説として語り継がれたのだ。子供を産んだあと、必ず亡くなっているのは不思議としか——。
ここまで思い耽っていたとき、ガタガタという音が格子窓の扉から聞こえた。
叶は物思いから呼び戻されて、格子窓を凝視した。
閂が外されて、扉が開いた。一夜が顔を出し、「行こう」と声を掛けられた。一夜は本当に戻ってきたのだ。期待していなかった分、一夜が来てくれたことが嬉しかった。けれど、このことを他の人に非難されないだろうか。
「一夜さん、ありがとうございます。でも、私を出しても良かったんですか?」
ふたつ目の扉が開かれて屋敷の中に入った。
「君を閉じ込めるよう指示されたのは、俺と美千代さんの世話係だけだからね。他の分家の人間は知らないんじゃない?」
「私の両親は帰ってしまったんですか」
この言葉が胸に痛い。
「それは知らないけど、菟足村の民宿に泊まってるかも知れない。叶さんを置いて帰るとは思えない」
そうであって欲しいと叶は願った。両親に見捨てられたら、だれも信じられなくなってしまう。
「急いで」
一夜に急かされて、叶は裾をからげて早足で廊下を進む。
一夜には言いたいことが山ほどあった。叶は彼の後ろを付いていきながら、
「美都子さんの夢を見ました。美都子さんはあの蔵で亡くなったんですね」
と訊ねた。
一夜が、玄関の下駄箱から叶のスニーカーを出してくれる。
「だれが叶さんにそんなことを言ったの?」
叶が明晰夢を見て知ったとはにわかに信じられないようだ。
「美都子さん、病気のことを黙って自殺して……」
「そうなんだ……」
一夜は呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます